@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『コヴェナント 約束の救出』

 

『コヴェナント 約束の救出』 (Guy Ritchie's the Covenant) [2023年イギリス・スペイン]

 

2018年、アフガニスタンタリバンの武器や爆弾の隠し場所を探す部隊を率いる米軍曹長ジョン・キンリーは、優秀なアフガン人通訳アーメッドを雇う。キンリーの部隊はタリバンの爆発物製造工場を突き止めるが、大量の兵を送り込まれキンリーとアーメッド以外は全滅してしまう。キンリーも瀕死の重傷を負ったもののアーメッドに救出され、アメリカで待つ家族のもとへ無事帰還を果たす。しかし自分を助けたためにアーメッドがタリバンに狙われていることを知ったキンリーは、彼を救うため再びアフガニスタンへ向かう。監督はガイ・リッチー。出演はジェイク・ギレンホール(キンリー)、ダール・サリム(アーメッド)ほか。

 

 アメリカが製作に絡んでいない。撮影はほぼスペインで行われているし、タリバンの顔も隠している状態でおそらく同じ役者が複数のタリバン兵を演じているようで、すごく映画的な嘘が溢れている作品だ。

 

 実話ベースでシリアスな作品だが(あるドキュメンタリーを観て映画化したらしい、他人事!!)、結局はいつものガイ・リッチーの映画のように感じた。社会派だとは思えず、ただジョンとアーメッドの二人が「カッコイイ」から映画を作ったとしか思えないな。その「政治的なことよく分からねー、ただカッコイイから」という態度こそ政治的なのですがね。イスラエル軍を表敬訪問したタランティーノもそんな態度でしょ。

 

 前半のジョンとアーメッドが軍の基地に帰ってくるまでのアクションは、いつもの街の中でこじんまりとしたアクションをするいつもの演出が活きていたし、後半のアメリカ政府はアテにならないから自力でアーメッドを探しに行くジョンとか、いつものガイ・リッチーだ。この政府がアテにならないから自分でどうにかしてやるって最近だと『ゴジラ-1.0』がそうだったけど...だからガイ・リッチーは日本で人気あるのかっ!

 

 ジョンとアーメッドのBL的な関係もさ(二人がヘテロセクシャルであることを強調するために家庭のシーンがあって、妻の存在なんてただの"動機"ですよ)、いつもの感じじゃん。そのくせ最後のタリバンを一掃するシーンは普通にアメリカ軍のプロパガンダに見えたけどね。というかこの映画の中で起こるタリバンが襲ってくるシーンとか、けっこう脚色が強いと思う。その脚色の強さがどうにも受け入れられず。どうせいつものガイ・リッチーなら、こんな実話ベースのシリアスな作品作るのなら、いつものスパイ作品作れ。

 

『ネクスト・ゴール・ウィンズ』

 

ネクスト・ゴール・ウィンズ』 (Next Goal Wins) [2023年アメリカ・イギリス]

 

2014年に「ネクスト・ゴール! 世界最弱のサッカー代表チーム 0対31からの挑戦」としてドキュメンタリー映画の再映画化。米領サモアのサッカー代表チームは、2001年にワールドカップ予選史上最悪となる0対31の大敗を喫して以来、1ゴールも決められずにいた。次の予選が迫る中、型破りな性格のためアメリカを追われた鬼コーチ、トーマス・ロンゲンが監督に就任し、チームの立て直しを図るが……。監督はタイカ・ワイティティ。出演はマイケル・ファスベンダー(トーマス)、オスカー・ナイトリー(タビタ)、カイマナ(ジャイヤ)、エリザベス・モス(ゲイル)ほか。

 

 初めと終わりに監督であり本作のナレーターでもあるタイカ・ワイティティが登場して「これは強く脚色した白人の救世主物語ですよ」と説明することで、観客に笑いの赦しを与える丁寧な設定であるが、少し卑怯な気もする。まあ低予算映画だし、気軽に観てねって感じか。全体的にテンポよく、笑えるギャグとかドタバダとかが多い。サモアが映画の舞台だけど撮影はほとんどハワイで行ったらしいが、サモアにルーツがある人をキャスティングしてる。

 

 予告編であった通りのことしか起きない映画なので、あのABBAの曲を使った予告編は映画の全てを説明した予告編だったんだね笑 ただその肝心のABBAの曲が本編で使われず、寂しい。その代わりにDolly Partonの"9 to 5"とSiaの"Chandelier"とTears for Fearsの"Everybody Want to Rule The World"が使われていた。それにしてもオセアニア周辺の人たちにとってのSiaはスターなんだね。『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』でも同じように車の中で大熱唱しているシーンでSia使われていたし。どっちかというと、Siaの"Chandelier"の歌詞がオセアニア周辺文化あるあるを歌ったよくある出来事なのかもしれないね。

