@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』

 

『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』 (Five Nights at Freddy's) [2023年アメリカ]

 

弟が謎の失踪を遂げ、事件の悲しい記憶から立ち直れずにいる青年マイク。妹アビーの親代わりとして生計を立てるため必死に仕事を探す彼は、廃墟となったレストラン「フレディ・ファズベアーズ・ピザ」の夜間警備員として働くことに。「モニターを監視するだけ」という簡単な仕事のはずだったが、妹を連れて深夜勤務に就いたマイクは、かつてそのレストランの人気者だった機械仕掛けのマスコットたちが眼を怪しく光らせながら自ら動き出す姿を目撃。マスコットたちはかわいらしい姿から一転して凶暴化し、マイクや廃墟の侵入者を襲い始める。監督はエマ・タミ。出演はジョシュ・ハッチャーソン(マイク)、パイパー・ルビオ(アビー)、エリザベス・レイル(ヴァネッサ)ほか。

 

 不真面目な映画を期待していたのだが、案外真面目な映画でけっこう期待を裏切られてしまった。同じくブラムハウスの『M3GAN ミーガン』もけっこう真面目に家族の問題を取り扱っていて、結局子供の成長には本当の人間の親の愛が重要なんだという保守的な感じで終わって失望したのだが、本作も細かい違いはあるが妹アビーの世話に疲弊しているマイクの状況を改善せず、兄の妹への無償の愛をそのままにして映画は終わってしまった。あれだけマイクがアビーの世話で疲弊しているなら、まずはマイクとアビーを引き離すべきなのに、だから叔母さんはアビーを引き取ろうとしているのに、この映画の中では叔母さんは最後まで嫌な奴で終わってしまった。

 

 あとマスコットたちも案外優しくてびっくり。もっと人間狩りみたいなことをしても良かったのにね、去年観た『サンクスギビング』のほうが面白かった。というかこの映画は全年齢対象のソフトなホラーみたいで、もしかしたら私はこの映画の観客じゃなかったかも。脚本もアラがあるし、そのくせにドラマ性を際立たせる泣かせる系の演出をしてくるのもクサい。ただけっこう普段映画館で見ない若者グループみたいな集団が複数いたので、配給の宣伝効果はあったんじゃないかな(きっとその子たちも肩透かしを食らったと思うけど)。

 

『コット、はじまりの夏』

 

『コット、はじまりの夏』 (An Cailin Ciuin) [2022年アイルランド]

 

1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みを親戚夫婦キンセラ家の緑豊かな農場で過ごすことに。はじめのうちは慣れない生活に戸惑うコットだったが、ショーンとアイリンの夫婦の愛情をたっぷりと受け、ひとつひとつの生活を丁寧に過ごす中で、これまで経験したことのなかった生きる喜びを実感していく。監督&脚本はコルム・パレード。原作はクレア・キーガン。出演はキャサリン・クリンチ(コット)、キャリー・クロウリー(アイリン)、アンドリュー・ベネット(ショーン)ほか。

 

 私の地元の映画館や電車で1時間以内に行ける映画館で本作の公開が無く、泣く泣くCSで放送されるまで待つしかないかなと思っていたが、どうもSNS等で高評価で私が好きそうなスタイルの映画なので、頑張って遠出し新宿シネマカリテにて本作を鑑賞してきた。結果、本当に遠出してでも観に行って良かった、本当に素晴らしい映画だった。

 

 マイク・ミルズセリーヌ・シアマらと同じく子どもへの眼差しが優しく映画であった。私がたぶん子供みたいな性格なので、どうしても子供への眼差しが優しさに溢れているこういう映画にめっぽう弱いみたいだ。全体的に『カモン カモン』と似てるし(ただ別れの部分の温度差が結構違う)、赤毛のアンが好きな人は絶対に好きだと思う。

 

