@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『マイスモールランド』

 

『マイスモールランド』

 

在日クルド人の少女が、在留資格を失ったことをきっかけに自身の居場所に葛藤する姿を描いた社会派ドラマ。是枝裕和監督率いる映像制作者集団「分福」の若手監督・川和田恵真が商業映画デビューを果たし、自ら書き上げた脚本を基に映画化した。クルド人の家族とともに故郷を逃れ、幼い頃から日本で育った17歳のサーリャ。現在は埼玉県の高校に通い、同世代の日本人と変わらない生活を送っている。大学進学資金を貯めるためアルバイトを始めた彼女は、東京の高校に通う聡太と出会い、親交を深めていく。そんなある日、難民申請が不認定となり、一家が在留資格を失ったことでサーリャの日常は一変する。(映画com.より引用)

 

 まず映画としてすごくよく出来ている。タイトルがなぜスモールランドなのか分かるラストシーンは素晴らしいし、役者陣の演技は素晴らしいし、所謂説明口調のようなセリフがないし、会話も自然だ。外国にルーツがある子供たちが政治的に差別を受けたり、日常の中で相手が悪いとは思っていないであろう善意の差別を受けることもしっかり描かれている。(例えば友達がサーリャの顔立ちにエキゾチズムを感じて憧れるとか言ったり、サーリャがバイト先で客から受ける差別発言などはかなりリアルだ。またサーリャがコンビニで働いている設定も実にリアルだ) どうしても説明が必要なシーンでもさりげなく伝えてくるので違和感を感じない。例えばクルドについてサーリャが崎山くんに説明するのもああいうことはよくあるだろうし、日本のビザ発行や難民申請の手続きや難民として認められることの難しさは、大人がサーリャに教えてあげるシーンを差し込むことで観客に違和感なく伝わってくる。

 

 またこの映画は日本における外国人差別や難民申請の難しさを描いているだけでなく、在留許可がおりないせいで受ける差別や将来の選択肢のなさや、父親の不当逮捕で父親不在で起きる経済不安、サーリャの長女としての家族の中で母親的な役割を担っている事への苦労や、日本語とクルド語を読み書きできるサーリャが善意でクルド人コミュニティ内の通訳をタダで担っていることの苦労や、クルド人コミュニティ内の若い女性への差別や保守的な慣習や文化や価値観がどれだけサーリャを苦しめているか(例えば許嫁になるような運命があったり)、サーリャが周りの十代の子供たちと比べてしまいクルドへの文化に対して微妙な気持ちを抱いていること、周りの日本人の子供たちと比べてなるべく同じになりたいと思い髪の毛をストレートにするように毎朝気にかけていること、そして日本で若い女性が受ける差別や蔑視が日常的にサーリャにも起きていること(後半のサーリャがお金に困り手を出したビジネスがJKビジネスしかなかったのが示唆的だ)、とにかくこの映画は日本においてサーリャがそれだけ過酷な状況にいるのかをしっかり描いていた。これは大変観ている観客に苛立ちを抱かせるが、これは実際に本当に日本で起きていることだ。むしろこの映画のサーリャよりすっと苦しいことが当事者たちに起きているのだ。この映画を観ながらただただ自分の特権性に気付かされ、無力な気持ちにさせられた。どうすればいいのだろうか、ただただそう思わされる。ぜひ沢山の人に観て欲しいと思う。

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』

 

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(My Salinger Year)

 

90年代のニューヨーク。作家を夢見るジョアンナは、老舗出版エージェンシーでJ・D・サリンジャー担当の女性上司マーガレットの編集アシスタントとして働き始める。ジョアンナの業務は世界中から大量に届くサリンジャーへの熱烈なファンレターの対応処理。心揺さぶられる手紙を連日読む彼女は、簡素な定型文を返信することに気が進まなくなり、ふとした思いつきで個人的に手紙を返し始める。そんなある日、ジョアンナは、サリンジャー本人から一本の電話を受けるが……。

 

 若い女性のサクセスストーリーである。類似作品として『プラダを着た悪魔』やウディ・アレンやノア・バッカーマンの作品があげられると思う。しかしサリンジャーのファンレターを返すということだけに物語が終始しておらず、作家志望のジョアンナが一時的ではあるが仕事で成功するも作家になることをあきらめない、書くことを続けるという映画の中のサリンジャーの金言が最後には映画の核になっている。

