『パスト ライヴス/再会』 (Past Lives) [2023年アメリカ・韓国]
韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。監督&脚本はセリーヌ・ソン。出演はグレタ・リー(ノラ)、ユ・テオ(ヘソン)、ジョン・マガロ(アーサー)ほか。
『フェアウェル』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『アフター・ヤン』『ミナリ』に続くA24が製作&配給するアジア系(韓国系アメリカ人女性)がメインの映画である。セリーヌ・ソン監督自身(女性)の経験が元になっていて非常に個人的なお話でもある。韓国の製作会社が関わっているだけあって、韓国内のシーンも丁寧に撮られている。それなのにこの空間には韓国人、韓国語、韓国的な物事しか映らないシーンも沢山あるのに、しっかりアメリカ映画でそこが感心した。どこかで見た景色や目新しさの融合や使い分けが非常に巧みだ。こういう映画をこれからもA24には製作&配給して欲しいと思う。
ノラとヘソンの関係が、例え言葉が存在しない、でも大切ということで"縁"とか"前世"という言葉を使って何とか理解しようとするのがテーマなのかな。監督は"縁"をあきらめとか繋ぎとめておきたい何かとか、けっこうロマンチックに捉えているのだろう。私は"縁"を酷なモノと捉えているのだが、これは同じアジア系というより住んでいる場の違いによる文化の捉え方の違いだなと(まあ日本に住んでいても縁をロマンチックに捉える人は多いだろう)。
派手な感情の演出を控えめにした王道のメロドラマというか、女性映画を移民でかつ女性である監督による再解釈という側面が大きい映画なのかなと。撮影も演出も"ゆらぎ"を意識しているというか、ノラの心の変化を捉えようとしている(それゆえ地味な映画だ)。ノラとヘソンの間にはいつも何か障害があるように観客に想像させたり、実際に物理的なその障害が映ってたりと(同じく"違い"に着目したメロドラマ『天はすべて許し給う』(ダグラス・サーク、1955)との共通点)、1人の女性を通して2人の男性を見る。"ゆらぐ"対象としての男性が2人出てくるので、おのずと男性がよく喋る映画でもあった(『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー、1954)との共通点)。
女性がある男性に出会って、少し日常を逸脱して、色々あって結婚した男性の元に戻ってきて、愛を再確認するというのも、どこかヘイズコードの下で作られた女性映画のようだ(最近の作品で比較すると『ブルックリン』(ジョン・クローリー、2015)とも比較できる)。王道のメロドラマの再解釈だと思うが、これが今のアメリカでは珍しく捉えられたのも、今のアメリカがメロドラマを軽視しているからだろうな(かつてはメロドラマの大国だったのに)。
アメリカで広く受け入れられて、アカデミー賞でも作品賞にノミネートされたのも画期的だと思われているが、よく考えればけっこう当然と言えば当然だと思う。けっこう男性がよく喋る映画だし、アーサーやヘソンの2人の男性も悪く描かれていないし(これが一番大きい!)、アカデミー賞に好かれる要素はけっこうある。A24が製作しているのも大きいだろうけど。まあ結局『バービー』『落下の解剖学』『哀れなるものたち』も、男性がよく喋らないといけない的なヘイズコードならぬオスカーコードでもあるのかね。トッド・ヘインズの反抗的なメロドラマが大好きな私にとっては、ちょっと納得がいかないオスカーのノミネート選考要素があるなと本作を観ながら思っていましたが、本作自体はとても良い映画だったと思う。