 映像が美しくて、それだけでなく音にもこだわっているのが伝わってくる。絶対に何かしらの音がなっていて(作業の音、牛が泣く音)、その音がコットの不安な感じと心安らいでいる感じの差を表現するために使われていて見事な演出だと感じた。コットに寄り添うカメラワークも素敵で、常にこの映画はコットの視点を大事にしている。非常に子どもの寄り添った作品だ。全体的にすごく静かな映画だけど、すごく色んなことを伝えている、情熱に溢れた作品だと思う。光の演出が『aftersun/アフターサン』に似てるけど、それと比べると本作の方がずっと理解しやすい。

 

 おそらくラストのコットが「Daddy」と呟くシーンは泣くと思うが、そのシーンにも顕著であるが、本作はけっこうな疑似"父と子"映画である(お父さん大好きアメリカで受けたのは理解できる)。ここは監督の実体験と言うか、「こうあって欲しい」「こうなりたい」父親像があるのかな。貧しさ、何かが欠如した環境、失われた父性を補完しようとしている。

 

 ラストのコットはきっと自分の家に帰るだろうし、今後アイリン夫妻に会うこともないかもしれない。でもあの夏に過ごした時間と思い出、初めてありのままの自分を受容してくれた体験などはコットの大切な思い出になるし、これから起きるであろう困難にも立ち向かえるだけの自己肯定感が養われている思う。この自己肯定感がコットの家庭ではなく、疑似的な家族の中で培われているのは興味深いしリアルだ。

 

 1つ悪いところを挙げると、ラストのコットがアイリン夫妻のもとへ走っていくシーン。私は走っていくコットを捉えるだけでショーンに抱きつくだけで良かったかな。コットがアイリン夫妻の元で過ごした日々のモンタージュ演出は少しやりすぎというか、説明しすぎというか、とにかく上映時間は奇跡の95分だし、観客はみんなコットが幸せな時間を過ごしたのを知っているのだから、あのモンタージュ演出は必要なかったかな。逆に言えば悪いところはそこだけ、あとは本当に素晴らしい映画だった。

 

『ジェントルマン』

 

『ジェントルマン』 (Gentleman) [2022年韓国]

 

「依頼された事件は、100%解決する」が売り文句の興信所の社長チ・ヒョンスは、ある少女から犬を捜してほしいという依頼を受け、少女とともに人里離れたペンションを訪れる。しかし犬の痕跡を捜す最中に謎の男に襲撃され、ヒョンスは意識を失ってしまう。病院で目を覚ますと依頼人の少女は行方不明となっており、ヒョンスは誘拐事件の容疑者にされていた。ひょんなことから検事と間違われた彼は、そのまま検事になりすまして捜査を開始。少女を捜し出し、自分を陥れた犯人を見つけるべく奔走するが、事件の裏にはかなりの大物が関わっていることが判明し……。監督はキム・ギョンウォン。出演はチュ・ジフン(ヒョンス)、パク・ソンウン(ドフン)、チェ・ソンウン(ファジン)ほか。

 

 なぜあの犬が人懐っこいと言われながらヒョンスにしか懐かないのか、なぜ捜索の仕事にいちいち粗があるのか、なぜチグハグな脚本なのか、ラストの10分に畳みかけるように回収していく様は圧巻だった。ヒョンスとその仲間たちに騙されるファジン監察官はいわばこの映画の観客と同じ立場だ。ファジンへ感情が移入していけば行くほど最後の伏線回収は驚くと思う。

 

 かなりスタイリッシュな演出でちょっとルパン三世から影響を受けている気がするが、ヒョンスとその仲間たちの構成もけっこう意識していると思うし、ファジンは完全に銭形だと思う。映画音楽もけっこう雰囲気をよせていると感じた。ファジンの役柄は今までの韓国映画だったら伝統的に男性が演じているような役柄だったと思う。

 

 全体的にやはり雑だなと思うところはあるし、ヒョンスの仲間の自己犠牲を美化しすぎている気もするが、娯楽作としては申し分ない出来だった。

 

『カラー・パープル』

 

『カラー・パープル』 (The Color Purple) [2023年アメリカ]



