@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『Away』

 

カタルシスが襲う素晴らしい映画なのに、日本限定オリジナルエンディングテーマがすべてを無にした...

 

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Away

 

『Away』

 

飛行機事故でたった一人生きのびた少年は、
森で地図を見つけ、
オートバイで島を駆け抜ける。
<黒い影>から逃れて、小鳥とともに

 

 ラトヴィアのクリエイターであるギンツ・ジルバロディスが数年をかけて一人で作り出したアニメーション映画である。90分未満でセリフがほとんどなく大変観やすく、なおかつカタルシスが襲ってきて、とても考察の余地がたくさん優れた映画であった。セリフはないのに、生活音にたいへん凝った作りをしており、確かにところどころ粗があるが、それでも良い映画だった。監督自身はこの映画をパソーナルな物語と言っている。以下は私の考察であり推察である。

 

 まず少年が最初にたどり着いた洞窟みたいな森は、家庭の隠喩だと思われる。そこで少年は水や食べ物を無条件で与えられる。そこにいれば食べ物や飲み物には困まらいが、洞窟はパターナリズムの温床のような場所である。やはり人間は自立するためにはパターナリズムから脱していかなければいかない。少年はそこから出ていく決意をする。これは人間が生まれて、成長し自立するまでの過程と似ている。

 

 そして少年はバイクに乗り3か所を越えて冬山を越え、人里につく。まず4つの場所の移動が四季を表しているのと同時に、人生の四季や過程や思春期を過ごす青年の成長をそのまま表している。洞窟という春から脱し、夏と秋を過ごし厳しい 冬を越えて生まれ変わる。

 

 人間の成長過程とパターナリズムからの脱却を描いた作品だとすれば、あの少年を追う黒い影はなんだろうか。私はこの社会を形成するパターナリズムであり父性であり母性(少年を包み込もうとする一連の流れが子宮の中にいる胎児の動きにそっくりだ)であり親であると思う。だから黒い影で具体的な形を成していないのだ。なぜならあの影は少年が洞窟にいる時だけは少年を襲ったりしせず、ただじっと見守っているだけであった。少年がいざ洞窟から出ていくと、少年を自分のものにしておかないといけないかのように少年を追いかけるのだ。パターナリズムからの逃走を好意的に描いているこの映画はアンチ家父長制映画であると思う。

 

 それでいてこの映画は子育てを少年の視点を通して追体験する映画であると思う。少年と洞窟から旅をともにし、時に少年がケアをし親のような役割をする小鳥は、この映画における黒い影から見た少年と同じ立場だ。少年から巣立つ対象であり、少年から巣立ちを決意した瞬間少年が自分の手元に置いておきたいと支配しようとした。この少年の支配行為は少年を追う黒い影と同じである。これはパターナリズムの世界ではパターナリズムから逃走しようとしてもいずれは自分が支配する立場になるかもしれない家父長制のなかにいる少年の立場を表している。しかしこの映画はアンチ家父長制映画である。少年は自らの支配性に気付き、しっかり小鳥の巣立ちを受け入れ自らの支配性を手放すのである。これは家父長的な世界や社会を生きる男性にはたいせつな行為であり気付きである。そしてその鳥に最後は助けれられるというのも示唆的で、家父長制に対して一つの対抗手段が提示される。ちなみにパターナリズムからの脱却を小鳥の巣立ちを比喩に表現した作品と言えば、グレタ・ガーウィグの『レディ・バード』に似ている。こちらも個人的な物語であった。

 

 セリフがなくそれでいて考察したくなるような大変すばらしい映画であったのに、映画の最後に流れる日本限定エンドロールがクソすぎる。なんかよく分からないバンドの日本語歌が流れるのである。映画の良さをすべて消している。最低な歌であった。この映画に最も似合わない歌詞やギターの音。ダサすぎる。もしこれから『Away』を観る方がいらっしゃったら、映画本編が終わったらすぎに席を立って出口へ急いでほしい。少年が洞窟から出ていくように。