@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『わたしは最悪。』

 

『わたしは最悪。』(The Worst Person in the World)

 30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとするが……。

 

 本編は序章、本編の12章、終章とナレーターが存在する小説のような展開で進んでいく。夢や恋愛相手がコロコロ変わっていったり、倫理観もかなりガバガバな不器用な女性が主人公である。ウディ・アレン監督の影響を強く感じる。また映画の途中に日常の中に急にSFみたいな演出が入ったりと、ここは前作『テルマ』のヨアキム・トリアー監督って感じである。

 

 しかし私はこの映画が好きじゃない。というのも映画の随所にちりばめられる登場人物たちのスノップな会話や態度が気に入らないのだ。環境保護や民族文化に傾倒することを冷笑したり、フェミニズムに対しても冷笑している。何より主人公が父親にコンプレックスを抱いており、それゆえなのか劇中に勃起する前の男性器が好きというおそらくフロイトから影響を受けているのか言いたくなるセリフがある。というか女性の主人公の映画でフロイト持ち出すかね?またユリヤは常に付き合う男性と子どもを持つか否かみたいな悩みを抱いており、なんというか子どもを持つかどうかが女性の恋愛傾向に影響を及ぼすみたいな歪んだ理論を監督が抱いている気がしてならない。とうか近年だと『スワロウ』とか『透明人間』でも女性が子どもを持つことを恐怖みたいな感じでこれってかなり男性目線だと思う。女性監督の映画だとあまりそういう心配をするシーンはないので。

 

 また女性が主人公の映画なのに、観終わった時に結局ユリヤは何がしたかったのかが全く分からない。といういうのも最後は元カレのアクセルの死ぬエピソードに重点が置かれてしまっているからだ。こういう癌で死ぬ登場人物が生きている人間に何か残すみたいなテーマはこういう映画ではやるべきではない。また映画としてもナレーションが全く生きていないと思った。映画全体から男性の俺の理論を聞かせてやるよ、女性が主人公でね的な特権意識がだだもれてきて大変キツイ映画であった。