@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『エンドロールのつづき』

 

エンドロールの後も人生は続く

 

 

『エンドロールのつづき』(Last Film Show)

 

インドの田舎町で暮らす9歳の少年サマイは、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。厳格な父は映画を低劣なものと考えているが、信仰するカーリー女神の映画だけは特別だと言い、家族で映画を見に行くことに。初めて経験する映画の世界にすっかり心を奪われたサマイは再び映画館に忍び込むが、チケット代を払えず追い出されてしまう。それを見た映写技師ファザルは、料理上手なサマイの母が作る弁当と引き換えに映写室から映画を見せると提案。サマイは映写窓から見る様々な映画に圧倒され、自分も映画を作りたいと思うようになる。監督はパン・ナリン。

 

 先人たちに感謝を映画の冒頭に謝辞が入るのだが、映画本編は本当に先人たちへのオマージュを感じさせるシーンがいくつも登場するし、それを隠してもいない。やっぱり一番リスペクトを感じたのは『ニュー・シネマ・パラダイス』だが(サメイと父の自転車二人乗りのシーンとかサメイとファザールの関係とか)、日本広報もそれを理解したのかその要素を強く推していた。あと『2001年宇宙の旅』はそのままオマージュされていたし、サメイと友達がひと夏の体験を経て成長するみたいな話は子どもが主人公の映画の鉄板だ。

 

 フィルム時代の映画だと思わせて実は映画の舞台は結構現代だ。(サメイの先生が2010年が何とかと言っていた) 主人公の父親は映画は俗物趣味だと切り捨てるが、カーリー女神を讃える映画は観に行くと言っていた。その讃えるには歌と踊りがつきものだが、だからインド映画は歌い踊り、インド人はみんな映画好きなのだなと改めて思ったり。みんな信仰の一種として映画館に行くのかななんても思ったり。

 

 本作はリアリズムとノスタルジーを上手に使っている。この静かな演出がインド映画らしくないのだが、この"らしくない"のが肝というか特徴だ。私は"らしい作品"も"らしくない"作品も両方好きだが、どうしても日本で上映されるのが"らしい"作品が多いので、本作が珍しく感じたのかもしれない(去年公開の『グレート・インディアン・キッチン』を観た時の同じ気持ちになった)。この"らしくない"作品になったのはおそらく製作国がインドだけではなく、フランスとの共作だったからなのかな。かなり大衆受けしやすいとうか欧州受けしやすい(確か『RRR』を抜いてアカデミー賞最優秀外国語作品賞のインド代表だ)。日本もフランスと共同製作し垢抜けした作品が増えてきたが、この流れは何もアジアでは日本以外でもあったのだなと思った。ただし日本では"らしい"作品が受けるので(特にインド映画は)、本作が日本人にどれくらい受けるのか分からないが。


 ラストのサメイの旅立ちのシーン。あれだけリアリズムを追求した作品なのに、劇的に映画的な展開になるのすごく面白かった。映画と映画館の外にある人生も大切にしているのが伝わってきた。


 映画と映画館への愛というより、フィルム上映への愛とノスタルシーの作品なので(欧米受けしたのはよく分かる、ここまで欧米映画への愛が詰まっていたら、選ぶ側の欧米人は気分が良いだろうし)、『ニュー・シネマ・パラダイス』感は薄いと思う。


 フィルムが消失して何か別のものに生まれ変わるシーンとか、子ども達によるDIYフィルム上映シーンとか、すごく良かったのだが(光の演出の巧みさ。改めて映画は原始的な作りなんだなと。)、少し感傷的な気もする。

 

 フィルム上映という文化が喪失しても、サメイとファザールの人生は何となく続くわけだし、この映画はその"後"をしっかり肯定的に描けていた(ただのノスタルジーにひたっているだけではない)。フィルムが新しい何かに生まれ変わること(スプーンとかファッションのアイテムとか)をしっかり描写していたシーンとサメイが故郷を旅立ち新しい人生を始めるシーンが重なっていたところは特筆すべきだ。このため『エンドロールのつづき』という日本語タイトルは秀逸の出来である。

 

 本作で悪い点を挙げるとしたら、母親の描写の薄さだ。弁当を作るシーンなんて美化しすぎているだろう。しかもその後特に母親の料理を深く追求する描写もないし。ここは監督の子ども時代の誰かの無償労働をそのまま描いてしまい、映画が鑑賞後の後味の悪さを出してしまったと思う。

 

 ラストにもたくさんの映名前が出てくるが、個人的に日本人監督でも小津安二郎の名前が挙がって嬉しくなった。なぜか黒澤明監督はフルネームで言われていたけど、小津は小津のみだった。