『Never Goin' Back / ネバー・ゴーイン・バック』(Never Goin' Back)
アンジェラと親友ジェシーは高校を中退し、兄やその友人と共同生活を送っている。バイトに明け暮れても極貧生活からは抜け出せないが、アンジェラはジェシーの誕生日に1週間のビーチリゾート旅行をプレゼントするため、家賃に充てるはずのお金で2人分のチケットを購入。不足分の家賃を稼ぐため無理な追加シフトを入れたものの、兄のせいで刑務所に入れられたり、誤って大麻入りクッキーを食べてしまったりと災難が続く。
A24が配給している。A24は2010年代に優れた青春映画を作ってきたが(多くが女性主人公で女性のクリエイターたちによって作られている)、本作もその流れの中の一作だろうか。
女性のオーガスティン・フリッゼル監督の実体験かつ自伝的な内容。パンフレットより、「10代で両親と疎遠だったため友達と同居し、自分で仕事を見つけ、自分の面倒は自分で見るという生活を送っていた。典型的な青春映画を観ても、自分の生活とは違うんだと思っていた。自分の過去は確かにつらいものだが同時にユーモアにもあふれており、他の人たちにも共感してくれることに気付いた」。映画化するにあたり、『ッスーパーバッド 童貞ウォーズ』のようにユーモアあふれる作品を目指したそうだ。確かに劇中には嘔吐や排せつのシーンだらけだ。オーガスティン監督にとって長編映画1作目らしいの、これくらい自由に作って正解だったと思う。(ちなみに監督のリアルでのパートナーは同じく映画監督のデヴィット・ロウリーだ。凄いカップルだ。)
私はこの映画は全部凄い面白かったのだが、1つ悪いところを言うと、これまで語られることのなかった女性たちの青春ストーリーもやはり白人が主体なのかと思わなくないな。劇中のアンジェラとジェシーの苦難や日常での振舞いにも白人女性の特権が出てしまっているので(例えば警察に捕まったことが映画の中ではユーモア溢れる演出みたいになっており、あれこそ白人特権で非白人からしたら笑えるところなんて一個もないだろう)。それにアンジェラとジェシーのダイナーのボスが黒人なのだが、彼が劇中で「私のようになるな、人生を楽しめ」と2人の心境を変える劇的なセリフを話すのだが(二人はキメている状態だったので真面目に聞いていたかどうかは不明だが)、セリフの意図は分かるが、なにぶん白人女性たちの都合の良い存在になってしまっている。監督としてもあまり重要人物にはしてなさそうだったので、あのセリフは役に言わせるか、最初から言わせないかにするべきだった。
同じくA24の『レディ・バード』、同じ影響元が分かる『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』と比べると、えらく本作の主演であるアンジェラとジェシーは誰からも守られてない、10代なら抱える必要のない金銭問題も抱えている。お金の描き方ならずっと本作の方がリアル志向だ(『ハスラーズ』を観た時と同じ気分になったし、どっちかというとこの映画は他の女性主人公の青春映画と比べるより、『ハスラーズ』のような労働者映画と比べるべきだ)。全くイイ子ではないが、愛すべき二人だ(一世一代の強盗だってあのバカな弟に邪魔される)。
世間的には全くイイ子じゃないかもしれないが、アンジェラとジェシーは私は大変真面目な人間だと思う。常に家賃をしっかり払わないといけないち思っている人間だし(水道代にも同じ気持ちを抱いている)、10代で抱える必要のない金銭問題も抱えているのにそれでも働かないとと思っているんだから。しかも2人のベニスビーチでドーナツ食べる夢だってとても現実的で小さい。非常にリアル志向の真面目な人間が抱く夢だ。おそらく2人のあの夢は今のアメリカの若者のリアルな姿だと思う。
あの夢を語るベニスビーチの話の中でも「こういうお店で働きたい」という労働の事が頭にあるわけで、とにかく彼女たちは労働者としてのアイデンティティが強く強調されていた。これは女性にとってのある種の搾取されたアメリカンドリームだなと思った(これが男性だと起業しようってなるんだよな)。