@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『アイアンクロー』

 

『アイアンクロー』 (The Iron Claw) [2023年アメリカ]

 

1980年代初頭、元AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの兄弟は、父の教えに従いプロレスラーとしてデビューし、プロレス界の頂点を目指していた。しかし、世界ヘビー級王座戦への指名を受けた三男のデビッドが、日本でのプロレスツアー中に急死したことを皮切りに、フォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われ、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになっていく。監督&脚本はショーン・ダーキン。出演はザック・エフロン(ケビン)、ハリス・ディキンソン(デヴィッド)、ジェレミー・アレン・ホワイト(ケリー)、スタンリー・シモンズ(マイク)、ホルト・マッキャラニー(フリッツ)、モーラ・ティアニー(ドリス)、リリー・ジェームズ(パム)ほか。

 

 映画では5兄弟と設定だが、本当は6兄弟で末っ子の男の子がいたらしく、彼も自殺したらしい...映画より実際の現実が不幸ってやりきれないよ。辛すぎる。監督が実話より映画の方をマイルドにした気持ちはすごく理解できる。

 

 ラストのケビン以外の4兄弟が天国らしき場所で再会するシーン。冒頭のケビンがジョギングしてた場所と同じで、あれはこれから一人で走って生きていけなければならなくなるケビンの人生の隠喩だったんだね。映画の冒頭とラストが重なる大事なシーンだった。天国の景色、あれは母親ドリスの頭の中のこうなっていて欲しい情景、描ていた絵の中だろうね、ラストに絵を描いていたし(文字通りの映像化でありああいうのは映画の強みだ)。母親ドリスは信仰で息子たちを守っていたというケビンの冒頭のナレーションがここでもしっかり回収されている。天国っていうのは、希望としての信仰であるということが示される宗教映画でもあるなと。

 

 全体的に凄く良い映画で、撮影も凝っている。プロレスに全く詳しくない私でも、プロレスシーンは興奮した。もちろん役者たちの演技は言うまでもない。特にザック・エフロンの表情だけで見せるシーンの連続に感動したよ。家族を通して田舎(時に校外)の80年代を撮るという面では監督の前作である『不都合な理想の夫婦』に似てる。前作はロングショットを多用していたが、本作ではプロレスのシーンでそれが垣間見れるも、実在の人物がモデルなためか、ケビンの視線を中心に据えていた。

 

 あんまり触れたくないのだけど、父エリックが本当に嫌な奴で、一番ヤバいのは子ども達に「Yeah Sir」って言わせているところだ(残念だけど日本語字幕だとこのニュアンスが上手に伝わらない)。銃に固執していて、周囲の人間を徹頭徹尾支配したいと思っている人間って確実に共通項があるなと(『プリシラ』のエルヴィス・プレスリーもそうだったが)。結婚式で妻ドリスが「もう妊娠の心配がないしね」なんて冗談で言うんだけど、あの冗談一つとってもエリックの妊娠観というか子どもに対する考え方が分かる。セリフ一つ一つに父エリックの毒っ気を潜ませる巧みさがある映画でもある。

 

 話の内容も父と息子大好きなアメリカで受けそうな内容だが、ケビンの息子たちの「僕たちもよく泣くよ」というセリフにあるように男性の禁欲的なジェンダー問題を描いている(まあこれもよくある題材ですが)。本当にアメリカは父と息子の話が好きなんだ。あとレスラーに限った話じゃないけど、80年代の業界人の体制の問題も指摘していたと思うし、兄弟たちの死に間接的に関与している業界も悪いしね。今は80年代よりよくなっていると思いたいよ。

 

『パスト ライヴス/再会』

 

『パスト ライヴス/再会』 (Past Lives) [2023年アメリカ・韓国]

 

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。監督&脚本はセリーヌ・ソン。出演はグレタ・リー(ノラ)、ユ・テオ(ヘソン)、ジョン・マガロ(アーサー)ほか。

 