横暴な父に虐待され、10代で望まぬ結婚を強いられた女性セリー。唯一の心の支えである妹とも離れ離れになり、不遇な日々を過ごしていた。そんな中、型破りな生き方の女性たちとの出会いや交流を通して自分の価値に目覚めたセリーは、不屈の精神で自らの人生を切り拓いていく。監督はブリッツ・バザウーレ。出演はファンテイジア・バリーノ(セリー)、タラジ・P・ヘンソン(シュグ)、ハリー・ベイリー(ネティ)、H.E.R.(スクイーク)、ダニエル・ブルックス(ソフィア)、シアラ(ネティ)、コールマン・ドミンゴ(ミスター)ほか。

 

 スティーブン・スピルバーグが監督した1985年の映画『カラー・パープル』とアリス・ウォーカーの原作を元にしたブロードウェイミュージカルの映画化である。ブロードウェイミュージカルを映画化するとなると毎度キャスティングに難が出るが、本作ではブロードウェイに出演していたファンテイジア・バリーとダニエル・ブルックスがそのまま同名役で出演していて、この辺もブロードウェイミュージカルが好きなファンも納得するキャスティングを行っている。この辺は『ディア・エヴァン・ハンセン』も同様だったが、これは確実に映画版『RENT/レント』の影響を感じるので、やはり映画版『RENT/レント』はそれなりに影響がある作品なのだろう。

 

 監督がビヨンセの『ブラック・イズ・キング』を手掛けているだけあって、所々にそのエッセンスを伺える。特に振り付けや美術やカラフルな衣装など。ただし映画はMVと違って画面が広いので、もう少しダンスのシーンはロングショットで撮って欲しかったかな。この辺はやはりスティーブン・スピルバーグが監督してたら、しっかりその辺はやっていたなと思った。原作や1985年版の映画だとけっこうシリアスで重たい話なのだが、本作では良い意味でやはりミュージカルなのでシリアスさが良い塩梅に落ち着いている。それでもやはりセリーが「hell no」を男たちに突きつけるまでが長くて辛いけどね。

 

 歌も良いし、役者たちも素晴らしい。ブロードウェイスターであるファンテイジア・バリーとダニエル・ブルックスだけでなく、ハリー・ベイリーやシアラやタラジ・P・ヘンソンやH.E.R.やジョン・バティステなど音楽が本業の人も多く出演していて豪勢な感じもある。

 

 ただ一つ残念なのが、原作にはあるセリーのレズビアン要素が本作でもあんまり掘り下げられていない点である。1985年版の映画でも原作者のアリス・ウォーカーも批判していたし、その反省が本作ではいかされているだろうなと楽しみにしていたのだが、案外肩透かしで(原作知らない人が本作を観たらセリーのレズビアン要素には気付かないだろう)...結局ワーナーとか大手が配給すると同性愛が薄まってしまうんだなと、まだまだ保守的な感じがした。

 

『Firebird ファイアバード』

 

Firebird ファイアバード』 (Firebid) [2021年イギリス・エストニア]

 

1970年代後半、ソ連占領下のエストニア。役者を夢見る若き二等兵セルゲイは、間も無く兵役を終えようとしていた。ある日、セルゲイと同じ基地にパイロット将校のロマンが配属される。写真という共通の趣味を持つ2人はすぐにひかれ合い恋に落ちるが、当時のソ連では同性愛は法的に固く禁じられており、発覚すれば厳しく処罰されていた。一方、同僚の女性将校ルイーザもロマンに恋心を抱いていた。そんな中、セルゲイとロマンの関係を疑うクズネツォフ大佐は、2人の身辺調査に乗り出す。監督はペーテル・レバネ。出演はトム・プライアー(セルゲイ)、オレグ・ザゴロドニー(ロマン)、ダイアナ・ポザルスカヤ(ルイーザ)ほか。

 

 脚本に監督とトム・ブライアーが参加している他セルゲイ・フェティソフ本人も脚本に参加しているため、かなり本人の意向や経験が反映されている映画だろう。ソ連が舞台の映画だが、話されている言語は英語である。

 

