@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『アステロイド・シティ』

 

『アステロイド・シティ』 (Asteroid City) [2023年アメリカ]

 

1955年、アメリカ南西部の砂漠の街アステロイド・シティ。隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっているこの街に、科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族が招待される。子どもたちに母親が亡くなったことを言い出せない父親、映画スターのシングルマザーなど、参加者たちがそれぞれの思いを抱える中で授賞式が始まるが、突如として宇宙人が現れ人々は大混乱に陥ってしまう。街は封鎖され、軍が宇宙人到来の事実を隠蔽する中、子どもたちは外部へ情報を伝えようとするが……。監督はウェス・アンダーソン。出演はジェイソン・シュワルツマンエドワード・ノートンスカーレット・ヨハンソントム・ハンクスマーゴット・ロビージェフリー・ライトティルダ・スウィントンブライアン・クランストンエイドリアン・ブロディ、リーブ・シュレイダー、ホープデイビス、スティーブン・パーク、ルパード・フレンド、スティーブ・カレル、マヤ・ホーク、マッド・ディロン、ホン・チャウ、ウィレム・デフォーマーゴット・ロビー、トニー・レボロリ、ジェフ・ゴールドブラムほか。

 

 相変わらずのパステルカラーとか撮影へのこだわりは凄いし、本作ではいつもより増してキャストが豪華である。特に私はトム・ハンクスとブライアン・クラストンとジェフリー・ライトとスティーブ・カレルとリーブ・シュレイダーが好きなんだけど、これらが一堂に会す映画なんて今後もこれからも無かったからね。本当に豪華だ。ウェス・アンダーソンは細かい演技指導しないだろうから最初から有名な演技できる俳優を集めるだろうし、俳優はみんな楽しいそうに演じているのは伝わってきた(相変わらず登場人物たちの感情は読み取りにくいけど)。

 

 まずどうしてこんなに複雑な構造(物語の中で物語を語る、またその内輪の様子とメイキングを見せる)にしたのだろうか。アステロイド・シティだけの物語にすれば良かったのに、それでもこれだけの入れ子構造にしたのだから意図があるのだろう。目覚めるために眠るがてら考えてみるとする。最近ネットやSNSなのでウェスフィルターが流行中である。フィルター機能で撮った写真が全てパステルカラーのいわゆるウェス調になるものである。またあらゆるパステルカラー調のものに対しての例えで「ウェスみたい」なる言葉もあるくらいである。ウェス・アンダーソン自身もこの現象に少なからず危機感を抱いていたり、自分の作家性が盗用されている感覚があったのではないか。確かウェス・アンダーソンもフィルター機能は批判していたし、作品自体にインターネットが登場しない。ナレーターと作家の存在を本作の中で提示することで、「これは舞台、物語ですよ」と強調していた。ゴダールの影響と言えばそうだが、単にウェス・アンダーソンという作家、ひいては映画界にはたくさんの作家と監督が存在していることを強く印象付けているような感じがあった(最近の作家のストライキと連動する作品かも)。

 

 前作の『フレンチ・ディスパッチ...』より本作の『アステロイド・シティ』の方が舞台がアメリカだったぶん話の内容は理解しやすいと思ったけど、「だから?これ何の話?」とも素直に思った。理解されない子供たちが、未曾有の危機と立ち向かい、大人はそれに傍観している感じなのは現実の気候変動危機とも関連していたり。またアメリカ映画特有の父と息子の関係、亡き妻の亡霊みたいなのを引きずっている感じがすごくクリストファー・ノーランみたいだと思ったんだけど、そういえば『オッペンハイマー』も『アステロイド・シティ』もきっと同じ舞台設定だろうな。こっちを合わせて観たほうが楽しいだろう。

 

 あと相変わらずだけど、女性の描き方は悪い。今までもおそらくこれからも作家性とうことで擁護され続けるだろうけど、それでも女性の描き方が一枚岩なんだよ。まだ一枚岩だけならいいんだけど、それく加えてなぜかヌードシーンがあるんだよ。あれは必要なのか。何か影があってなぜか主人公の男性に優しく接してくるのも謎だし。所謂マニック・ピクシー・ドリーム・ガールの発展形みたいな存在が本作ではスカーレット・ヨハンソンが演じているんだけど、彼女はさんざん今までもこんな感じの役を演じてきたけど、それを未だに彼女にふるウェスの女性の役者の使い方のヘタクソさ。それに珍しく女性同士が二人で喋るシーンがあるのに、そこに男性のナレーターが割って入って来るんだけど、これってウェスの「女性が描けてない」批判に対してのメタ的な返答だよね(ベクトル・テストを破壊しにきてる)。だとしたらヘタクソだし、むしろ女性が描けてないという批判を助長しているとしか思えない。そのセンスを保持し続けるのは今後の作品が心配になるレベルだ。

 

 またやはりというか、白人が多い。これも作家性で擁護されている部分だろうけど、さすがに白人が多くて、非白人は家具みたいになっている。もしくは白人が多すぎて、そのカラーを補うためにパステルカラーを採用しているのかと疑いたくなってくるレベルだ。この辺もすごくクリストファー・ノーランに似てるよな。