 『フェアウェル』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『アフター・ヤン』『ミナリ』に続くA24が製作&配給するアジア系(韓国系アメリカ人女性)がメインの映画である。セリーヌ・ソン監督自身(女性)の経験が元になっていて非常に個人的なお話でもある。韓国の製作会社が関わっているだけあって、韓国内のシーンも丁寧に撮られている。それなのにこの空間には韓国人、韓国語、韓国的な物事しか映らないシーンも沢山あるのに、しっかりアメリカ映画でそこが感心した。どこかで見た景色や目新しさの融合や使い分けが非常に巧みだ。こういう映画をこれからもA24には製作&配給して欲しいと思う。

 

 ノラとヘソンの関係が、例え言葉が存在しない、でも大切ということで"縁"とか"前世"という言葉を使って何とか理解しようとするのがテーマなのかな。監督は"縁"をあきらめとか繋ぎとめておきたい何かとか、けっこうロマンチックに捉えているのだろう。私は"縁"を酷なモノと捉えているのだが、これは同じアジア系というより住んでいる場の違いによる文化の捉え方の違いだなと(まあ日本に住んでいても縁をロマンチックに捉える人は多いだろう)。

 

 派手な感情の演出を控えめにした王道のメロドラマというか、女性映画を移民でかつ女性である監督による再解釈という側面が大きい映画なのかなと。撮影も演出も"ゆらぎ"を意識しているというか、ノラの心の変化を捉えようとしている(それゆえ地味な映画だ)。ノラとヘソンの間にはいつも何か障害があるように観客に想像させたり、実際に物理的なその障害が映ってたりと(同じく"違い"に着目したメロドラマ『天はすべて許し給う』(ダグラス・サーク、1955)との共通点)、1人の女性を通して2人の男性を見る。"ゆらぐ"対象としての男性が2人出てくるので、おのずと男性がよく喋る映画でもあった(『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー、1954)との共通点)。

 

 女性がある男性に出会って、少し日常を逸脱して、色々あって結婚した男性の元に戻ってきて、愛を再確認するというのも、どこかヘイズコードの下で作られた女性映画のようだ(最近の作品で比較すると『ブルックリン』(ジョン・クローリー、2015)とも比較できる)。王道のメロドラマの再解釈だと思うが、これが今のアメリカでは珍しく捉えられたのも、今のアメリカがメロドラマを軽視しているからだろうな(かつてはメロドラマの大国だったのに)。

 

 アメリカで広く受け入れられて、アカデミー賞でも作品賞にノミネートされたのも画期的だと思われているが、よく考えればけっこう当然と言えば当然だと思う。けっこう男性がよく喋る映画だし、アーサーやヘソンの2人の男性も悪く描かれていないし(これが一番大きい!)、アカデミー賞に好かれる要素はけっこうある。A24が製作しているのも大きいだろうけど。まあ結局『バービー』『落下の解剖学』『哀れなるものたち』も、男性がよく喋らないといけない的なヘイズコードならぬオスカーコードでもあるのかね。トッド・ヘインズの反抗的なメロドラマが大好きな私にとっては、ちょっと納得がいかないオスカーのノミネート選考要素があるなと本作を観ながら思っていましたが、本作自体はとても良い映画だったと思う。

 

午前十時の映画祭14『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』


午前十時の映画祭14『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』 (Raiders of the Lost Ark) [1981年アメリカ]

 

第2次世界大戦前夜の1936年を舞台に、旧約聖書に記されている十戒が刻まれた石板が収められ、神秘の力を宿しているという契約の箱(=聖櫃)を巡って、ナチスドイツとアメリカの考古学者インディ・ジョーンズが争奪戦を展開する。監督はスティーブン・スピルバーグ。出演はハリソン・フォード(インディアナ・ジョーンズ)、カレン・アレン(マリオン)、ジョン・リス=デイビス(サラー)、デンホルム・エリオット(マーカス)、ポール・フリーマン(ベロック)ほか。

 

 今年度も午前十時の映画祭を開催してくれるようとても嬉しい。ただ今年はTOHO系で多く開催されるそうで、正直アクセスが悪いから今年度は前年度ほど観にいけないのが残念。ただ4月中の『インディ・ジョーンズ』シリーズの上映は駆け付けようと思います。

 

