GB19940919’s diary

GB20th(https://twitter.com/GB19940919)の映画感想雑記です

『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』

"戦争"についての罪を描いている

 

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『グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告』(The War with Grandpa)

 

妻を亡くしたこともあって、エドは娘夫婦(サリーとアーサー)と同居することにした。当面の間、エドは孫のピーターの部屋で暮らすことになったが、ピーターは「おじいちゃんに自分だけの部屋を奪われた」と不満を募らせていった。ほどなくして、我慢の限界に達したピーターはエドを追い出すべく様々な悪戯を仕掛けたが、エドは意地になって部屋に居座ろうとした。そして、ピーターの悪戯はどんどんエスカレートしていき、ついには大騒動に発展してしまう。

 

 まあ笑える映画であったし役者も気の抜けたコメディ演技は良かったが、やはりこの映画を作った監督はかなり道徳心を持っている人でないかと思う。まず祖父が孫に戦争について実際の戦争がいかに人間性を奪うのか力説するのだが、それが最後にちゃんと祖父と孫にのしかかるのが非常に良い。途中は少し笑えて、ちょっとやりすぎじゃないかと思うので、最後に戦争という言葉が二人にのしかかるしシーンは非常に意味がある。

 

 最後にこの映画はラストにコメディ映画お決まりのNGシーン集が流れて、少し懐かしい気分になる。またコメディ映画でラストにNGシーン集を流すようになってくれないかな。

 

『約束の宇宙』

女性が労働していくうえで出会う苦難を表している

 

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『約束の宇宙』

 

 オリジナル脚本ではあるが、おそらく歴代の女性宇宙飛行士をモデルにしている。監督はアリス・ウィンクールで音楽は坂本龍一である。欧州宇宙機関JAXAが製作に協力している。

 

 ひとりの女性宇宙飛行士が宇宙に行くまでがテーマであるため、これは宇宙がテーマと言うよりかは女性が労働するうえで遭遇する受難や苦労をテーマにしている。まず宇宙に行くと決まってから子どもの世話をどうするかについて悩むのだが、まず父親だった子どもの世話どうしようかなんてまず悩まないだろう。映画では別居している元夫が世話してくれることになったが、それでもかなり説得に苦労しているようだった。次に訓練が始まってから、生理について問われる。(この視点はめちゃくちゃ女性監督ならではだ) 生理道具を宇宙に持っていくのに自分の事物を減らされるなんて、この映画を観なければ知らなかったという人は多いのではないか。次に超めんどくさい男性上司が出てくる。そいつは勝手に主人公の才能をマンスプレイニングして過小評価してくる。そんなめんどくさい奴に自分の能力を評価していただき、こちらから積極的にコミュニケーションをとるなんてめんどくさすぎだろう。まずこの男性上司は上司やチームメイトとしての仕事を放棄している。あんな奴でひょかされるなんて下駄を履かされている男性上司だ。こういうやつはどの職場にもいるのだ。そういう男性上司と女性は労働するうえで戦っていくのだ。この映画は本当に女性の労働環境を丁寧に描き告発する映画だ。

 

 映画としても全体的に非常によく出来ている。特に主人公と娘が施設から内緒で抜け出して宇宙船を見に行くシーンはかなり映画的であるが、非常に感動的なシーンだ。主人公が途中から宇宙のプロジェクトに参加するのはロン・ハワード監督の『アポロ13』に似ており、宇宙を詩のように表現しているのはロバート・ゼメキス監督の『コンタクト』を彷彿させるし、ぜひ90年代映画オタクも見てほしいと思う。

『ザ・スイッチ』

道徳心が貫ぬかれた作品

 

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『ザ・スイッチ』 (Freaky)

 

バーニー・ギャリスは凶暴な殺人鬼であり、「ブリスフィールド・ブッチャー」の通り名で恐れられていた。そんなある日、バーニーが女子高校生(ミリー)を襲撃したところ、凶器に秘められていた魔力が突然解放され、2人の中身が入れ替わってしまった。ミリーは自分が50代の男性の肉体、しかも、指名手配中の殺人鬼の肉体と入れ替わったのを知り慌てふためいたが、バーニーの方は「これで警察に追われることなく殺しができる。こいつのクラスメートで死体の山を築いてやる」と大喜びしていた。

