@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『セールス・ガールの考現学』

『セールス・ガールの考現学』(Khudaldagch ohin) [2021年モンゴル]

 

 モンゴルの首都ウランバートルで家族と暮らしながら大学で原子工学を学ぶサロールは、ひょんなことから怪しげなアダルトグッズショップでアルバイトすることに。人生経験豊富な女性オーナーのカティアが営むその店には大人のオモチャが所せましと並んでおり、毎日さまざまなタイプの客たちがやって来る。サロールはカティアや客たちとの交流を通して、自分らしく生きることを学んでいく。

 

 監督&脚本ジャンチブドルジ・センゲドルジ。音楽はドゥルグーン・バヤスガラン。出演はバヤルツェツェグ・バヤルジャルガル(サロール)、エンフトール・オィドブジャムツ(カティア)ほか。

 

 モンゴルが単独で製作した映画は初めて観た。全体的には静かで地味な作風だが、モンゴル国内でもこの作品で描かれているような若い女性や中年の女性がオープンに性について語られる映画は少ないとのことで、それだけでもエポックメーキングな作品だ。

 

 セックス・ショップでバイトするというのは文字通りの強力な宣伝文句として使われているだけで(現にそれに成功している)、映画の内容は主人公のサロールが本当に自分がしたいことを、得るまでの成長物語でそこにメンターとしての中年女性のカティアの存在がある映画で、まあよくある題材だが、それが男性監督による女性の登場人物でできてしまうのは良いことだと思う。メンターとしてのカティアも奥行きのある人物になっている

 

 主人公のサロールも最初はあまり感情を見せないのだが、カティアと仲良くなったりバイトしたりすることでオシャレになっていくのは面白い。「いざおもちゃを使って自慰するぞ、男性を連れ込んでセックスするぞ」となってもあまり上手にいかないのも愛おしい。あのサロールが描いている絵の中にある流れ星の隠喩の正体が判明したシーンは笑えた。(男性目線な気もするが)

 

 また本作ではミュージカルのように音楽を担当したドゥルグーン・バヤスガラン本人が登場し歌唱するシーンが複数挟まれるので、おそらく主人公の心の変化を表現しているのだろう。ロックバンドの音楽がとても象徴的に使われているのだが、そこが全く翻訳されておらず、観客はただ音楽を聴くだけになってしまっており、特に意味のないシーンになってしまっている。これは完全に歌に日本語字幕をつけなかった配給側のミスだ。それだけで映画の面白さが半減してしまっている。

 

 映画の途中とラストでピンク・フロイドの『狂気』のレコードについて言及するシーンがあり、あれはサロールとカティアの成長と苦悩を表現しているのか。おそらく監督がピンク・フロイド好きだからなのか。ロシアの社会主義下での影響を強く受けて育ったカティアにとってあの『狂気』はきっともっと別の深い意味もあるだろう。なにぶん私はピンク・フロイドの『狂気』は知っているし聴いたこともあるが考察などはしないで聴いていたほぼニワカみたいな気分で聴いていたので、あのアルバムが大好きな人はこの映画を別の角度で考察するのかもしれない。

 

 最後に映画の悪いというか許せないところを一つ。主人公のサロールが犬と両親に内緒で勢力増強剤を仕込むシーンがあり、あれはおそらくこの映画の笑えるところらしいのだが、全く笑えないし特に犬なんて命の危険があると思う。監督の意図が犬も人間ももっと本来の生活を取り戻して欲しいと思ってこのシーンを入れたらしいのだが、さすがにそれはダメだろう。(モンゴルでの動物観が我々と違うのかもしれないが)