 私はこの映画を何回も観てるし、何ならセリフ言えるくらいだけど、やはり大画面で初めて観ると再発見がたくさんある。これは歪んだ見方だけど、マーカスとベロックがインディを見る時の視線がどうも恋をしている感じに見える。冒頭のマーカスがインディの家を訪ねるシーンは何かを期待しているような目つきで「あと5歳若ければ私が(調査に)行った」という発言も、何だかインディに私も連れて行って欲しいと懇願しているようである(完全に歪んだ見方ですね、同意は全く求めてません)。ベロックだって、インディに振り向いてほしいからずっと追いかけまわしてるんだよ。マリオンを手元に置いておきたいのも、インディを繋ぎとめていくためでしょ(同意は求めてません)。

 

 あとこれはあまり指摘されてないけど、ハリソン・フォードは大変演技が上手い。特に表情だけの演技。西部劇のヒーローがよく似合うし、彼が改めてハン・ソロとかインディ・ジョーンズの役に抜擢された理由が分かったよ。ハリソン・フォードはもちろんセクシーだと思うけど、セリフを言ってないとそれが余計に増す。もちろん今も大スターだと思うけど、もうちょっと前の40年代から活躍していたらもっと凄い役者になっていただろうな。昔の映画の役者って表情だけで色んな情報を観客に伝えてくれていたので。

 

 それ以外だと、娯楽作とこれ以上ない出来だが、まあ確かにマリオンや民族など時代錯誤な描き方は指摘されてしかるべきだろう。ずっとハラハラするテンポの良さも良い。映画館で観れて本当に良かった。

 

『COUNT ME IN 魂のリズム』

 

『COUNT IN ME』 (Count In Me) [2021年イギリス]

 

ロック界を代表するドラマーたちにスポットをあてたドキュメンタリー。クライマックスへ向けた特別なセッションへの道のりを軸に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス、クイーンのロジャー・テイラーアイアン・メイデンのニコ・マクブレイン、ポリスのスチュワート・コープランド、ロイヤル・ブラッドのベン・サッチャー、ザ・ダークネスのエミリー・ドーラン・デイビスなど、ドラマーたちがドラムの歴史や自身のキャリア、音楽やドラムそのものについて語り尽くす。監督はマーク・ロー。

 

 上記のあらすじに書いてある通りの音楽ドキュメンタリーである。各ドラマーがドラムをやるキッカケや影響を受けたドラマーを各々紹介していく合間に、ロック史の中でのドラムの役割や歴史的なドラマーを紹介していく構成である。ラストはドラムセッションなどもあり、観ていてとても楽しく、また勉強できる大変良い音楽ドキュメンタリーである。女性のドラマーを紹介して、また音楽業界にある性差別に言及していて、そこも良いと思う。また生前のフー・ファイターズのテイラー・ホーキンスも出ている。

 

 ただ音楽の紹介が90年代前半で終わっており、またどうしても白人中心の音楽史になっているのは否めない。ドラムマシーンもけっこうネガティブに紹介されており、それだとヒップホップ軽視みたいに見えるのもどうしたものかと思った。そもそもドラムマシーンなどは経済的に余裕がない人とか、音楽の知識やリソースが少ない人にとってはとても便利なものだと思う。そもそもこのドキュメンタリーに出てくるドラマーは親にドラムを買ってもらってドラムを始めた人が多く、それだとかなり親の社会的資本や経済資本に依存してしまうし、だからこそドラムマシーンをネガティブに紹介するのは、下手したら貧乏人は音楽するなというメッセージを与えてしまう可能性がある。

 

 それでもみんなが影響を受けたドラマーの話は面白いし、その映像も見えるのはとてもお得だと思う。特にThe Whoのキース・モーンの映像はハチャメチャすぎて今見てもだいぶ凄い。

 

『ブルックリンでオペラを』

 

『ブルックリンでオペラを』 (She Came To Me) [2023年アメリカ]

 

ニューヨーク、ブルックリンに暮らす精神科医のパトリシアと、現代オペラ作曲家のスティーブンの夫婦。人生最大のスランプに陥っていたスティーブンは、愛犬との散歩先のとあるバーで、風変わりな船長のカトリーナと出会う。カトリーナに誘われて船に乗り込んだスティーブンを襲ったある事態により、夫婦の人生は劇的に変化していく。監督&脚本はレベッカ・ミラー。出演はアン・ハサウェイ(パトリシア)、ピーター・ディンクレイジ(スティーブン)、マリサ・トメイ(カトリーナ)、ヨアンナ・クーリグ(マグダレナ)、ブライアン・ダーシー・ジェームズ(トレイ)、エバン・エリソン(ジュリアン)、ハーロウ・ジェーン(テレザ)ほか。