 リアルな視線で語られるのでけっこう中身はオーソドックスな恋愛映画であり、不倫の話でもある。前半の軍の生活でセルゲイとロマンが出会い惹かれて恋に落ちるさまは、『アナザー・カントリー』みたいな雰囲気がある。後半はルイーザと結婚したロマンがセルゲイと不倫のような逢引きを続ける様は『ブロークバック・マウンテン』のようでもある。けっこうセルゲイとロマンが自然の中で堂々と恋愛を繰り広げるあたりをしつこく撮っていて、同性愛が不自然じゃない、自然な行為であることを示している。

 

 オーソドックスな恋愛映画であるが、やはり同性愛が禁じられているのでオーソドックスと言ってはいけない気もするが、"自然だけど自然ではない"二人が何かにおびえている"見られている"という感覚をしっかり観客に伝えてくる。

 

 最後のセルゲイがロマン残した手紙は少し強引でロマンの生活を壊してしまっているのでワガママな印象も残るけど(それゆえルイーザが気の毒に見えるのだ)、同性愛が禁じられてなかったら誰も苦しむことは無かったんだよね。前述したけど『ブロークバック・マウンテン』は女性たちもよく描けていて嘘をついた男性に対してちゃんとそれを訴える場面があったけど、本作はそういう女性への視点は感じなかったな。

 

 本作のロマンは自殺ではないにしろ、結果的に死んでいる。去年観た『CLOSE/クローズ』『シチリア・サマー』『緑の夜』に続き、本作でもクィアな人物が死んでいるので、ちょっと辟易してきたというか、配給する側が意図的にそういう映画を選んでいる気がするのだが。もうちょっとそういう悲しい話は食傷気味だな。ちょい役でも良いので、クィアな人が幸福を享受できる映画が観たい。

『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』

 

『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』 (Jeanne du Barry) [2023年フランス]



貧しいお針子の私生児として生まれたジャンヌは、類まれな美貌と知性で貴族の男たちを虜にし、社交界で注目を集めるように。ついにベルサイユ宮殿に足を踏み入れた彼女は、国王ルイ15世とまたたく間に恋に落ちる。生きる活力を失っていた国王の希望の光となり、彼の公妾の座に就いたジャンヌ。しかし労働者階級の庶民が国王の愛人となるのはタブーであり、さらに堅苦しいマナーやルールを平然と無視するジャンヌは宮廷内で嫌われ者となってしまう。王太子マリー・アントワネットも、そんな彼女を疎ましく思っていた。監督はマイウェン。出演はマイウェン(ジャンヌ・デュ・バリー)、ジョニー・デップ(ルイ15世)、バンジャマン・ラベルネ(ラ・ボルド)ほか。

 

 マイウェンとジョニー・デップがけっこう問題起こしている人たちで、特にジョニー・デップなんて...そんな彼が本作を復帰作のようになっているのが映画ファンとしては微妙なのだが、ただこういう問題を起こした男性を主演にして映画を撮るみたいな行為そのものが今まで男性監督がたくさんしてきたことだが、それをとうとう女性の監督でやる人が出てきたかと言う(マイウェンがそもそも著名な役者だからこそ成せる技でもあるが)、ある種の心地悪い業界の進化を感じることもできて...

 

 お話は宮廷の中で起こる感傷的な恋愛映画みたいだった。ルイ15世もけっこういい感じで描かれていて、その中でなんとかルイ15世に気に入られようと努力するジャンヌは魅力的だ。そんなジャンヌを支えるお世話役のラ・ボルドとの友情も良い。たぶんこの映画を観ている人の大半はルイ15世との恋愛よりラ・ボルドとの友情のほうが良いと感じるはずで、この辺はちょっと少女漫画みたいな雰囲気もある。ジャンヌみたいな純真さと少年ぽさと制限された自由を心から楽しむ女性に権力を持った男性たちって本当に弱いよね...自分の中にある少年の要素を刺激してくれるんだろうね。

 