 

 白人の救世主(男)を笑い飛ばすギャグをいくつか入れている割には話の展開がどうしてもトーマスを中心に回りすぎている感じも受けた。例えば別れた元妻との描写もなんかとってつけたような感じだし(意味ありげにほほ笑むシーンを入れるためにエリザベス・モスをキャスティングしたのだろう)、亡き娘の思いをジャイヤに重ねるのもなんだかな。そもそもジャイヤを西洋的な父子関係を押し付けすぎだ。ジャイヤの名前を間違えてトーマスを殴っても、ジャイヤから謝罪するっていうのもきれいごとのように思えた。

『犯罪都市 NO WAY OUT』

 

犯罪都市 NO WAY OUT』 (The Roundup: No Way Out) [2023年韓国]

 

7年前のベトナムでの凶悪犯一斉検挙に関わった怪物刑事マ・ソクトは、ソウル広域捜査隊に異動し、ある転落死事件を捜査していた。そして捜査を進める中で、事件の背後に新種の合成麻薬と、日本のヤクザが関わっているという情報を掴む。一方、ヤクザの一条親分は、麻薬を盗んだ組織員たちを処理するため、「ヤクザの解決屋」と呼ばれる極悪非道な男リキを、極秘裏にソウルへ送りこむ。さらに汚職刑事のチュ・ソンチョルが消えた麻薬の奪取をもくろんでおり、マ・ソクトはリキ、チュ・ソンチョルという2人の凶悪な敵を相手に、三つどもえの戦いを繰り広げる。監督はイ・サンヨン。出演はマ・ドンソク(マ・ソクト)、キム・ミンジュ(マンジュ)、イ・ジュニョク(ソンチョル)國村隼(一条)、青木崇高(リキ)ほか。

 

 3作目にして日本のヤクザが出できたので、本作は本当にワイスピみたいになってきている。ただ東京が舞台ではなく本作は韓国を脱出しなかったようで、ここでも東京ロケの難しさを思い知った。また國村隼もちょっとした出てこないし、電話口のみの出演で物足りないが、もしかしたら何かのりうつっているのかもしれないし、本当に特別出演って感じ。それと違って青木崇高はけっこうメインどころで出てくる(刀振り回す)。日本語も別に違和感ないのだが、一条がソンチョルと電話しているシーンで明らかにあの通訳をしている女性はけっこう韓国語を省略しすぎて日本語に通訳していたのだが(日本語シーンと日本語字幕が違いすぎる!)、あの女性は誰かのスパイとかではなく、ただ純粋に製作側があまり日本語に力を入れなかったようだ。シリーズ化するのなら、もっと言語の正確性に力を入れて欲しいなと思う反面、言語について日本人が韓国映画に向かって意見するのも少し気が引ける。

 

 それ以外はいつも通り凄く面白い。まあ黒幕は最初から提示された状態で話が進むのだが、それが分かっていてもアクションとかギャグとかが良いので面白いんだよ。マ・ドンソクが「ハイハイ」とか言いながら平手打ちするだけなのに、これがかなり笑えるんだ、本当に罪だよね(警察が市民に暴力を振るっているのに!!)。これからもこのシリーズを続けて欲しいと思う。

『ソウルメイト』

 

『ソウルメイト』 (Soulmate) [2023年韓国]

 

絵を勉強しながら世界中を旅したいという夢を抱く自由人のミソ。そんな彼女に憧れを抱きながらも堅実に生きることを願うハウン。性格も価値観も真逆な2人の幼なじみは、楽しい時もさみしい時もずっと一緒だった。そんな日々がずっと続くと思われたが、ある出会いをきっかけに2人の関係は急激に変化していく。互いのことを思い合いながらもすれ違い、やがて疎遠になって16年が過ぎたある日、ハウンはミソにある秘密を残し、こつ然と姿を消してしまう。監督はミン・ヨングン。出演はキム・ダミ(アン・ミソ)、チョン・ソニ(コ・ハウン)、ピョン・ウソク(ジヌン)ほか。

 

 本作鑑賞中にずっと「この映画の話知ってるな」なんて思ってたら、エンドロールにて『ソウルメイト 七月(チーユエ)と安生(アンシェン)』の韓国版リメイクだと判明し納得。ちょっと前に『ソウルメイト 七月(チーユエ)と安生(アンシェン)』を観たことがあるが、そちらも結構重たい話だったのだが、韓国版リメイクである本作はちょっとだけ笑える感じにもなっている。それでも本作最大のドラマパートがジヨンだったり、出産と死なので少し古いようにも感じる。