しばらくして、ミリーはバーニーから肉体を取り戻すべく友人(ナイラとジョシュ)の協力を取り付けたが、彼女に残された時間は24時間も残されてはいなかった。

 

 最初のスプラッター描写でとんでもないグロイ系のホラーだって思ったら、それ以外は道徳心に貫かれた青春映画であった。まず主人公のミリーの友達がゲイである。しかもそれが作品のストーリーに関係しているのではなく、ただゲイの友人がいるという普遍で描いている。これは監督がオープンリー・ゲイだからだと思う。またゲイ・キスを思わせるシーンがあるが、そこがとても純粋なキスシーンのようでそこを笑いとして落としていない。

 

 そして良く出来ているなと思うのだが、女子高生の体をにのっとって殺人を起こしまくるのに、その殺人シーンを周囲の人に見られておらず、ミリーが自分の体に戻っても生活に支障がないような描写になっている。また女子高生と中年のおっさんが入れ替わることで性差別を自認するのがよい。またおっさんに変わったミリーもおっさんの体の暴力性に最初は魅せられるが、最後は暴力では何も解決しないことを学ぶのも良い。

 

 やはりこういうスプラッター系ホラー作品を作る監督はこういう倫理観や道徳心がしっかりしている人であって欲しいと思う。

 

『アンモナイトの目覚め』

同性愛の映画誕生を純粋に喜んではいけない

 

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アンモナイトの目覚め』(Ammonite)

 

1840年代、イングランドライム・レジス。古生物学者メアリー・アニングは同地で老母と暮らしていた。若い頃に博した名声はもはや忘れ去られつつある中、メアリーは観光客にありふれた化石を売って生計を立てていた。そんなある日、地質学者のロデリック・マーチソンがメアリーの元にやってきて、「ヨーロッパ旅行にでている間、妻のシャーロットの面倒を見てやってくれませんか」と頼み込んできた。化石発掘に専念したかったメアリーだったが、高額な報酬に目がくらみ、つい引き受けてしまった。

当初、異なる価値観で生きてきた2人は衝突するばかりだった。しかし、お互いに孤独を抱えていることを知り、徐々にその距離は縮まっていった。そして、2人の間には恋愛感情が芽生えるのだった。

 

 実在した地質学者のメアリーとシャーロットがモデルである。まずケイト・ウィンスレットとシャーシァ・ローナンの演技は申し分ないのだが、なにぶん脚本が少し強引ではある。まずメアリーとシャロットが恋愛関係に至るまでの過程が少し強引である。またシャーロットは実在の人物だが、本当はメアリーより年上らしく、またかなり社交的で夫が学者として有名になる原動力を与えたくらい溌溂した人らしく、またシャーロット自身も著名な学者だそうだったらしく、それなのに映画のシャーロットはあまり主体性を失っている。どうせなら史実通りの性格の持ち主として描かれる二人の恋愛の方が見たかったし、古い時代の中年の女性同士の恋愛を描く方が映画としてかなり意味があったように思える。

 

 あとセックスに発展するまでよくない。初めてまずキスしてから急にあのセックスは無いだろう...『燃ゆる女の肖像』を観てしまったあとだけ余計粗が分かってしまう。またメアリーは実際同性愛者だったかどうかは良く分かっておらず、同性愛は脚色だそう。私も同性愛者かどうか分からない史実の人物に同性愛者として脚本を与えてしまうのは良くないのでないと思う。だったら労働者階級の地質学者としてのメアリーの生き方とそれに影響を受けるシャーロットの中年女性通しの友情に焦点を当てた作品を作ればよかったのにと思う。

『旅立つ息子へ』

父親と息子である意味がしっかりしている映画

 

『旅立つ息子へ』(Here We Are)

 

愛する息子ウリのために人生を捧げてきた父アハロンは、田舎町で2人だけの世界を楽しんできた。しかし、別居中の妻タマラは自閉症スペクトラムを抱える息子の将来を心配し、全寮制の支援施設への入所を決める。定収入のないアハロンは養育不適合と判断され、裁判所の決定に従うしかなかった。入所の日、ウリは大好きな父との別れにパニックを起こしてしまう。アハロンは決意した。「息子は自分が守る―」こうして2人の無謀な逃避行が始まった。

 