 

 監督がレベッカ・ミラー、音楽がブライス・デスナー、主題歌がブルース・スプリングスティーンっていう、バランスが取れているんだか取れていなのか、よく分からないけど、サム・レヴィの撮影がやたら凄くて、とにかくそれぞれの個性が活かされ過ぎていて、アンバランスな印象を受けた。脚本も「よくこの題材で一本映画を作ったな」と思うほど何かドラマ性が弱くて刺激が欲しくなるけど、現代の『ロミオとジュリエット』みたいで、脚本の刺激の弱さもキャストの魅力でカバー出来ていたので個人的には満足でした。

 

 ○○違いの恋愛が本作のテーマで、それがスティーブンとカトリーナ、ジュリアンとテレザの二組のカップルで描かれる。ただスティーブンとカトリーナは大人の恋愛だから良いとして、ジュリアンとテレザは微妙というか、ここが一番『ロミオとジュリエット』っぽい。ジュリアンが18歳でテレザが16歳で、かつ異人種カップルなのだが、それがどうもテレザの継父であるトレイは許せない。年齢差があることより彼氏のジュリアンが非白人であることが気に入らないようで、ジュリアンを未成年性交で訴えようとするが、このトレイから逃げるようにジュリアンとテレザは未成年の結婚が許されている州へ逃げるというのが本作の山場であり、かなり強引な点だ。ただこのトレイの人物描写がかなりリアルで、自分の娘が非白人(特に黒人男性)と付き合っているのは許せないくせに、自分自身は立場の弱そうな白人女性と結婚しているのだ。そしてその女性を守ることで自らの優位性を保持し優越感を感じる男性なのだろう。こういう男性って実際アメリカにいるだろうな(ドナルド・トランプがいい例だ)。しかもトレイが南北戦争にこだわりをもっていて、この自分たちの白人の歴史を保持したい研究したいと思っている白人男性は、そうじて問題アリみたいな意識がアメリカに存在しているんだろうね。

 

 テレザの部屋に私が大好きなWeyes Bloodのポスターが貼ってあって、大変音楽の趣味が良い子だと思ったのですが、監督がWeyes Bloodを好きなのか、それとも製作人の誰かが好きなのか、それともテレザ役の役者が好きなのか気になる。と言うのもWeyes BloodはSub Pop所属のインディミュージシャンでこういう映画ではあまり触れられないタイプのミュージシャンだからだ。こういう映画で自分の好きなインディミュージシャンのポスターが出てくると本当に嬉しいなと思った。何なら劇中歌でWeyes Bloodの曲流せば良かったのに。

 

『オーメン ザ・ファースト』

 

オーメン ザ・ファースト』 (The First Omen) [2024年アメリカ]

 

アメリカ人のマーガレットは新たな人生を歩むべくイタリア・ローマの教会で奉仕生活を始めるが、不可解な連続死に巻き込まれてしまう。やがて彼女は、恐怖で人々を支配するため悪の化身を生み出そうとする教会の恐ろしい陰謀を知る。全てを明らかにしようとするマーガレットだったが、さらなる戦慄の真実が彼女を待ち受けていた。監督はアルカシャ・スティーブンソン。出演はネル・タイガー・フリー(マーガレット)、ビル・ナイ(ローレンス)、ソニア・ブラガ(シルヴァ)、ラルフ・アイネソン(ブレナン)ほか。

 

 私は『オーメン』シリーズを全く知らないので本作だけの感想になる(グレゴリー・ベックが出演しているのを知っているくらい)。長編初監督とは思えないくらい、ホラーの王道を詰めたような巧みな演出で観ていてとても楽しい。途中まではローマカソリックの腐敗をマーガレットが暴くかのような感じでとてもハラハラする。それこそ現実で起きていた神父による児童への集団性的暴行事件を彷彿とさせる感じだ。

 