 

 個人的には今までの若い女性の仕事映画の中で本作の特徴だなと思ったのが、ジョアンナはニューヨークに来るときにカルフォルニアに彼氏を置いてきてしっかりと別れていないにも関わらず、ニューヨークで新しい彼氏ができた状態だったのだが、あることをきっかけに元カレに会いに行くことになる。この時点で観客はおそらくこの元彼はろくでもない奴だろうと思うのだけど、実際会うととても誠実な人であることが分かる。こういう元カレが実はすごく良い奴だった展開は新鮮に感じた。

 

『カモン カモン』

 

『カモン カモン』(C'mon C'mon)

 

20センチュリー・ウーマン」「人生はビギナーズ」のマイク・ミルズ監督が、ホアキン・フェニックスを主演に、突然始まった共同生活に戸惑いながらも歩み寄っていく主人公と甥っ子の日々を、美しいモノクロームの映像とともに描いたヒューマンドラマ。ニューヨークでひとり暮らしをしていたラジオジャーナリストのジョニーは、妹から頼まれて9歳の甥ジェシーの面倒を数日間みることになり、ロサンゼルスの妹の家で甥っ子との共同生活が始まる。好奇心旺盛なジェシーは、疑問に思うことを次々とストレートに投げかけてきてジョニーを困らせるが、その一方でジョニーの仕事や録音機材にも興味を示してくる。それをきっかけに次第に距離を縮めていく2人。仕事のためニューヨークに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが……。「ジョーカー」での怪演でアカデミー主演男優賞を受賞したフェニックスが、一転して子どもに振り回される役どころを軽やかに演じた。ジェシー役は新星ウッディ・ノーマン。(映画com.より)

 

 まず私はマイク・ミルズ監督作品が大好きだ。特に前作の『20センチュリー・ウーマン』が人生のマイベストに入るくらい好きだったし、私が他の人がどんな感想を抱いているのか知りたくてTwitterをやるきっかけにもなったくらいだ。そして初めて映画関連のグッツを買った。そして本作のムビチケも買って、初めて前売り券を買った。それくらいマイク・ミルズ監督が好きだ。ハードルが上がりすぎてどうしよう、この4年間の生きがいがなくなってどうしようとさえ思った。そして観に行った。まず一言でいうと、大好きな作品だった。編集、演出、演技etc、やっぱりこの監督の作品は好きだ。でもそれ以上に好きというか、同じ価値観を共有しているなと感じた。映画を観て、私がいつも年間ベストに選ぶ作品の共通点はただ一つ、監督と自分の価値観だったり、社会や世界への眼差しだったり、政治観念が同じだったりするところである。

 

 私は常々自分の人生で子どもは持たないだろうと思っているけど、子ども達の未来のために今の社会を変えないといけない、大人は子ども達の未来に責任を持たないといけないよねと思っているんだけど、マイク・ミルズ監督もきっと同じ思いだよね。

 

 これはマイク・ミルズ監督版『東京物語』じゃないかな。映画全編モノクロだし、下記の数年前のインタビューで小津安二郎監督について言及してたし。

 

 演出と編集が『20センチュリー・ウーマン』に似ていた。映画の途中にデトロイト、ニューヨーク、ニューオリンズの子供たちのインタビューが差し込まれるんだけど、その子供たちがみんな本当に良いこと言ってくれていて...そしてそれを聞くジョニー(ホアキン)の態度も良くてさ感動した。

 

 子ども達のインタビューの前に「いまからいくつか質問をするけど嫌な質問があったら答えなくていい」と何度も言及されてたし、ジョニーがジェシーに中絶について「女性には自分の体について自ら選択する権利がある」としっかり説明したり、監督が何を大切にしているのか伝わってきた。

 

