光や時間を受け入れることが始まり
『ファーザー』(The Father)
アンは80歳になった父親、アンソニーに認知症の兆候が見え始めたのを心配していた。アンソニーにヘルパーを付けようとしたアンだったが、気難しいアンソニーは難癖を付けてはヘルパーを追い出す始末だった。しかし、アンソニーの病状は悪化の一途を辿り、記憶が失われていくだけではなく、自らが置かれた状況すら把握できなくなっていった。困惑するばかりのアンソニーは苛立ちを募らせ、アンに当たることもあった。アンはそんな父親を懸命に支えていたが、気力と体力は消耗するばかりであった。
舞台が原作であるため、同じ場面での構成が多い映画であるが、自然や太陽の動きのショットを随所に入れることで映画と舞台の差をうまく表現できている。また主演のアンソニー・ホプキンスとオリビア・コールマンをはじめ出演している俳優はみな素晴らしかった。また認知症を追体験するような脚本と演出で正直観ているのが辛い。(薄気味悪くなるくらい)
この映画はおそらく、映画の終わりがアンソニーの人生の始まりである。認知症であることを認め、医者がアンソニーを無条件で受け入れて、そしてアンソニーが太陽の光を受け入れる。(=過去回帰ではなく時間が進んでいくという意味。アンソニーが過去を回帰したり認知症の症状が出たりしていたのはほとんど夕方だったし、アンソニーは腕時計がどこにあるのかを気にしており、また今何時であるかをすごく気にしている。今何時であるかを気にしているのは、時間を進んでいるのを受け入れているというよりかは、限りなく過去に執着しているからだ)
おそらくこれが認知症の人を受け入れるプロセスとして正しいのだと思う。そしてこのプロセスを医者や施設が請け負うというラストに、ものすごく現代的だと思う。ここに家族が入り込む余地はあまりない。そういう意味では『旅立つ息子へ』に似ている。最近は施設に入ることを肯定的に描く作品が多くなった印象がある。まあなんでも家族で解決するのは純粋に限界があるからね。
なおこの映画は男性中心的でセリフが割り当てられているのは全員白人の役者だったことは指摘しておきたい。