@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『マッドマックス:フュリオサ』

 

『マッドマックス:フュリオサ』 (Furiosa: A Mad Max Saga) [2024年アメリカ]


世界の崩壊から45年。暴君ディメンタス将軍の率いるバイカー軍団の手に落ち、故郷や家族、すべてを奪われたフュリオサは、ディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが土地の覇権を争う、狂気に満ちた世界と対峙することになる。狂ったものだけが生き残れる過酷な世界で、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るため、人生を懸けて修羅の道を歩む。監督はジョージ・ミラー。出演はアニヤ・テイラー=ジョイ(フュリオサ)、チャーリー・フレイザー(メリー・ジャバサ)、クリス・ヘムズワース(ディメンタス)、トム・バーク(ジャック)ほか。

 

 全体的に大満足の出来だった。単純に楽しかった。でも...そもそもが厳しい戦いだったと思う。その中では全力でかつ本気で作っているし、単体として判断すれば、凄くよく出来ている映画だと思うし(ただ前作を知らないと本作は全く面白くないではないかな)。前作の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が歴史に残るくらいの名作だったので。同じように作ろうが、スタイルを変えて作ろうが、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』より見劣りしてしまうのはしょうがない。

 

 あと一番の変更点がやはり主役がアニヤ・テイラー=ジョイに主役が変わったことだが、もちろんアニヤ・テイラー=ジョイの目力や雰囲気でフュリオサであることがしっかり演じられていて凄い。本作でフュリオサはセリフが非常に少ないのだが、それでもあの目が色んなことを物語っていた(ハリウッドは大作の未来をアニヤ・テイラー=ジョイの瞳に託しすぎじゃないか?)。それでもあのフュリオサをフュリオサたらしめたのはシャリーズ・セロンだ(フュリオサば坊主というのも彼女のアイデアらしい)。前作から9年しか経過してないし、シャリーズ・セロンの凄さなら若き日のフュリオサを演じることはできただろうに。役者を変更してしまったのは単純に勿体ない(私がシャリーズ・セロンだったら泣くよ)。またフュリオサの子役だった子はアニヤ・テイラー=ジョイに目に似せるようにAIで加工したらしく...AIで子役の顔を近づけるくらいなら、シャリーズ・セロンを起用すればよかったのに...(AI使用には議論あるそうです)。

 

 前作のフュリオサが特に説明なく片腕が義手だったり、あのシダテルの中で大隊長だったり、銃や修理や運転の技術が異常に優れていたりと、それが文脈なく特に説明なくフュリオサの設定に反映しているのが良かったのだが、もちろん本作はそのフュリオサの話であるため、その"説明"が物語として提示される。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が説明を抑え見せることで色んなことを示す映画であるとすれば、『マッドマックス:フュリオサ』は説明する映画だ。ただ弾薬畑とかガスタウンのビジュアルやその周辺に生きる人や緑の地についてのビジュアルとかを見せてくれるのは凄く嬉しかった。

 

 じっくりコトコトフュリオサの修羅の道を見せていくのと比較して、やはり本作でも車を使ったアクションは凄いとしか言いようがない。あんなアクション考えられるのはジョージ・ミラーしかいないと思う。

 

 全体的に整合性合わない設定とか描き切れていない部分があるような気がしたのですが、SNSの感想にもありましたが、そもそもマッドマックスの世界は伝承としての神話らしく、本作の語り部もファースト・ヒストリー・マンである。彼がフュリオサから伝え聞いた話を映画にしているという感じで、そうなるとファースト・ヒストリー・マンは少し信頼できない語り部だ。そもそもフュリオサが英雄なので、人生の総てを彼に語っているとは限らない。そう思うとまだ本作はフュリオサという1人の人間の人生の途中だ。これからのあの狂気に満ちた世界を統治していく別の話があるということだろう。