@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』

 

アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』(Armageddon Time) [2022年アメリカ]



1980年、ニューヨーク。白人の中流家庭に生まれ公立学校に通う12歳の少年ポールは、PTA会長を務める教育熱心な母エスター、働き者でユーモア溢れる父アーヴィング、私立学校に通う優秀な兄テッドとともに何不自由なく暮らしていた。しかし近頃は家族に対していら立ちと居心地の悪さを感じており、良き理解者である祖父アーロンだけが心を許せる存在だ。想像力豊かで芸術に関心を持つポールは学校での集団生活にうまくなじめず、クラスの問題児である黒人生徒ジョニーは唯一の打ち解けられる友人だった。ところがある日、ポールとジョニーの些細な悪事がきっかけで、2人のその後は大きく分かれることになる。

 

監督&脚本はジェームズ・グレイ。出演はバンクス・レペタ(ポール)、アン・ハサウェイ(エスター)、アンソニー・ホプキンス(アーロン)、ジェレミー・ストロング(アーヴィング)、ジャイリン・ウェップ(ジョニー)ほか。

 

 本作はジェームズ・グレイ監督が通っていた私立学校での体験がモデルになっていて、差別とか家族の期待に反しながら芸術家を目指す話を軸に、公立学校の教育の質の低下と私立学校のアメリカの過剰な資本主義と自由意識を盲目に信仰することの危険性を提示している。そして主人公がそこからコッソリ抜け出すことで、ささやかな抵抗を描いたところで映画は終わる。

 

 しかし全体的に非常に薄味というか、あくまで公立学校と私立学校との教育格差と人種差別を描きながら、芸術家を応援してくれなさそうな家族との微妙な関係を描いているので非常にテーマがぼやけてしまってい感じが否めない。そこに賢人としての祖父との関係もあり、そんな祖父に言われる「差別の過去は形を変えてやってくる」が黒人のジョニーが逮捕されることに繋がっていくのだけど、まずそれが黒人のジョニーにだけやってくるのを白人(ユダヤ系)が主人公の映画でやるには、ジョニーの描写が薄いし、ジョニーの主体性みたいなものもない。(あの年齢で逮捕された黒人少年の将来がどんなものかは想像に難しくない) ただのポールの思い出話にだけ映る黒人少年みたいになっており、これは黒人の差別体験の表面だけを盗んだ盗用だと思う。

 

 というか本作はジョニーの体験の表面だけを盗用しただけでなく、音楽の流し方も表面だけを奪っている感じがある。まずこの映画自体はおそらくThe Crashの"Armgideon Time"からインスピレーションされていると思うが、それ以外の音楽に愛がない感じだ。一番愛を感じなかったのが、The Raincoatsの"Fairytale in the Supermarket"が流れるシーンである。朝にポールを父のアーヴィングがレコードを流して起こすシーンで流れるのだが、これを聞いた父が「へたくそだ」と一方的に断罪して終わるのだ。まあ確かにビートルズが好きなアーヴィングにとってThe Raincoatsのパンクはうるさいと思う。この指摘は正しいのだけど、だから女性でパンクでDIYのThe Raincoatsが素晴らしいのだ!映画でポールはそのThe Raincoatsの凄さについて父親に反論はしない。これが非常に勿体無いし、逆に音楽についての無知さを露呈してしまっている感じがする。

 

 そもそもインターネットもない1980年のニューヨークが舞台でThe Raincoatsを知っている12歳くらいの男の子は、それ自体に大変意味がある人物描写になるのだが、この映画はその辺に全く興味がないらしい。自分をモデルにしてるのに、自分に興味ないのかなジェームズ・グレイは?同じく少年時代をモデルにして1979年が舞台の『20センチュリー・ウーマン』はしっかりThe Raincoatsを主人公の少年が聞くことの意味をセリフにしてたので(The Raincoatsの音楽をうるさいという母親にしっかり反論する)、ジェームズ・グレイマイク・ミルズを見倣った方がいいのでは。音楽も黒人の差別体験も表象的で、この映画はその表象を楽しむだけの映画なのだろう。