@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『カモン カモン』

 

『カモン カモン』(C'mon C'mon)

 

20センチュリー・ウーマン」「人生はビギナーズ」のマイク・ミルズ監督が、ホアキン・フェニックスを主演に、突然始まった共同生活に戸惑いながらも歩み寄っていく主人公と甥っ子の日々を、美しいモノクロームの映像とともに描いたヒューマンドラマ。ニューヨークでひとり暮らしをしていたラジオジャーナリストのジョニーは、妹から頼まれて9歳の甥ジェシーの面倒を数日間みることになり、ロサンゼルスの妹の家で甥っ子との共同生活が始まる。好奇心旺盛なジェシーは、疑問に思うことを次々とストレートに投げかけてきてジョニーを困らせるが、その一方でジョニーの仕事や録音機材にも興味を示してくる。それをきっかけに次第に距離を縮めていく2人。仕事のためニューヨークに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが……。「ジョーカー」での怪演でアカデミー主演男優賞を受賞したフェニックスが、一転して子どもに振り回される役どころを軽やかに演じた。ジェシー役は新星ウッディ・ノーマン。(映画com.より)

 

 まず私はマイク・ミルズ監督作品が大好きだ。特に前作の『20センチュリー・ウーマン』が人生のマイベストに入るくらい好きだったし、私が他の人がどんな感想を抱いているのか知りたくてTwitterをやるきっかけにもなったくらいだ。そして初めて映画関連のグッツを買った。そして本作のムビチケも買って、初めて前売り券を買った。それくらいマイク・ミルズ監督が好きだ。ハードルが上がりすぎてどうしよう、この4年間の生きがいがなくなってどうしようとさえ思った。そして観に行った。まず一言でいうと、大好きな作品だった。編集、演出、演技etc、やっぱりこの監督の作品は好きだ。でもそれ以上に好きというか、同じ価値観を共有しているなと感じた。映画を観て、私がいつも年間ベストに選ぶ作品の共通点はただ一つ、監督と自分の価値観だったり、社会や世界への眼差しだったり、政治観念が同じだったりするところである。

 

 私は常々自分の人生で子どもは持たないだろうと思っているけど、子ども達の未来のために今の社会を変えないといけない、大人は子ども達の未来に責任を持たないといけないよねと思っているんだけど、マイク・ミルズ監督もきっと同じ思いだよね。

 

 これはマイク・ミルズ監督版『東京物語』じゃないかな。映画全編モノクロだし、下記の数年前のインタビューで小津安二郎監督について言及してたし。

 

 演出と編集が『20センチュリー・ウーマン』に似ていた。映画の途中にデトロイト、ニューヨーク、ニューオリンズの子供たちのインタビューが差し込まれるんだけど、その子供たちがみんな本当に良いこと言ってくれていて...そしてそれを聞くジョニー(ホアキン)の態度も良くてさ感動した。

 

 子ども達のインタビューの前に「いまからいくつか質問をするけど嫌な質問があったら答えなくていい」と何度も言及されてたし、ジョニーがジェシーに中絶について「女性には自分の体について自ら選択する権利がある」としっかり説明したり、監督が何を大切にしているのか伝わってきた。

 

 『人生はビギナーズ』では父、『20センチュリー・ウーマンでは母、『カモン カモン』では息子、姉たち、そして妻に捧げているのではないかな。
 

 本で説明するという演出が凄く良かった。(申し訳ないがタイトルと著作者が思い出せない。) 最初のホッキョクグマの親子と鬱の本はジェシーの父が鬱であることを示している。子供に鬱について分かりやすい説明をされている本である。2番目の母性についてはすごい。ジョニーがジェシーの家で発見した本でおそらく妹が普段から読んでいる本だ。付箋がはってあった。母親と言う役割がいかに社会の責任を負わされているかを説明するシーンであり、この映画では母親を断絶しないということを示しているのだろう。3番目の本はインタビューとして傾聴の姿勢や倫理について説明する本だ。これはインタビューとしてのジョニーが大切にしているだろう考えであるともに、この映画において大人が子供の話を聞くときに大切にするべきことが示してあるのだと思われる。また映画の途中に実際の子供たちのインタビューを入れており、彼らの声を搾取しない様に努力したマイク・ミルズ監督自身がこの映画を製作する過程で大切にしていたものだろう。最後のジョニーがジェシーに寝る前のお話で読む本で、星の惑星から地球にやってきた人間のはなしで、その地球は美しいところでそこで一生を過ごす事になっても自分がいたところは忘れるんじゃないというジョニーが読み聞かせていた部分はそういう内容の本だったが、これはジョニーがジェシーに君は成長するにつれて伯父さんのジョニーと過ごしたことは忘れるだろうが、僕は覚えているよということを表現しているのだと思うし、逆に覚えておいて欲しいという願望も含まれている。はたまた子供時代(自分たちが元居た場所)があったことを忘れたジョニーたち大人世代に向けた、そこ(子供時代)にいた、またはあったことをわすれるな、というメッセージにもみえる。本の説明するシーンにすごく意味があって、とても大切なシーンであ、映画としてもすごい演出だと思う。

 
 この映画の核はコミュニケーションが大事ということだろう。話をする、感情を表出するだけでなく、話を聞いてあげる、ただ聞くという傾聴の姿勢。昨今のアメリカ映画のテーマだ。女性映画、男性の感情映画、有害な男性らしさ。日本でも『ドライブ・マイ・カー』などがそうであった。
 
 男性が物語の中心だが、妹(ジェシーにとっては母親)について強く魅力的な人物描写があるのも素晴らしい。母親にとってはもちろんかわいい子供だが、ぞっとするほどの他人である子供がどう映るのかをジョニーは追体験するが、それでも母親を良い母親と悪い母親で断絶したりしない。ただただ苦労を共感する。映画の目線は大変優しい。もちろん母性を美化したりもしない。分かり合えなくてもいいんだという視点は前作の『20センチュリー・ウーマン』から引き続いている
 
 子どもの話を聞いてやれ。子供の突拍子の無い行動にもじっかり意味がある。そして子供にも何が起こったのかちゃんと話してあげて。逃げないで、子供はしっかりそれを感じ取るから。フレッド・ロジャースのドキュメンタリーを観ているようだ。子供たちのインタビューはマイケル・ムーアの映画を観ている様だった。

 

 とにかく素晴らしい映画であった。ありがとうマイク・ミルズ監督。