 『人生はビギナーズ』では父、『20センチュリー・ウーマンでは母、『カモン カモン』では息子、姉たち、そして妻に捧げているのではないかな。
 

 本で説明するという演出が凄く良かった。(申し訳ないがタイトルと著作者が思い出せない。) 最初のホッキョクグマの親子と鬱の本はジェシーの父が鬱であることを示している。子供に鬱について分かりやすい説明をされている本である。2番目の母性についてはすごい。ジョニーがジェシーの家で発見した本でおそらく妹が普段から読んでいる本だ。付箋がはってあった。母親と言う役割がいかに社会の責任を負わされているかを説明するシーンであり、この映画では母親を断絶しないということを示しているのだろう。3番目の本はインタビューとして傾聴の姿勢や倫理について説明する本だ。これはインタビューとしてのジョニーが大切にしているだろう考えであるともに、この映画において大人が子供の話を聞くときに大切にするべきことが示してあるのだと思われる。また映画の途中に実際の子供たちのインタビューを入れており、彼らの声を搾取しない様に努力したマイク・ミルズ監督自身がこの映画を製作する過程で大切にしていたものだろう。最後のジョニーがジェシーに寝る前のお話で読む本で、星の惑星から地球にやってきた人間のはなしで、その地球は美しいところでそこで一生を過ごす事になっても自分がいたところは忘れるんじゃないというジョニーが読み聞かせていた部分はそういう内容の本だったが、これはジョニーがジェシーに君は成長するにつれて伯父さんのジョニーと過ごしたことは忘れるだろうが、僕は覚えているよということを表現しているのだと思うし、逆に覚えておいて欲しいという願望も含まれている。はたまた子供時代(自分たちが元居た場所)があったことを忘れたジョニーたち大人世代に向けた、そこ(子供時代)にいた、またはあったことをわすれるな、というメッセージにもみえる。本の説明するシーンにすごく意味があって、とても大切なシーンであ、映画としてもすごい演出だと思う。

 
 この映画の核はコミュニケーションが大事ということだろう。話をする、感情を表出するだけでなく、話を聞いてあげる、ただ聞くという傾聴の姿勢。昨今のアメリカ映画のテーマだ。女性映画、男性の感情映画、有害な男性らしさ。日本でも『ドライブ・マイ・カー』などがそうであった。
 
 男性が物語の中心だが、妹(ジェシーにとっては母親)について強く魅力的な人物描写があるのも素晴らしい。母親にとってはもちろんかわいい子供だが、ぞっとするほどの他人である子供がどう映るのかをジョニーは追体験するが、それでも母親を良い母親と悪い母親で断絶したりしない。ただただ苦労を共感する。映画の目線は大変優しい。もちろん母性を美化したりもしない。分かり合えなくてもいいんだという視点は前作の『20センチュリー・ウーマン』から引き続いている
 
 子どもの話を聞いてやれ。子供の突拍子の無い行動にもじっかり意味がある。そして子供にも何が起こったのかちゃんと話してあげて。逃げないで、子供はしっかりそれを感じ取るから。フレッド・ロジャースのドキュメンタリーを観ているようだ。子供たちのインタビューはマイケル・ムーアの映画を観ている様だった。

 

 とにかく素晴らしい映画であった。ありがとうマイク・ミルズ監督。

 

『マリー・ミー』

 

『マリー・ミー』(Marry Me)

 

世界的歌手カットと彼女の恋人である音楽界の新星バスティアンは、ファンの前で華々しく結婚式を挙げようとしていた。しかし式の直前、バスティアンの浮気が発覚。失意の中ステージに登壇した彼女は、客席にいた見ず知らずの数学教師チャーリーを指名し、突然プロポーズするという驚きの行動に出る。カットを取り巻くスタッフやマスコミ、ファンが大混乱に陥る中、互いを知るところから結婚生活を始める2人だったが……。

 

 2022年に公開されるラブコメに相応しいしっかりとした倫理観とDIVA界隈あるあるで塗り固められた傑作映画であった。女性から結婚を申し込んだりするのが大変面白い。

 

 がそれ以上に面白いのがキャット周辺の音楽あるあるだ。まずキャットが勢いでチャーリーに告白するんだけど、チャーリーが平凡な男だったため、ファンがブーイングするんだけど、これは結構リアル。DIVAってファンが熱い人が多くて、その熱さが恋人とか夫へ攻撃にかわることがあるからだ。またキャットがライブでセクシーなシスターの格好で歌ったり、浮気が発覚するメディアがPAGE6だったり、とにかくアメリカのポップカルチャー好きにはたまらない小ネタがたくさんあって大変面白かった。また主演のジェニファー・ロペスの実体験としか思えないエピソードも何個か反映されているのも面白い。でも一番この映画でリアルさを感じなかったのが、ヒットソングの扱い方である。今のご時世ではキャットがリリースした"Marry Me"とか"On My Way"とかはあまりヒットしないんじゃないかな。そこだけはあまり現実味がなかった気がする。