 チャップリンの短編映画『キッド』をモチーフにしているが、結末が『キッド』のアンチテーゼ的な内容だ。私は自分の仕事柄この映画の結末は素晴らしと思う。こういう映画は(特にアメリカ映画は...)基本的に施設を悪く描きがちであるが、この映画はむしろ施設で生活するという選択肢を選ぶことで父と息子にとって将来的に良いというラストになっている。どういう系統の施設なのか映画では詳しく説明されないが、確かにこれからのウリの長い人生を考えるとやはり施設に入ってそこで自立したほうが良いだろうから、やはりこの映画の結末は良いと思う。

 

 またこの映画で面白いのは父のアハロンが有害な男らしさと父親らしさから解放されていく過程がとても丁寧に書かれていると思う。まずアハロンはウリの可能性や社会性を全く理解できずに息子には父親が必要なんだと勝手に思い込んでいる。しかも誰にも助けを求めずろくに母親に話もせずあらゆることを勝手に決めている。また映画の中にはアハロンの弟さんがアハロンには経済的に恵まれた仕事に就いていたのに離婚がもとで勝手に仕事を辞めてウリと勝手に暮らしていることが判明するのだが、そのアハロンの行動すべてが有害な男性らしさから発生するものだ。最後にウリの施設での生活ぶりや行動を見て自らウリを手放すように有害な男性らしさから解放される姿が素晴らしかった。というかこの映画は親子の感動映画ではなく、どっちかというと父親がいかに有害な男性性を手放すことが重要なのかについての映画な気がする。まあ日本の広報はその辺をはき違えているような気がする。

 

 

『サンドラの小さな家』

その家が燃えるには訳がある

 

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『サンドラの小さな家』(herself)

 

アイルランドダブリン。暴力を振るう夫(ゲイリー)から逃れるべく、サンドラは子供2人と一緒に家を飛び出した。ひとまず安宿に身を寄せたサンドラだったが、新居を探そうにも、折からの住宅価格の高騰で手頃な物件はなく、公的機関からの支援も十分に受けられないという状況に陥った。そこで、サンドラは新しい友人たちの力を借り、自分の手で一から新居を建設することにした。

しばらくして、予想だにしなかった一報がサンドラの下に飛び込んできた。ゲイリーが「父親である自分には子供たちに会う権利があり、子供たちもそれを望んでいるのにサンドラが妨害している」と裁判所に訴えたのだという。

 

 かなりDVの描写がリアルでフラッシュバック描写も非常にリアルである。また公的支援があてにならないから、自分の力と周りの力を借りて家を建てようとするのも女性やマイノリティが生きていくうえでかなり上等な手段のように思える。そんなサンドラを助けようとする周りの人間の優しさには涙が出るし、最後家が完成し子どもの親権を手に入れた時は良かったと思う。しかしこの映画はそんな安易な気持ちを簡単に打ち砕いてくる。せっかく建てた家が燃えてしまうのだ。この残酷な現実を突き付けてくるあたり、ケン・ローチ監督作品を彷彿としてくる。しかしよくよく考えれば家が燃えるにはちゃんと訳がある。まずサンドラが公的支援が十分受けられず家が手に入らないのはどう考えても政治の失敗である。そこを追及するにはやはり自助と共助だけで建てられた家が燃える必要があるのだ。

 

 またこの映画はあの『マンマ・ミーア』を監督した人が作った作品である。全然『マンマ・ミーア』と違うが、音楽のセンスが非常にマンマ・ミーアっぽくて笑ってしまった。まず映画の冒頭にシーアのChandelierが流れてサンドラと娘たちがそれに合わせて歌うのだが、まずこの曲はポップソングであるが非常に題材は暗いのだ。パーティに呼ばれる都合の良い女として生きることに疲れている女性がテーマのChandelierをサンドラが歌うのは非常に意味深いというか、これから何とか生きていくサンドラの人生を比喩的表現している。またみんなで家を建てている間に流れる曲がこれまたシーアとDavid GuettaのTitaniumである。これはEDMでこういう映画には全くそぐわないサウンドだが、私はチタンでできているから何があっても倒れないという歌詞がとてもサンドラの生き方を表している。

『AVA/エヴァ』

人間味あふれる女殺し屋

 

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『AVA/エヴァ

 

