@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ウーマン・トーキング 私たちの選択』

 

『ウーマン・トーキング 私たちの選択』 (Women Talking) [2022年アメリカ]


2010年、自給自足で生活するキリスト教一派のとある村で、女たちがたびたびレイプされる。男たちには、それは「悪魔の仕業」「作り話」だと言われ、レイプを否定されてきた。やがて女たちは、それが悪魔の仕業や作り話などではなく、実際に犯罪だったということを知る。男たちが街へと出かけて不在にしている2日間、女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う。

監督&脚本はサラ・ポーリー。出演はルーニー・マーラ(オーラ)、クレア・フォイ(サロメ)、ジェシー・バックリー(マリチェ)、ベン・ウィショー(オーガスト)、フランシス・マクドーマンド(スカーフェイス)、ジュディス・アイビ(アガタ)、シーラ・マッカーシー(グレタ)、ミシェル・マクラウド(メジャル)、ケイト・ハレット(オウチャ)、リブ・マクニール(ナイチャ)、オーガスト・ウィンター(メルヴィン)、キーラ・グロイオン(アナ)、シャイラ・ブラウン(ヘレナ)ほか。

 

 本作は2018年のミリアム・トウズの小説が原作。2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆されたため、ノンフィクションであり大変重い話である。メノナイトという宗教団体がモデルだと言われていて、このメノナイトの教義で「赦し」というのが大変重要な教えなのだそう。

 

 本作は暴力描写を意図的に映さないようにしており、その代わりに画面のカラーはほとんど白黒にして血と太陽の光が強く出るようにカラーコーディネートし、それがかえって映画の中で起きた暴力の残虐性を強調するような演出にしていて見事だ。またタイトル通りにほとんど役者陣の会話劇で構成されている。舞台劇を観ているような気分だが、時々動きのあるシーンが入り集中は続くのだが、途中どうしても飽きてしまったのが正直な感想だが(それにキリスト教用語も多くて、キリスト教に詳しくないと結構ツライ)、それは監督の意図するところだと思う。

 

 本作はわりかし早い段階で「残って戦うか、村を去るか」の2択に絞られた状況で話が進んでいき、早々に「男たちを許す」選択肢が消えたのだが、それでも女性たちの会話が進んでいくにつれてみんな心のどこかに消したはずの選択肢である「男たちを許す」が主張してくるときがある。それがメノナイトの大きな教義であり、彼女たちのアイデンティティでもあるからだ。それでも映画は会話の紆余曲折を経て「男たちを許す」ことを拒否する(良い!!)。そして「去る」ことを選択する(=「戦う」ことでもあるのだ)。「赦す」という行為自体が実は長い間誤用され女性たちを抑圧し続けたことに彼女たち自身は気付いていたのだ(これぞ考える権利から派生した自由!!)。

 

 また本作は女性だけでなく、男子へのまなざしもある。男子にも同じように教育しなければ暴力と女性蔑視は再生産されつづける。そこで重要なのが教育だ。この映画は問題だけでなく解決方法を提示し、未来に希望を託したラストで終わる(と言っても2010年が舞台だ)。大人たちや社会の問題と責任の存在を浮き彫りにして解決へと向き合おうとする努力を製作人は怠らなかった。どうしても同日公開の『怪物』はその大人たちの責任の存在が非常にあいまいだったため、是枝監督は本作を観たほうがいいのではないかと思った。

 

 静かな映画だが非常に熱い思いが伝わってくる映画で、キャスト陣も全員素晴らしい(全員の名前を憶えたいと思った)。多くの人に観てもらえればなと思う。