@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『帰れない山』

 

『帰れない山』 (Le otto montagne) [2022年ベルギー・イタリア・フランス合作]

 

イタリアの作家パオロ・コニェッティの同名小説を映画化。北イタリア、モンテ・ローザ山麓の小さな村。山を愛する両親と休暇を過ごしに来た都会育ちの繊細な少年ピエトロは、同じ年の牛飼いの少年ブルーノと出会い、一緒に大自然の中を駆け巡る中で親交を深めていく。しかし思春期に突入したピエトロは父に反抗し、家族や山と距離を置いてしまう。時は流れ、父の悲報を受けて村を訪れたピエトロは、ブルーノと再会を果たす。
監督&脚本はフェリックス・バン・ヒュルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ。出演はルカ・マリネッリ(ピエトロ)、アレッサンドロ・ボルギ(ブルーノ)、フィリッポ・ティーミ(ジョヴァンニ)、エレナ・リエッティ(フランチェスカ)、エリザベッタ・マッズッロ(ラーラ)、スラクシャ・パンタ(アスミ)ほか。

 

 あの『ビューティフル・ボーイ』のフェリックス・バン。ヒュルーニンゲン監督とは驚きだ。しかし本作では実生活のパートナーでもあるシャルロッテ・ファンデルメールシュとの共同監督だそう。フェリックスの方は『ビューティフル・ボーイ』しか観たことないのだが、それだけ観て、本作を観て思うのはおそらくシャルロッテさんの功績がでかいのではないかな。むしろ彼女の単独作品が観たくなった。

 

 全体的に凄い良くて珍しく私は心から感動したのだが、まず撮影がとにかく凄い。イタリアとチベットでしっかり撮影してるし、何より画面から四季がしっかり伝わってきて、おそらく1年ほど撮影してたのでは。イタリアが舞台でこの撮影だと、どうしても『君の名前で僕を呼んで』との類似点を探りたくなるのだが、それでも『君の名前で僕を呼んで』はゲイの物語で、『帰れない山』はゲイの物語じゃない。友情の話だが、限りなく愛情に近い。ああ、ピエトロもブルーノもゲイで二人がカップルだったらどれだけ良い結末だったか。

 

 本作はとにかく男性の話だ。何となく現代社会に形は違えど適応しようとするピエトロと相反するように文明に適応できないブルーノの姿が痛々しい。そして何よりペエトロの父ジャヴァンニもそうだったのだ。劇中で息子のピエトロに「父さんは友達がいないでしょ」と指摘されるのだが、あれは凄いセリフだと思う。ブルーノもジャヴァンニも居場所がない孤独な男性だった。そんな居場所がない者同士が疑似的な父子関係でブルーノがすべき役割を担っていたのは面白い。しかしその疑似的な父子関係は素晴らしいが、少し幼稚なのである。

 

 幼稚で大人になれない男性で山がテーマだと、カウボーイ幻想を描いた『ブロークバック・マウンテン』でもある。どちらかというと限りなく本作は『ブブローバック・マウンテン』に近い。それでもピエトロもブルーノもゲイじゃない。ゲイだったらよかったのに(何度目...)。男性とは真逆に女性は現実的でなんだかんだで社会に適応して生きている。ピエトロも実は山での生活に憧れつつ、しっかりとそれが難しいことを理解し物書きで生計をたてる。二人の男性の生き方と男女の生き方の比較を上手く進行できている映画だ。

 

 しかし、ブルーノのことも一概に責められないのは、山の仕事や放牧などの仕事がなくなり、ほとんどが観光業になってしまっている現実がある。観光業というのは相当なコミュニケーション能力を必要し、ブルーノみたいな男性には向かない。それでも映画ではブルーノは向かない仕事を無理してやらず、「これは女性の仕事だ」と逃げるように言い訳をする。そこが彼の悪いところだが、気の毒でもある。そんなブルーノが落ちていくのは当然だが。昔ながらの仕事が喪失しているのも問題だろう。最後のブルーノの死は昔ながらの生活と文化の死であり、資本主義と合理社会の勝利だろう。

 

 消えゆく世界、文化、山、男らしさ、それに適応できず落ちていくブルーノとそれをどうすることもできず友情で支えているピエトロ。二人を子ども時代から描く本作はどうしたって観客が感情移入するのは男性たちのほうだ。男性中心的な話で、女性は端に追いやられている。もちろんそうなってしまうのも理解して映画を作っているはずだろう。この映画での女性は二人にたかるハエみたいな鬱陶しい存在だ。何より観客にもそう見えてしまう。それでもハエでいいじゃん、ハエにはハエの居場所があるんだよ。