@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ザ・キラー』Netflix

 

『ザ・キラー』 (The Killer) [2023年アメリカ]


とあるニアミスによって運命が大きく転換し、岐路に立たされた暗殺者の男が、雇い主や自分自身にも抗いながら、世界を舞台に追跡劇を繰り広げる。監督はデヴィッド・フィンチャー。原作はアレクシス・ノレント。脚本はアンドリュー・ケビン・ウォーカー。撮影はエリック・メッサーシュミット。音楽はトレント・レズナー&アティカス・ロス。出演はマイケル・ファスベンダーティルダ・スウィントン、アーリス・ハワード、チャールズ・パーネルほか。

 

 Netflixオリジナル映画で11月10日より公開されるが、それに伴い一部日本の劇場でも公開されて、私の地元のイオンモールの映画館で公開されていたので観に行った。本当に観に行って良かったし、なんなら『MANK マンク』も公開されて欲しかった。原作が『ファイト・クラブ』のアレクシス・ノレント、脚本は『セブン』はアンドリュー・ケビン・ウォーカー、撮影は『MANK マンク』のエリック・メッサーシュミット、音楽がトレント・レズナー&アティカス・ロス、なんかもうデヴィッド・フィンチャー監督が揃えられる最強の布陣で製作された映画である。

 

 実は最近初めて『ファイト・クラブ』観たのだが、あれは本当に凄い映画だと思った。たぶん思春期とかに観たら人生観がおかしいことになっていたと思う、良かったよ大人になってから鑑賞して。っとまあ、なんで『ファイト・クラブ』の話をしたかというと、本作はタイラー・ダーデンがいない『ファイト・クラブ』みたいな映画だからだ。ほぼ『ファイト・クラブ』同様に主人公の独白で進んでいくし、おそらく主人公には名前が無い。しかしペルソナを使い分けているわたり凄く現代人だ。資本主義の奴隷で常に睡眠不足だ。スターバックスマクドナルドを好んでいて実は食に興味なさそう。本当に『ファイト・クラブ』みたいだ。

 

 ただしこの主人公にはタイラー・ダーデンというペルソナがいない。『ファイト・クラブ』は予言めいた映画だと言われていたが、実際の現実では資本主義が滅ばなかったし、戦争も紛争も虐殺も暴力も犯罪も差別も相変わらず起きてる。アメリカは相変わらずダメダメだ。だったらそれに付き従うように生きていくだけだと宣告するように主人公は暗殺を実行する。それも資本主義の市場と流通の流れにそって。現代社会では殺し屋も会社員も消費者もみんな同じ流れで生きている。だからその流れで資本主義の市場の論理で復讐を果たしていくのが本作の主人公だ。

 

 派遣業者、運転手、事務職、同業の殺し屋、お金持っているクライアント。主人公は市場の流れのように暗殺を実行していくが、最後の一番偉そうなクライアントは殺さない。このクライアントの表現が見事で、彼はジム通っていて、服が簡素なのがすごくリアルだ。ああいう奴って空調が整った場所を車で行き帰りするだけの人生だからだ、洋服はいつもシンプルで薄そうなんだよ。また同業者の殺し屋やクライアントは社会的資本が高そうでみんなユーモアと知性がある。一方で運転手の非白人の若い男性や事務職の女性は自分がなぜ殺されるのか疑問で自分の正義を強調し悪いことはしてないと自分の無実さにすがる。それに彼らは殺されてしまう前に命乞いもするし、死ぬ前にユーモアとかもない。この殺される側の人間の対比がすごくリアルでこの映画の複雑な部分だろう。殺される側の対比って実は見落とされがちだよね。それなのにこの映画で一番偉そうなやつは殺されない。しかしお前をいつでも殺せると脅すことで、実際に殺すよりも人間の行動を制限できるので実はすごく有用なのだ。この辺はなるほどって思った。

 

 ただしこの映画は悪いところもある。まず人種については結構鈍感で特に殺される非白人の男性たちの描写が悪い気がする。女性の扱いね、特に主人公の妻はよく出来すぎでしょう。『MANK マンク』でもそうだったけど、デヴィッド・フィンチャー監督って女性と結婚している割には配偶者である妻を他の女性と比べて良く描こうと思ってないよね。潔いというか。またユーモアもあんまりない。何なら前半は凄く退屈だったんだけど、製作側が表現したかったことが分かった瞬間、ギアがかかったように面白くなる映画だった。ただ理解しにくい作りだ。

 

 やはり本作はタイラー・ダーデン亡きあとの僕の映画みたいなのだが、『マトリックス レザレクションズ』のように自分たちの功罪に振り返るような要素は無い。むしろ全く違うんだけど、根底ではあまり変わらない感じがして、おそらく原作者の考えだと思うんだけど、どうもまたこの映画が変な信仰を集めなきゃいいけど。原作者はトランプに反対していたが、根底はリバタリアンなの感じだろうね、保守ではないけど。まあそれって実はすごくアメリカらしいんだけど、「サヨナラ、アメリカ」って言って実はアメリカ的な価値観を心底楽しんでいるんだろう。ただしそれがドミニカ共和国で余生を過ごすっていうのは逃げている感じにも取れて、あれってすごくメタ的な感じなのかな。最近も『ファイト・クラブ』を盲目的に辛抱する男性主義の奴らは知らんみたいなこと言ってたし。デヴィッド・フィンチャーの思想や政治観を批判するつもりはないけど、デヴィッド・フィンチャーが長年オスカーから不遇扱いされている理由ってどうもこの政治観に起因している気がするけどね。本人も分かってるでしょう。