 

 

『パリ13区』

『パリ13区』

 

再開発による高層マンションやビルが並び、アジア系移民も多く暮らすなど、パリの中でも現代を象徴する13区を舞台に、都市に生きる者たちの人間関係を、洗練されたモノクロームの映像と大胆なセックスシーンとともに描き出していく。コールセンターでオペレーターとして働く台湾系フランス人のエミリーのもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系フランス人の高校教師カミーユが訪れる。2人はすぐにセックスする仲になるが、ルームメイト以上の関係になることはない。同じ頃、法律を学ぶためソルボンヌ大学に復学したノラは、年下のクラスメイトたちに溶け込めずにいた。金髪ウィッグをかぶり、学生の企画するパーティに参加したことをきっかけに、元ポルノスターのカムガール(ウェブカメラを使ったセックスワーカー)だと勘違いされてしまったノラは、学内の冷やかしの対象となってしまう。大学を追われたノラは、教師を辞めて不動産会社に勤めていたカミーユの同僚となるが……。

 

 『ベルファスト』『カモンカモン』に引き続きモノクロ映画である。最近の流行なのかと思うが、一方でモノクロ映画は脚本が相当作りこんでいないと映画として面白くなくなってしまうリスクがある。しかし前述した2作品同様に『パリ13区』も大変脚本が優れていた。監督のジャック・オーディアルが女性の映画を作るのなら女性に脚本を書いてほしいというコンセプトのもとセリーヌ・シアマとレア・ミシウスに脚本を書いてもらったそうだ。(それにしてもセリーヌ・シアマは本当に監督としてもすごいのに、脚本家としても大変才能が豊かだ。なんせ私が映画館で大号泣した『僕の名前はズッキーニ』の脚本を担当したのも彼女だからだ)

 

 まず感心したのが、現在のパリを代表する13区を舞台にしているからこそ非白人のカミーユとエミリーを物語のメインにしている。そして奥行きのある複雑な人物描写になっているのも大変良い。エミリーは所謂従順なアジア系女性ではなく、人(特に男性)との付き合いに難があるが、すごく他のアジア女性との友達と仲が良かったり、仕事でよく失敗したりするが、通訳とかにも精通できる大変活発的で魅力ある女性だ。そんなエミリーがルームメイトとしてやってきたカミーユと一時的であるがセフレになり、その後の色々きまづくなって別れるんだけど、それでもエミリーはカミーユのことが好きでそれでもそれが上手く言えなくて、カミーユを傷つけてしまう言動をとってしまう。色々あって自分との気持ちに折り合いをつけて、カミーユと再び恋人になる。それまでを非常に丁寧に描かれていた。(まあ若干描写が薄かったり、性的に活発過ぎるのにもう少し説明が足りてない気もするが) セックスだけの関係から始まる本物の恋があるんだよということだろう。

 

 そしてそれ以上に良かったのが、ノラとルイーザの関係である。まずノラは復学したにも関わらずある出来事がきっかけで大学にいずらくなり、カミーユが務めている仕事を始めることになり、そしてカミーユと恋仲になるも上手くいかない。(ノラが大学を追われた理由がとにかく理不尽で、あの大学に通うやつらを1人1人殴りたい。ああやってノラを馬鹿にする行為はノラだけでなく、ルイーザにも失礼だし、何よりセックスワーカーには何をしても許されると勘違いしてる職業差別だ) 過去の叔父との10年間に及ぶ恋愛関係のせいで男性との恋愛関係に一種の違和感を覚え続ける。そしてルイーザとチャットしながら本当の自分を見つける。このルイーザとのチャットを通しての会話がとにかく丁寧でパソコンの画面上なのに聖域みたいに美しい。ルイーザもとても優しい心のある女性である。ラストは二人が公園で再会する描写で、そこも大変美しい。おそらく二人はこのあと友達のままなのか、恋人になるのか、それは観客に委ねている。私はセリーヌ・シアマが脚本を手掛けているので恋人関係になるのではと思っている。でも友達のままでもいいと思う。インターネット上の関係から始まる本物の友情or恋があるんだよということだろう。