 

 本作は1990年代から子ども時代を過ごし2000年代に青春を迎えたであろう監督の過ごしてきた日々が時代(と言っても数年単位)と共に携帯やデジカメやら映すカメラを通して綴られるのが何とも郷愁意識をくすぐられる(それ以外だとゲームとか洋服とかだった)。絶対同じ歳だな監督とは。とにかくその人を切り取って大事に物理的に思い出をしまっておきたいという気持ちがカメラで写真を撮るとか絵を描くとかの行為で行われていて、それが大事なモチーフになっている。実はこれはかなり能動的な行為であるが(本人はそれを当たり前だと思っていたが)、その能動性が最後にはハウン自身の行動動機にしっかり繋がっている。

 

 ハウンの怒りがピークになった瞬間に明かされるハウンのミソへの恋心を最後まで詳しく追求せず、ハウンとミソの若い女性の自己実現への物語である。恋愛より大事なことは確かにあると思うし、夢ができたなら絶対に追うべき思うし。ただ2024年だし、普通にハウンのミソへの恋心、恋模様をしっかり描いていてもいいのではないかと思う。しかし一方でハウンはミソへの愛があるからこそ、ジヌンとの関係を続けていたのではないかとも思う。そう思うと本作はハウンのミソへの非常にクィアな愛を描いているとも評価できる。この一筋縄ではいかないクィアな恋模様はやはりアジア映画によくみられるのだけど(『ユンヒへ』もそうだよね)、やはりまだ正々堂々と同性愛を描くことは難しいのかなとも思った。

 

 あとこれは本作の評価とは関係ないのだが、冒頭のミソとハウンが学校をさぼってピアスの穴をあけるお店で、一瞬ミニオンズの人形が映りこんでいた気がしたのだが、あの時代にはまだミニオンズは登場してなかった気がするんだけど、あれは映画的なミスだよね。

 

『梟 フクロウ』

 

『梟 フクロウ』 (The Night Owl) [2022年韓国]

 

盲目の天才鍼医ギョンスは病の弟を救うため、誰にも言えない秘密を抱えながら宮廷で働いている。ある夜、ギョンスは王の子の死を“目撃”してしまったことで、おぞましい真実に直面する事態に。追われる身となった彼は、朝日が昇るまでという限られた時間のなか、謎を暴くため闇を駆けるが……。監督はアン・テジン。出演はリュ・ジュンヨル(ギョンス)、ユ・ヘジンほか。

 

 とにかく良く出来ている映画だ。スリラー演出とか本当に凄くて(特にポスターで使われているシーン!!)、同じ回観た他のお客さんから度々「うわっ」みたいな声が漏れていた。それに加えてお話も面白い。前半はギャンスの宮廷内の成り上がり物語で王たちから気に入られたりコメディリリーフな友達ができたりとしっかりした宮廷モノだ。後半は宮廷内の権力争いに巻き込まれてどうにか自分を守ろうとする話で、これもれっきとした時代劇だ。ラストの10分はギャンスが自分と大切な人々を殺した王への復讐を果たすので復讐譚になる。とにかくよく出来ている。それに加えてユ・ヘジンの権力を振りかざす悪い王ぶりを魅力的に見せてくる。

 

 宮廷と言う男たちの世界で声を無視されるであろう障害者、子ども、女性という3人がどうにか無念を晴らしたいと奮闘し、最後にギャンスは自らの宮廷での立場も捨てて権力をも否定する。また王への革命もしっかり描いている。徹頭徹尾弱者への視線が貫かれている。

 

 ただ本作のスリラー演出はギャンスの弱視に起因して起こるので、ちょっと不誠実だなと思うけど、ああやってギャンスのように生きている人は今もたくさんいるだろう。ギャンスを誤解する周りが悪いんだ。またもうちょっと女性の出番を増やして、ギャンスと一緒に王の悪事を暴くとかしたら個人的にもっと面白くなった気がした。

 

『瞳をとじて』

 

瞳をとじて』 (Cerrar los ojos) [2023年スペイン]


映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報が寄せられ……。監督はビクトル・エリセ。出演はマノロ・ソロ(ミゲル)、ホセ・コロナド(フリオ)、アナ・トレント(アナ)ほか。

 

