強欲が美徳の時代に
『ワンダーウーマン 1984』(Wonder Woman 1984)
コロナ禍の中で何度か公開が延期されようやく12月18日に公開した作品。正直作品の内容が、「これアメリカの大統領選挙の前に公開させたかったのではないか」と思わせる内容であった。
まず84年が舞台と言うことで、この時代のアメリカの経済や価値観は強欲であることが美徳されていた時で、ヴィランのマックス・ロードもその時代の精神を具現化したような人物である。しかもモデルがドナルド・トランプなのではないかと思うくらい共通点があって、しかも劇中にホワイト・ハウスに乗り込んで、大統領に権力をさし出せとこんがんし大統領という立場ではなく、あくまで大統領職の権力にすがるあたり、めちゃくちゃトランプってぽい。また映画全体で言及される真実の重要性なんて、嘘ばっかりついているトランプに対しての批判のようであり、陰謀論が蠢く今のアメリカを痛烈に批判しているようにも感じ、とにかく現実性を帯びている内容だった。また今作ではダイアナのパワーにとらわれず、最後はみんなに話しかけるという形で問題を解決しており、これはパワーは必ずしも問題解決にはならないというヒーロー映画には珍しい解決の仕方で驚いた。まあヒーロー映画としてはたぶんつまらないのだろうけど、現実があまりに厳しいのでコロナ禍の時代ではヒーロー映画は受けないのかもしれない。
80年代アクション映画へのオマージュも随所にありユーモアが増えておもしろいのだが、恋愛描写が前作より長くそのそいで映画全体がもたついた印象になってしまっているのがもったいない。またバーバラの悪役へたどる描写もいまいちというか、一週間前に職場にきたばかりなのにダイアナ含め周りの職員へ劣等感を感じすぎでは?と思ってしまう。脚本も筋道が雑だったり、とにかく影響力が大きいワンダーウーマンの映画としては、あんまりうまくいっていない作品になってしまったと思う。勿体無い。