 

 

『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』

 

『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』

 

 1992年のアニメ放送開始から30周年となる「クレヨンしんちゃん」の劇場版30作目。おなじみのギャグを満載しながら繰り広げられる忍者アクションと、しんのすけの出生にまつわる謎をテーマにした物語が展開する。5年前の雨の日、野原ひろしとみさえの間に赤ちゃんが生まれた。ひろしが考えた名前のメモは濡れてほとんど読めなくなっていたが、かろうじて読めた文字から「しんのすけ」になった。それから5年の歳月が流れたある日、野原家にちよめと名乗る女性が訪れ、自分がしんのすけの本当の親だと主張する。突然のことにひろしとみさえは戸惑うが、身ひとつでやってきたちよめを追い返すわけにもいかず、ひとまず彼女を家に泊めることに。するとその夜、謎の忍者軍団が野原家を襲い、ちよめとしんのすけが連れ去られてしまう。(映画com.より引用)

 

 今回は野原一家を中心に物語が展開していくが、後半になるとしっかりとカスカベ防衛隊の見せ場もあって個人的には大満足である。映画のモチーフとかテーマが近年観た『シャン・チー』とか『私、ときどきレッサーパンダ』に非常に似ていた。クレヨンしんちゃんの映画スタッフには海外映画好きがいるので、おそらく少なからず影響を受けたのではないかと思われる。家族愛がテーマであるが、忍者の里の保守性だったり家父長制だったり男性だけが伝統を継ぐことへの皮肉みたいなものが映画の随所にきいており、クレヨンしんちゃんのスタッフはしっかりと価値観を自分たちなりにアップデートしているなと感じた。個人的には忍びの里で虐げられているくのいちの描写が物足りないと感じた。

 

『TITANE チタン』

f:id:GB19940919:20220407193808j:plain

 

『TITANE チタン』

 

幼少時に交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア。それ以来、彼女は車に対して異常なほどの執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになってしまう。自身の犯した罪により行き場を失ったアレクシアは、消防士ヴィンセントと出会う。ヴィンセントは10年前に息子が行方不明となり、現在はひとり孤独に暮らしていた。2人は奇妙な共同生活を始めるが、アレクシアの体には重大な秘密があった。

 

 まず初見の印象がとにかく変態映画でかなりぶっ飛んでいるという映画である。それなのに多ジャンルで切り口がたくさんあって面白い。

 

 まず女性シリアルキラーものであるが、かなりコメディ色も強い。特に映画の前半は殺人を繰り返す凄惨なシーンなのにアレクシアが着ているシャツにNEVER GIVE UPってデザインされていて爆笑である。しかも泊っている家で殺人しまくるのに、次々に宿泊人が出てくる家で思わずアレクシアが「何人いるんだよ」って呟いていたシーンも大変笑えた。

 

 映画のベースはギリシャ神話とキリスト教で、ご丁寧に最後はマリアの受胎(アレクシアが生んだ子供の父親はずっと不在である)とそれを取り上げる男性が神話性を帯びるみたいな感じである。そこで流れるのも聖書の音楽で非常に分かりやすい。だからこそなんか協会にいる気分になっていた。それにしてもマリアの受胎というテーマって男性の存在を消して女性だけにテーマを絞れるのですごく現代的なテーマを含んでいたのだなと感心する。

 

 そしてこの映画はクィアのテーマも含んでいる。過去作との類似があるが、まずアレクシアは色んな人や車をセクシャリティの対象にしている。不思議なことにこの映画はセクシーであるが、男性の性的な願望は一切満たされていないのが面白い。

 

 ボディ・ホラーだとどうしても妊娠がテーマになりやすいが、これは女性監督だし永遠のテーマでもあるなと思う。

 

 それにしても最近私の中で『ガガーリン』『TITANE チタン』と言いフランス映画が熱い。また『シャドウ・イン・クラウド』『ガガーリン』(男女共同監督)『ハッチング 孵化』『TITANE チタン』と女性監督の作品が本当に熱い。