恐ろしい暗殺者のエヴァは生き残ることを余儀なくされる。 エヴァ・フォークナージェシカ・チャステイン)は、アルコール依存症から立ち直り、兵士から暗殺者へと転身した女性である。彼女はフランスで、新たなターゲットであるイギリス人ビジネスマンを誘拐する。彼女は彼を殺す前に、何者かが彼の死を望んでいる理由を問いただす。しかし、その会話は盗聴されていた。その後、ボストンに飛んだエヴァは、疎遠になっていた妹のジュディと、狭心症で入院している母親を訪ねる。妹たちとの再会は、実に8年ぶりであった。

エヴァのハンドラーである元陸軍上官のデュークは、ドイツ軍の将軍を殺すために彼女をサウジアラビアに送る。将軍を罠に誘い、心臓発作で死んだように見せかけるために毒物を注射するエヴァ。しかし、将軍の警備員に邪魔されてしまい、激しい銃撃戦となるも、辛くも生き延びる。

逃亡したエヴァバルネビル・カルテットに行き、デュークを問い詰めるが、彼は作戦の失敗を謝り、情報の間違いは単純なミスだと主張する。エヴァはボストンに戻り、妹のジュディと交際している元婚約者のマイケルと出会う。

ブリティッシュ・コロンビアで、デュークは上司のサイモンと会う。サイモンの娘カミーユは、以前エヴァが標的と会話していたのを盗聴していた女性だった。サイモンは、エヴァには責任があり、彼女がターゲットに質問することは、作戦への取り組みが不十分であると考えていた。デュークが去った後、サイモンはエヴァを始末するように指示を出す。ジョギング中に襲撃されたエヴァは逆に相手を殺し、デュークと対峙するが、デュークは薬物中毒者による無差別強盗だと主張する。その夜、エヴァはジュディとマイケルと一緒に食事に行くが、会話はうまくいかず、気まずいまま食事を終える。翌朝、ジュディはエヴァに会いに行き、マイケルが行方不明であることを伝える。マイケルが再びギャンブルを始めたことを知ったエヴァは、マイケルが世話になっている女性、トニが経営する賭博場からマイケルを救い出す。

デュークは再びサイモンに会いに行き、エヴァがはめられたことを知っていたことを明かす。エヴァの能力を買っているデュークはエヴァを守るためにサイモンを殺そうとするが、サイモンはデュークを返り討ちにする。彼はデュークの死に際を映したビデオをエヴァに送る。傷心のエヴァはジュディの家に行き、マイケルに一緒に逃げようと誘うが、マイケルはジュディが妊娠していることを明かして断る。エヴァはトニの賭博場に向かい、トニの手下を何人か殺した後、エヴァはトニの首を絞めるが、気を取り直してトニを生かし、マイケルに近づかないよう警告し、マイケルの借金を返すためにトニに袋を渡す。

ホテルに戻ったエヴァは、サイモンに襲われる。激しい戦闘をした二人は重傷を負ってしまう。疲れ果てたサイモンは火災報知器が鳴ると逃げ出し、エヴァに「今度会ったら殺す」と警告する。エヴァはサイモンを追いかけ、ザキム橋の下で追い詰めて射殺する。エヴァは妹の家に行き、ジュディに国外に出るよう警告し、エヴァが暗殺で稼いだ金が入ったスイスの銀行口座の番号を教える。彼女が去る前に、マイケルはデュークからの手紙を渡す。そこには、「自分の人生に満足している」と書かれていた。 通りを歩いているエヴァを、父親を殺され復讐に燃えるサイモンの娘、カミーユがつきまとう。

 

 まず脚本が支離滅裂で映画自体もあまりよく出来ているとは思えず、どう考えても役者の演技に頼り切っている映画である。しかし特筆するべきは主人公エヴァの人間味あふれる暗殺者としての描写は珍しい。まずエヴァはこういう映画にありがちな幼いころから暗殺者として育て上げられて感情もない殺人マシーンとして生きるみたいな暗殺者ではなく、普通に育ち学生時代に挫折し陸軍に入隊しそこでも失敗したから暗殺者として生きていくしかないみたいな暗殺者のためかなり人間味あふれる役どころになっている。

 

 また完全に暗殺者になり切れないせいか、いやそこで銃を撃ったら、銃声がして敵がたくさん寄ってくるだろう的なツッコミすら入れてしまうくらいエヴァも暗殺者として中途半端な気もするが、まあこの映画自体が中途半端だからまあ別にいいかと思わせてしまう不思議な力がある。