@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』

 

『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』 (Rabiye Kurnaz gegen George W. Bush) [2023年ドイツ・フランス]

 

2001年9月11日に発生したアメリ同時多発テロの1カ月後。ドイツのブレーメンに暮らすトルコ移民クルナス一家の長男ムラートは、旅先のパキスタンタリバンの嫌疑をかけられ、キューバグアンタナモ湾にある米軍基地の収容所に収監されてしまう。母ラビエは息子を取り戻そうと奔走するが警察も行政も動いてくれず、わらにもすがる思いで、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルト・ドッケに助けを求める。やがてラビエはドッケからのアドバイスで、アメリカ合衆国最高裁判所ブッシュ大統領を相手に訴訟を起こすことを決意する。監督はアンドレアス・ドレーゼン。出演はメルテム・カプタン(ラビエ)、アレクサンダー・シェアー(ベルンハルト)ほか。

 

 まず日本配給したザジフィルムズの宣伝担当に一言。原題のRabiye Kurnazからなぜミセス・クルナスになったのか。また宣伝文句のオカン版『エリン・ブロコビッチ』って言うのもダサいし。というか『エリン・ブロコビッチ』の主人公は母親だったと思うのだが、せめてしっかり『エリン・ブロコビッチ』の内容は把握しておいてくれよ(というか本作はホワイトカラーの女性を悪そうに描かないのでずっと本作の方が好きだ)。あのゆるフワなポスターも映画の内容にあってない。数年前にSNS上で起きた#女性映画が日本に来るとこうなるというハッシュタグ運動を知らないなんて言わせないぞ。

 

 ラストにラビエとベルンハルトのご本人写真が出てくるのですが、それが役者と似ている。キャスティングの勝利ですね。アメリカの最高裁判所のシーンで一瞬だけルース・ベイダー・キンズバーグが出てくるが、驚くほど似ている。アダム・マッケイの世界観だった。

 

 時間の経過を字幕でしつこく何度も提示することで、ラビエとムラートがどれだけ長い間戦っていたのかを理解させる一方で、ムラートが帰ってきても戦いが終わらないことも提示し、解放=終わりではない複雑な出来事であることが分かる。私は本作と同じ日に『エドガード・モルターラ ある少年の数奇な運命』を観たのですが、奇しくも両作とも同じく意図せず誘拐された子どもを母が取り戻すために尽力する映画だった。ただ本作の方がずっと希望がある。こういうテーマの映画はたくさんあるが、母親に焦点が当たる辺りは去年観た『母の聖戦』と同じ。

 

 本作で一番ハッとしたのがドイツの首相が途中で女性のメルケルに変わった時にラビエがすぐに嘆願書?みたいなものを書くのだが、その根底にあるのが「同じ女性だから」すぐ動いてくれるはずだということで、この辺は女性のリーダーがいかにして市民から切望されているのかが分かるシーンだ。フェミニズムに遠そうな女性でも、どんな女性であれ市民は男性中心主義の政治にうんざりしているんだというのが世の中の共通理解なんだよね。メルケル首相の再評価みたいな映画がこれから増えてくるだろうな。