 ルイ15世ルイ15世の孫もお世話役のラ・ボルドも、そしてジャンヌを出世の道具にしか見えてないバリーやジャンヌを最初に見出した貴族のジジイ(ジャンヌを時にセックスの道具にもする)などこの映画に出てくる男性たちはみんな良い奴に描かれている一方で、女性たちはあまり良い風に描かれていない。ジャンヌを男性たちに最初に売った母親、ジャンヌの下品さを疎んだシスター、ジャンヌの読書の才能の気に入ったのにも関わらず自分の夫が寝取られてしまうのではないかという疑念からけっきょく家から追い出した貴族の夫人、サロンで有名になるも娼婦あることを理由に疎む上流階級の妻たち、ルイ15世の娘たち、そしてマリーアントワネットからも疎まれる。きっとこれはマイウェン自身の経験もあるだろうな。気の強い女性が男性社会の中で生きていくにはある種ミソジニーを内面化するし、男性について同情的になるだろう。そのマイウェン自身の経験がジャンヌへの共感に見て取れる。確かに今どき足を引っ張り合う女性たちの姿を描く必要性なんてないと思うが(というか陳腐だ)、そういう監督の生き方をきっと苦労したであろうジャンヌに共感するという気持ちは理解したいと思った。きっとマイウェンもジャンヌも男性のような自由を享受したいんだよね(誰もそうだと思うが)。

『ダム・マネー ウォール街を狙え!』

 

『ダム・マネー ウォール街を狙え!』 (Dumb Money) [2023年アメリカ]


コロナ禍の2020年、マサチューセッツ州の会社員キース・ギルは、全財産5万ドルをゲームストップ社の株に注ぎ込んでいた。アメリカ各地の実店舗でゲームソフトを販売する同社は時代遅れで倒産間近と囁かれていたが、キースは赤いハチマキにネコのTシャツ姿の「ローリング・キティ」という名で動画を配信し、同社の株が過小評価されているとネット掲示板で訴える。すると彼の主張に共感した大勢の個人投資家がゲームストップ株を買い始め、21年初頭に株価は大暴騰。同社を空売りして一儲けを狙っていた大富豪たちは大きな損失を被った。この事件は連日メディアを賑わせ、キースは一躍時の人となるが……。監督はクレイグ・ギレスピー。出演はポール・ダノ(キース)、ピート・デビッドソン(ケビン)、シャイリーン・ウッドリー(キャロライン)、アンソニー・ラモス(マルコス)、アメリカ・フェレーラ(ジェニー)、セス・ローゲン(ケイブ)、ビンセント・ドノフリオ(スティーブ)、ニック・オファーマン(ケン)、セバスチャン・スタン(ブラッド)ほか。

 

 冒頭からマスクを登場人物がしてるし、キースの姉がコロナの合併症で亡くなったことがストーリーの鍵になっていたり、キースの善行の根底にいたりするのが姉だったりする。明確にコロナ禍が舞台の映画であることが分かる。マスクしている、していないで労働環境や生活環境の対比もしていたと思う。

 

 株式の映画なので少し分かりづらいし、換金して豪遊みたいな派手な感じとかもないし、クライム系みたいなスリリングさも無いが、ユーモアがあるし何より随所で流れるラップが退屈させない。冒頭のCardi Bの"WAP"で笑ってしまったのだが(もう2021年のヒットソングが使われちゃうのか)、途中で登場人物たちの忍耐が試される場面ではKendrick Lamarの"Humble"が流れるし、ラストの"Savage"はまさに勝者に相応しいキースたちを祝福する曲だ。ただし"Savage"はMegan Thee Stallionが歌っているバージョンじゃなくて、誰かがカバーしている曲を採用している。"WAP"でもMeganのパートが使われていなかったが、Megan Thee Stallion本人の許可が下りなかったのだろうか。その他だとThe White StripesとLittle Simzの曲も使われていた。

 

 前述したが、私は株のことはチンプンカンプンなのだが、ラストのキースのスピーチの意味は分かるので、それでよかったと思う。作り手もそこだけは理解してくれっていうのが伝わってきたし。また私はこの映画を観ながら『ハスラーズ』のラモーナとディスティニーのことを考えていた。何で男性たちは成功して女性たちは失敗するんだろうね。世の中不公平だ。