@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『由宇子の天秤』WOWOW

『由宇子の天秤』WOWOW

3年前に起きた女子高生のいじめ自殺事件の真実を追い求め、TV局の上層部と衝突を繰り返しながら、ドキュメンタリー番組の制作に精力的に打ち込む女性ディレクターの由宇子。そんなある日、彼女は、父親の政志の経営する学習塾に通う生徒の萌が実は妊娠しており、しかもその父親がほかならぬ政志であるということを萌から聞かされ、思わずビックリ仰天。由宇子は、萌の面倒を見ながら、事態の解決に向けて苦慮を重ねることに。

 

 ドキュメンタリーとは一つや個人の対象が複雑でそう単純ではないことを教えてくれる表現だが、この映画のメッセージはまさにそれだ。いじめ自殺事件は実は先生が一方的に生徒にせまっていたことが分かったし、同じタイミングで実は萌は同時に複数の男性(というか同級生の男子)とお金を貰って関係を持っていたことが分かり妊娠した子供の父親が実は本当に分からないこと、萌の父親が実はそんな悪い人間ではなかったこと、などが分かり正義とは何かを自分たちの間違いを認めることに葛藤する、そしてその事実の複雑性を観客に提示し映画が終わるので非常に後味が悪い。というかそれを意図的に狙っている。(上映時間が長すぎる気が...)

 

 まあ言いたいことは分かるし、我々は複雑性を拒否し、事実が単純であることを望んでしまう。しかし私はそのメッセージを提示したいがために、女子高生と妊娠中絶を映画のモチーフに使うのは正直いただけないというか、あまりふさわしくない気がする。現実でも援助交際など話題になるが、まず圧倒的に買っている側の男性が話題になることがないし、いつも女性側が一方的に非難や逮捕される。また中絶も現在の日本では女性が一人で判断して中絶することができないし、ましてや未成年の中絶は保護者の同意が必要だ。それが女性がどんな性生活を送ろうが、中絶するかどうかは女性自身に託されるべきであるべきにもかかわらずだ。そんな現在の問題があるのに、この映画のメッセージを伝えるのに女子高生と妊娠中絶を映画のモチーフに使うのはダメだと思うし、まだ早いのでは。(あとこういう女子高生側がファム・ファタールだったみたいなオチあはどうも日本の大人気コンテンツだ、ダサい。)

 

 あと映画の中ではナチュラルに由宇子と萌は日本特有の男性社会や男性自身の意識的または無意識的なミソジニーに出会ったりして(いわゆるダメ男たちに囲まれている感じ)、それを何となくこなして日常生活を送っているので(現行そうするしか生きていけない)、それが凄く辛くて共感できるので私はこの二人を責めたりはしない。