日本語タイトルを監督が知ったらきっと怒るだろうな
『テスラ エジソンが恐れた天才』(Tesla)
1884年、ニコラ・テスラは雇い主のトーマス・エジソンと対立して職を辞すことになった。エジソンが直流方式での送電システムを構築しようとしたのに対し、テスラが交流方式を採用すべきだと主張したことが対立の原因であった。両者の対立は電流戦争へと発展し、最終的にはテスラが勝利を収めた。しかし、その勝利がテスラに栄達をもたらすことはなく、発明のための資金調達に苦心する日々が晩年まで続いた。
本作はテスラに惚れたこともある令嬢、アン・モルガンの語りを通して、「天才肌の発明家」と賞されるテスラの実像を描き出していく。
普通の伝記映画と違って、スマホやシンセサイザーなどが出てきてかなりスタイリッシュに描かれていた。アメリカでの批評が悪いが、私はそのスタイリッシュさを楽しめたので悪くない映画だと思う。それにイーサン・ホークの歌声も聞けるしお得な映画だ。
それにしても日本語タイトルにエジソンの名前を借りるのは、この映画の存在意味に対してかなりとっ散らかった方向へ行っていると思う。テスラはエジソンとの電気戦争に負けて、エジソンより知名度で劣るからこの映画を作ったわけで、それなのにタイトルにエジソンの名前を入れるのはどうなのか。