@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『燃えあがる女性記者たち』

 

『燃えあがる女性記者たち』 (Writing With Fire) [2021年インド]

 

インドで被差別カーストの女性たちが立ちあげた新聞社「カバル・ラハリヤ」を追ったドキュメンタリー。インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、カースト外の「不可触民」として差別を受けるダリトの女性たちによって設立された新聞社カバル・ラハリヤ(「ニュースの波」の意)は、紙媒体からSNSYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして新たな挑戦を開始する。ペンをスマートフォンに持ちかえた女性記者たちは、貧困や階層、ジェンダーという多重の差別や偏見にさらされ、夫や家族からの抵抗に遭いながらも、粘り強く取材して独自のニュースを伝え続ける。彼女たちが起こした波は、やがて大きなうねりとなって広がっていく。監督はリントゥ・トーマス&スシュミト・ゴーシュ。

 

 本作はカバル・ラハリヤにいるミーラ、スニータ、シャームカリの3人の女性記者を中心に進んでいく。SNSで発信することに戸惑いながらも気骨あるジャーナリズム精神で活動する彼女たちを追っている。特に自分たちで取材相手に交渉するさいの交渉術みたいなコミュニケーション能力が鋭く、実はジャーナリズムには真実を報道しようという姿勢も大事だが、同時に活動していくうえでの多くの人に伝えたいという情熱こそ相手の心や大衆を動かすものだということが伝わってくる。

 

 カバル・ラハリヤは地元の小さい新聞と言う立場を最大に生かした活動をすることで、高カーストや男性中心で支えられている主要メディアでは報道できないもしくは報道する価値もないと思われていることを報道できる強さがあることを示しているが、それ以上に彼女たちの政治や権力を批判するメディアの姿勢を強く保っている姿勢からは学ぶことが多い。特にミーラの「批判することをしなければ、それが報道だと思われてしまう(つまり報道は記者の視線があるのだから宣伝とは違う)」と言う言葉は、政治や権力への批判を恐れスポーツや政府の広告のようなものばかり流す日本のメディアとその批判しないメディアの姿勢に慣れてしまって、それがそもそものメディアだと勘違いしている我々日本人に痛いほど響く言葉であった。

 

 ミーラやスニータやシャームカリたちもインド地方の差別的な文化や慣習を内面化していて、時にそれに抗いまたは内面化し譲歩して生活を送っている姿はすごくリアルで、生活でも仕事でも戦っている彼女たちの姿も捉えているドキュメンタリーだった。