 ビクトル・エリセ監督は御年83歳であるが、生涯で本作を入れて長編映画は4作しか製作していない。非常に寡作な監督である。しかも本作が30年以上ぶりの新作である。そう思うと1つのシーンごとが貴重に思えてきたし、何なら2時間50分という長時間も全く嫌味じゃない(ただ私は本作鑑賞時に非常に空腹であり、お腹が鳴って周りに迷惑をかけないように一人格闘していたため、やはり3時間近くの上映時間は素直に長く思えた...)。

 

 静かな演出で進んでいくけど、アナが出てきたときなど必要以上に表情をクローズアップで撮ったり、時々暗転して1つのシーンが終わり次のシーンヘ進むみたいな演出で映画の枠組みを超えてきて「今私が見せられているのは本作の中で上映されている映画のワンシーンじゃないか」と疑いたくなる境界を曖昧にさせる演出など飽きさせない。恥ずかしながらビクトル・エリセの作品は初めて観たので、それが監督の作家性なのか特徴なのか分からず。ビクトル・エリセの過去作をチェックしたいと思った。

 

 撮影や演出は良いと思ったが、肝心の話がどうも個人的には好きじゃなかった。そもそも記憶を無くした(?)と思われているフリオに対してガンガン過去を暴いていくというミゲルの行動が利己的に見えるし、いくらフリオは記憶障害を抱えていても、高齢者施設の職員があんなにフリオのことをベラベラ喋るかな?それに個人情報を警察でもないミゲルに明かしすぎじゃないかとすら思った(これは私の職業上どうしてもツッコみたかった)。そのミゲルの利己的な行動はアナに対してもそうで、5歳の時以来会ってない父親フリオに無理矢理会ってもらおうみたいな行動っておかしくないかな。アナの役どころもけっこう都合が良い感じ。ただミゲルが撮ったあの映画の内容でも顕著だけど、本作では作家の一方的で利己的な行いがテーマなのかもしれない。

 

『ボーはおそれている』

 

『ボーはおそれている』 (Beau Is Afraid) [2023年アメリカ]


日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。監督&脚本はアリ・アスター。出演はホワキン・フェニックス(ボー・ワッセルマン)、パティ・ルポーン(モナ・ワッセルマン)、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト)、ネイサン・レイン(ロジャー)、エイミー・ライアン(グレース)、ドゥニ・メノーシュ(ジーヴス)、カイリー・ロジャース(トニ)、ヘイリー・スクワイワーズ(ペネロペ)、パーカー・ポージー(エレーヌ)、リチャード・キング、ビル・ホーダー、マイケル・ガンドルフィーニほか。

 

 アリ・アスター監督の批評ないし考察は世に沢山溢れているのでここでは簡単な感想を。今までのアリ・アスター作品は「女性が何かしらの才能や強かさを持った高潔な人物」で「男性は身体だけを乗っ取られる空虚な存在」なんだという作家性があって、それを女性が主人公の作品で作っていたので、良い意味で毒っ気が中和されていて、それに加えてホラー作品で好みは別れると思うがすごく観やすい作品だったのだと思うが(それゆえ"癒された"感じる人がいて当然だと思う)、本作は若干過去の作家性を引き継ぎつつ新しいことにチャレンジして、かつ男性が主人公になってしまったことによってアリ・アスターの毒っ気が前面に出てしまっており、作品を観終わったころには監督の理性を疑う始末になってしまった。ただ凄く意欲的でよく出来ている作品だと思う。

 

 そもそも映画の冒頭からA24のロゴと一緒にモナの会社のロゴが出てくるので、映画のオチとしてはモナ自身がこの映画すら支配しているというかなりメタ的な視点で始まり終わる映画で、肝心のボーも見ている世界が危険まみれで、ボーの視点から見る人間はみんな危ない人間なのだが、そもそもボー自体が信用できない語り部みたいな主人公で、冒頭のボーの危険な世界も結局ボーの誇大な妄想なのか?とすら疑いたくなるし、となると本作自体が全て妄想かとすら疑いたくなる。まあそういう映画があっていいと思うが、個人的には好きじゃない。何なら同じ神は全てを見ているというテーマなら『トゥルーマン・ショー』の方がずっと親切で面白い映画だ。

 

 それでも「やっぱりアリ・アスター好き」「アリ・アスターの映画気持ち悪い」とみんなで共同体験できる映画って少ないので、これからもアリ・アスター監督にはこういう映画を作り続けて欲しいなと思う(本人もそれが分かっていてあえてネットのミームという役どころを引き受けている気がする。彼はそんなことぐらいわかっていると思うし)。