『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』 (Rapito) [2023年イタリア・フランス・ドイツ]
1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家に、時の教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、何者かにカトリックの洗礼を受けたとされるモルターラ家の7歳になる息子エドガルドを連れ去ってしまう。教会の法に則れば、洗礼を受けたエドガルドをキリスト教徒でない両親が育てることはできないからだ。息子を取り戻そうとする奮闘する両親は、世論や国際的なユダヤ人社会の支えも得るが、教会とローマ教皇は揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとはせず……。監督はマルコ・ベロッキオ。出演はパオロ・ピエロボン(教皇ピウス9世)、ファウスト・ルッソ・アレジ(サロモーネ)、バルバラ・ロンキ(マリアンナ)、エネア・サラ/レオナルド・マルテーゼ(エドガルド)ほか。
突然子どもが誘拐され、取り戻すために親が尽力する映画は古今東西いっぱいあるが、昔からの普遍的な出来事なのだろうな。家族と信仰と奪われた少年がそこで順応するために(この場合は生存と評するべきか)、生きていく手段としてカソリックに改宗し、それがいつの間にかエドガルド少年の全てになってしまった、あやまった社会化の恐怖を描いているが、同時に少年時代を家族と過ごす時間を奪われた1人の人間の悲劇ともとれる。死んでいく母親にカソリックの洗礼を与えようとするが、母はそれを拒否する。本作では母子の愛情を神聖視しない異質な映画だ。アメリカの映画では中々見られないラストだったと思う。こういう映画を観ると、アメリカ映画ばかり観てはいけないなと思うし、マルコ・ベロッキオ監督は御年で84歳になるわけで、アメリカの巨匠だけではなく、ヨーロッパの巨匠の作品にも頻繁にアクセスしないといけないな。
ユダヤ教と家庭と母に対してカソリックと教会&権威と教皇というのが、常に対比されてる演出をとっており、非対称の演出をセリフ無しだけど映像と音楽でみせる手腕は見事。ホラーじゃないけど十分怖い映画だ。エドガルド少年が教会で過ごし始める序盤で磔にされているキリストを見て何か異質な思いを抱くシーンとか、映画の前半は徹底してエドガルド少年の心理を深く探求していた。その反面でもうちょっと大人になったエドガルドが家族とカソリックの間で揺れ動く心理描写があってもいいのではないかと思った、そうじゃないと教皇の死体を河に捨てろと激高するエドガルドのセリフが唐突に感じたから。
ただ全体的に完成度の高い凄い映画だということは事実だ。確かに知識とか歴史に詳しくないと難しい映画だと思うが、映画としての出来栄えが尋常ではないことぐらいは伝わってくると思う。私が本作を観た時は私を含めて観客が10人くらいしかいなかったのですが、上映後に5人もパンフレット購入してたので、それくらい良かったということだろうし、もっとこの映画について知りたいと感じたということだろう。