@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『悪は存在しない』

『悪は存在しない』 [2023年日本]


自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。監督&脚本は濱口竜介。出演は大美賀均(巧)、西川玲(花)、小坂竜士(髙橋)、渋谷菜那(薫)ほか。

 

 冒頭から不自然なショットが続いて、「いつもの濱口竜介監督作品群と違うな」と思わせつつ、会話シーンなどが続くと「いつもの濱口竜介監督作品だ」と思う。こういう自然豊かな土地に都会から開発され、それについて地元民と意見が食い違うというのは古今東西よくある話だ。ただそこにいつもの濱口監督の作家性的な会話が続いて、とても説得力あるリアリティある話になっている。特に町長が話す水の話や巧が話す開拓の歴史や町の歴史の話はとても説得力あって、それこそ高畑勲イズムが生きているなと思い、とても嬉しくなった。

 

 「悪は存在しない」とタイトルの通り、本作には分かりやすい悪がいない。いやいるんだけど、その悪がとても人間味ある、我々と同じ労働者である。本作ではそれが開発を進めるコンサルと芸能事務所の社長、そしてその社員の髙橋と薫だ。映画の後半ではほとんど髙橋と薫が映画の中心になり、髙橋も薫も非常に人間味ある色んな事情を抱えても何とか生きていく人たちで、それこそあの村で生きている人たちとほとんど変わらない人たちであることが分かる。

 

 そんな人たちが対話を重ねることで理解しあう映画かと思いきや、ラストの数分でそれが全て覆るというか、突然現れる暴力に驚く。静かな映画でまさかそんな展開があるなんて思わないから、とにかく呆然とする。ただよく映画の中での会話を思い出せば、ちゃんと前触れがあった。車内で薫が鹿は人間を襲うのかと巧みに聞き、巧は「普段の鹿は臆病だから人を襲うことはない。ただし手負いなら襲うこともある」と意味深に答える。おそらく巧自身がこの手負いの鹿だ。言いたくはないが、おそらく巧は喪失感から娘の花と無理心中する予定だったのかもしれない。それを邪魔されてしまいそうになった巧が高橋に悪意のない暴力を表出してしまった。

 

 たぶん本作のテーマは「男性の突然表出する悪意」もしくは「そんなにマッチョじょない男性のフッとしたときに自分や周囲の人間に向かう暴力」なのではないかと感じた。それはラストに分かりやすく身体的な暴力を振るった巧だけじゃなく、車内で突然大きな声を出して薫を驚かせた高橋にも当てはまる。酷いことを言うが、ああいう男性は本当によくいる。そしてその暴力の被害が女性や子供に向かうのもよく出来ていたと思う。男性たちの暴力性を描く一方で、同じくフッとした瞬間に吹っ切れてしまっても、それが暴力性ではなくポジティブな方へ向かった薫という女性の存在も同時に描かれているので、暴力性だけを描いている訳ではないのもよく出来ていると思った。