@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『エリザベート 1878』

 

エリザベート 1878』 (Corsage) [2022年オーストリアルクセンブルク・ドイツ・フランス]

 

1877年のクリスマスイブに40歳の誕生日を迎えたエリザベートは、世間のイメージを維持するために奮闘を続けながらも、厳格で形式的な公務に窮屈さを感じていた。人生に対する情熱や知識への渇望、若き日のような刺激を求める彼女は、イングランドバイエルンを旅して旧友や元恋人を訪ねる中で、誇張されたイメージを打ち破ってプライドを取り戻すべく、ある計画を思いつく。監督&脚本はマリー・クロイツァー。出演はビッキー・クリープス(エリザベート)、フロリアン・タイヒトマイスター(フランツ)、カタリーナ・ローレンツ(マリー)、ジャンヌ・ウェルナー(イーダ)ほか。

 

 日本盤ポスターからは想像できないくらい結構ヘビーな話で、映画の中のカラーも抑えめである。主人公のエリザベートは完全に現代からやってきた女性で乗馬やフェンシングなどスポーツに興味津々で男性的なところもあったり、モダンな歌が随所で流れてエリザベートの気持ちを代弁していたり、現代の感覚から当時の女性を捉え直すフェミニスト的な視点など、おそらくこの映画と同じテーマでかつ対極にあるのが『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ)だと思う。ただし『マリー・アントワネット』は少女の青春時代を捉えた青春映画的な側面があったが、本作でのエリザベートな40歳で躁鬱な気持ちや摂食障害睡眠障害を併発していたり社会から透明人間のように扱われているなどの現代の中年女性たちが抱えている悩みを抱えている。この中年女性エリザベートへの共感こそこの映画の肝だろう。 (私が本作の監督だったら正直ソフィア・コッポラと比較されるのは嫌だが、どうしても映画のテーマ上比べてしまったのは許して欲しい)

 

 夫であるフランツとの関係は微妙で、愛されたかった従妹は実はゲイだったという、愛されたい男性たちから愛されなかったというのは女性が主人公のラブコメみたいでこれもモダンな視点だ。そのモダンな感覚が一番出てくるのが肖像画と写真(映画)の対比だ。エリザベートを描く肖像画は偽りの姿で誇張された姿で描かれる、そのため大衆や周囲の人間たちから、その肖像画と本当のエリザベートの姿を比較して蔑んだりする。面白いのがフランツはその肖像画をすごく評価しているのだ。その肖像画と比べて代わり者扱いされている映画には、エリザベートの本当の姿が映っている。すごく解放されている姿で映っていて、変わりものだと思われている映画に、変わり者だと思われていたエリザベートの真実が映っていて、それを観るこの映画の観客は変わりもの扱いされていた映画とエリザベートに共感するように演出されていて、かなりモダンな視点で非常に巧みだ。

 

 ラストにエリザベートは船から飛び込んで死んだのかそれとも生きているのか分からないまま終わるのだが、この終わり方は『テルマ&ルイーズ』のようなラストだ。希望を託すラストではあるが、自殺がエリザベートにとってようやく訪れる自由だったのは皮肉なことだったかもしれない。すごく面白い映画だったのだが、王室にいて最後までその立場を捨てなかったエリザベートをモダンな人間のフェミニズムの感覚で捉えることじたいは、あまりフェミニズムと相性も良くない気もする。