@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『あしたの少女』

 

『あしたの少女』 (Next Sohee) [2022年韓国]

 

高校生のソヒは、担任教師から大手通信会社の下請けであるコールセンターを紹介され、実習生として働き始める。しかし会社は従業員同士の競争を煽り、契約書で保証されているはずの成果給も支払おうとしない。そんなある日、ソヒは指導役の若い男性が自死したことにショックを受け、神経をすり減らしていく。やがて、ソヒは真冬の貯水池で遺体となって発見される。捜査を開始した刑事ユジンはソヒを死に追いやった会社の労働環境を調べ、根深い問題をはらんだ真実に迫っていく。監督&脚本はチョン・ジュリ。出演はキム・シウン(ソヒ)、ペ・ドゥナ(ユジン)ほか。

 実在の事件をモデルにしている。映画は前半は女子高生のソヒが実習生として働き始め疲弊し自殺に至るまでを、後半はソヒの自殺後から始まり刑事ユジンがどうしてソヒが亡くなったのかを捜査していき、学校や企業の権力腐敗に気づきそれに対峙するまで、そしてソヒが本当はどのような人間だったのかに気づくまでを描き、前半と後半で全く味わいの異なる映画である。ただしソヒの自殺した原因を観客は知っている状態で後半がスタートするので映画全体的に少し長すぎる感じもしたが、ソヒの主体性ができるだけ回復するよう努めたかったのではないかという監督の意思が伝わってきたので、この長さで正解だろう。

 

 労働力不足と少子化の問題を抱えている韓国で起きたことだが、これは日本の若者にも起きることだ。またソヒが働いていたコールセンターには若い女性社員たちしかいなかったが、彼女たちはユジンが言うように「一番気にかけられていない」存在だ。客にハラスメントを受けるし、それを最初から肯定している現場だ。わざと若い女性を配置して、客の不満のはけ口にしているのだろう。そもそもコールセンターに電話してくるってだけで、何か言ってやろうという消費者なわけだし。それに加えてノルマもあるのだ。

 

 本作を観ながらとにかくソヒのいた学校がダメすぎて全く子どもを守る気配がなかったことにイライラしていたのだが、本来守るべき子供を学校が守らないのは、利益中心で功利主義で学歴社会の成れの果てなのだろう。いかに学校に資本主義が参入すると教育が破壊されビジネス化するのかがしっかり伝わってきた。企業による教育の腐敗というテーマをコールセンターと学校に貼ってあった成績表というモチーフを何度も撮ることで上手に伝えていた。

 

 本作冒頭のソヒ1人のダンスの撮り方があえて表情が映らないようになっていて、少し怒っているような感じを受ける。長めにそのダンスのシーンを本編に入れることで、観客に違和感を残すやり方をしていた。ラストにソヒの遺留品のスマホに残したソヒのダンス練習映像を観ながら画面越しにユジンが号泣する。その映像でのソヒは笑顔だ。これは観客が抱いた違和感を回収し、ソヒのダンスを愛していたのだという姿を、彼女の尊い命が失われた悲しみと憤りをユジンと一緒に追体験する。またスマホのアプリを全部消したソヒが唯一残した遺産がそのダンスの映像で、それはソヒ自身が本当の自分を見てほしいという意志と心からダンスを愛していたソヒの人柄が分かる。また両親にダンスをやっていることを隠していたが、実は本当はダンスをやりたかったんだという夢があったことを知ってもらいたいというソヒの大きな意思の表れと共に、それでしか両親に本音を伝えられなかった、両親を心配させたくないというソヒの性格が痛いほど伝わってくる。本当に映画的に悲しくも力強いシーンだ。

 

 本作の演出は他の韓国のエンタメ作品とは趣が異なり、地味な演出だが、静かに力強い映画だ。特にこの手の強大な権力とその腐敗に対峙する感じの内容なら、他の韓国映画はきっと権力が倒れるところまでエンタメに溢れる感じで作られるだろうが、本作は違う。強大な権力を目の前に刑事のユジンが戦うことを決意して終わる。実在の事件をモデルにしているのもあるかもしれないが、自殺したソヒの心理と不条理と生きた証と若者の命を奪った会社や社会を描きたかったからこのような感じになったのかもしれない。少し胸糞が悪い感じだが、自殺したソヒの主体性を考えるとこの映画の描かれ方で私は十分だと思う。あまりにエンタメに寄りすぎてしまうと、逆にソヒの主体性が奪われてしまうかもしれないから。この権力の行方を曖昧にしたラストは日本映画のような気もした。ペ・ドゥナ演じる刑事のユジンが、『ベイビー・ブローカー』(是枝裕和)でも同じく刑事役だったので、おそらく監督は『ベイビー・ブローカー』を観たのではないか。

 

 ソヒは冒頭から不正義やセクハラやハラスメントには正面から抵抗する芯の強い女性で、会社の不正や搾取にも直接上司に抗議するし、理不尽な客にも抗議する。それでも上司の自殺を目の前にして心が崩れてしまい、終いには自殺してしまう。これはどんなに芯が強い人でも心のスイッチが突然切れて死んでしまいたくなる時があるのだという残酷性を提示している。ああいうときに本当に頼れる、弱音を吐ける、ありののままを受け入れてくれる大人の存在がソヒには必要だったんだよな。それを奪われてしまった若い女性の行きつく先が池の下(自殺)なのは、池の上が生きづらくて呼吸しづらい社会だからだ。あしたを生きる権利や活力を奪われるというのはこういうことだ。私はこの映画を観て、えらく感動したのだが、同時にとんでもない無気力状態にもなった。本当に凄い映画だった。