@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『PERFECT DAYS』

 

『PERFECT DAYS』 [2023年ドイツ・日本]

 

東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが、東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた。東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。監督はヴィム・ヴェンダース。脚本はヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬。出演は役所広司(平山)、中野有紗(ニコ)、田中泯(ホームレス)、柄本時生(タカシ)、アオイヤマダ(アヤ)、石川さゆり(ママ)、三浦友和(友山)ほか。

 

 なんか全編に渡って「こんなのありえない」がひたすら続く映画で、この映画の中で描かれることは何一つリアルでもフィクションでもない、唯一あるとしたらヴィム・ヴェンダースの映画なら邦画では許可がとれなさそうな音楽を流せるという事実とヴィム・ヴェンダース役所広司への愛情、この二つのみだ。それ以外は全部嘘だ。観ていて最悪を通り超して呆れ果て終いには恥ずかしくなった。追加料金払うから早く上映終わってくれとさえ思った。

 

 まずこういう生活に根ざした映画なのに平山の人物像がおそろしくリアルじゃない。清掃業をパートで担当しているらしいのだが、それではあんな文化水準のある生活を送るのは難しいし、そのくせ毎日夜は外食して、昼には一番高いサンドイッチを購入して食べる。普段からスーパーなりコンビニなりに行っている人は分かると思うがサンドイッチが一番高いんだ。それを平山は毎日昼に2個も食べる。製作側はおそらく普段買い物なんてしない、ボンボンの富裕層なんだろう。ボンボンが小市民の生活を描くなんて片腹痛いんだよ。こっちを馬鹿にしてのかんと思ったよ。

 

 清掃業に誇りを持っている人がいるのは全然悪いことじゃないんだけど、その誇りで生活できるほどの最賃を東京都は労働者に払っていない。それが問題なんだ。本作ではそれを描いていないし、おそらく最賃のことも知っていない。いやドイツでは清掃業で暮らしてい行けるかもしれないけど、平山のあの労働体型ではどうもこの日本では生活できないでしょう。私は平山があのアパートを経営しているのか、それとも脱サラしたのか、それとも相当実家が太いのか、どれかを想像しながら観てたけど、その辺は最後まで詳しく言及されず。とにかく労働が描けてない(映画製作って労働なのにね...)。特にあの後輩のタカシはいまどきあんな若者いるかなと思うくらいリアリティの無い若者で、おそらくこれも平山と言う中年男性のイノセンスさを強調するためだに存在している。日本の若者も描けてない。

 

 登場する女性たちなんて後輩のタカシよりもっと酷い描かれ方だ。邦画でもこんなひどい描き方しないよ...まずタカシが惚れていた水商売をしているアヤだ。なんかお金でをつぎ込まないと口説けないと一方的に勘違いされているアヤは平山の車でたまたまPatti Smithを聞いて、平山から人目置かれる。別にそれは悪いことではない。ただそれだけでアヤが平山に惚れてキスするまでの動機にはならなだろう。こんな薄っぺらい女性像は久しぶりに観たし、これはどっちの脚本のアイデアなのか知らないけど日本の若い女性に変な幻想を抱きすぎだろう。ヴィム・ヴェンダースもドイツにもアメリカにもこんな女性いるわけないのだから、普通にこのアヤの描き方には疑問を持ってくれよ。しかもアヤにキスされてから顔を頬らせて温泉で鼻の下を伸ばす平山のイノセンスさを愛らしく描くシーンまであってさ、飽きれた。次に公園で平山のことを興味深そうに観察していた名も無き会社員の女性。その女性を見て少し照れる平山、これも飽きれた。しかもその女性は平山がニコがいると付き合っているのかと勘違いして、なぜかニコに嫉妬する...この女性の存在意味が全く分からない、本当にもう飽きれた。次に平山の姪っ子にあたるニコが突然押しかけて何も知らない叔父さん平山に恋のような憧れを抱く...助けて観ていて本当に苦しかった。ませて何でも知っているオジサンの妄想を具現化したような女の子だ。自分で脚本書いていて恥ずかしいとかないのだろうか。平山の妹も平山という俗物に理解がある都合の良い存在だ。最後に平山が一方的に惚れているスナックのママ。そのスナックのママが元旦那と抱き合っているシーンを見て、嫉妬してやけ酒する...いい加減にしてくれよ。しかもその元旦那は余命幾場の無くて、ママの世話を任される平山、そして二人でがげふみをする、アホかよ。「この映画の女性たちは村上春樹の小説みたいだ」と感想で書いている人いたけど、まだ村上春樹の方が女性を描けているよ。とにかくこの映画の女性たちは平山のイノセンスさを演出するために存在するだけだ。

 

 ホームレスの存在すら平山という人間のイノセンスさを強調するためだけに存在する映画で、よく「なんで同じままでいられないのかね~」なんてセリフを吐けるのか。白々しくてもはや無感情である。エンドロールで流れるTOTOユニクロなどの有名企業の名前がこれでもかと出てくるのが証明しているように(衣装提供はユニクロらしいけど、だからこの映画の人間が来ている服は総じて全部ダサいのか)、この映画はボンボンによる東京オリンピックというレガシーに浸れる一部の特権を有するボンボンたちが自分たちのイノセンスさを信じ暇つぶしで作った映画だ。平山はいわば、このボンボンたちに身体を乗っ取られた主人公だ。その平山にイラつく私は、平山をスケープゴートにしてしまっている気がする。私が怒るべきはこの映画に出資した企業や人間だろう。