 ただマーガレットの正体が分かった瞬間から少し駆け足で強引になってしまったのが残念。もちろん前日譚の物語なので物語を大きく変えるというのに無理があるがのは理解できるが、それでもあのオチは見ていて非常に胸糞悪い。結果的に教会の権力に負ける話なのは残念だ。この辺は去年観た『エクソシスト』の前日譚と同じ気持ちになった。

 

 あとこの映画は非常に描かれている価値観が危ないというか、マーガレットが悪魔の子を妊娠していると知った瞬間に「この子を殺さないと」と中絶するのだが、結局それが失敗し、非常に苦しい出産を罰のように強いられるという形で女性が制裁される。もちろん作り手がプロライフということではないかもしれないが、結果的にプロライフ的な物語になってしまっている。また一貫して映画内では抗議活動が非常にネガティブなこととして描かれているのも非常に保守的な印象を受けた。そのくせにマーガレットが娘への愛に急に目覚めて育てたいという気持ちは美しく描くのも母性を神聖し過ぎと思う。

 

 本作はマーガレットが獣?みたいなものにレイプされるシーンがあり、それがかなり煽情的に演出されるので非常に気味が悪い。日本配給のHP見ている分には特に警告などないが、あの感じだと配給側から一言警告があってもいい気がする(ディズニー仕事しろ)。また一番許せないのが映画前半のマーガレットがある出産を目撃するシーンのモザイクだ。あのモザイクを入れないととPG12で公開できないから、ビビったディズニーがあのようなモザイクを施したのだと思うなら、だいぶ映画の品質を落としていた。まあ結局ディズニーも保守的だからな。

 

『RHEINGOLD ラインゴールド』

 

『RHEINGOLD ラインゴールド』 (RHEINGOLD) [2022年ドイツ・オランダ・モロッコ・メキシコ]


クルド系音楽家のもとに生まれたジワ・ハジャビは、亡命先のパリで音楽教育を受けた後にドイツのボンに移り住むが、両親の離婚により貧しい生活を余儀なくされる。ある日、街の不良たちに叩きのめされた彼は復讐のためにボクシングを覚え、「カター(危険なヤツ)」となってドラッグの売人や用心棒をするように。さらに金塊強盗にまで手を染めて指名手配された彼は、逃亡先のシリアで拘束されてドイツに送還され、刑務所内でレコーディングした曲でデビューを果たす。監督&脚本はファティ・アキン。出演はエミリオ・サクラヤ(ジワ/カター)ほか。

 

 ワーナーが出資しているけど、監督と主演はヨーロッパ組。ラップへの取り組みは『ガリーボーイ』っぽいけど、裏家業とか暴力をしつこく撮っているので、作品の方向性は音楽映画というよりギャング映画みたいな感じだった。ラッパーやプロデューサーとしての成功物語はラスト15分くらいですっぱりと済まされてしまう。ただ難民としての生きづらさからハスラーしていくさまを肯定的にスタイリッシュに撮っているあたりは潔い。まあどこまで脚色なのか分からないけど、ジワーが娘に喋っている気持ちは本当だろう。

 

 自己防衛としての暴力をかなりしつこく撮っていて、あの子どもの時のリベンジがジワの永遠の生き方になっていくのが示される一方で、せっかく自己防衛としての暴力にこだわって撮っているのだから、オランダのクラブで働くきっかけになった女性へのビンタするシーンは必要だったの?暴力の描き方に統一感がなくなってしまったような。またオランダでジワは売春の囲み業をやってるのだが、そこでムスリムは女性たちは働かせないようにして「○○の女はダメ、○○の女は良い」みたいな二項対立を肝心の女性たちがいない場所で男たちが争いの種にしているのがどうも気に入らなかった。そのくせにジワの守りたい妻や娘が良い感じで出てくるのが、すごく男性中心的な物語にしてしまっている。モデルになったカターが妻や娘にそういうものを見せたくないからこうなったのか、とにかくその辺はクリーンな映画だと感じた。

 

 シリアスな映画だと思わせておいて、けっこうユーモアある演出をとっている。この辺はマーティン・スコセッシガイ・リッチーからの影響かな。ただ男性同士の関係をエロチックに撮っていないので、ホモソーシャルに関してはけっこうドライな人なのかもしれない。あともうちょっとラッパーとしての才能に焦点を当てた描写も欲しいなと思った。