@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『映画 窓ぎわのトットちゃん』

 

『映画 窓ぎわのトットちゃん』 [2023年日本]

 

黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」をアニメーション映画化。好奇心旺盛でお話好きな小学1年生のトットちゃんは、落ち着きがないことを理由に学校を退学させられてしまう。東京・自由が丘にあるトモエ学園に通うことになったトットちゃんは、恩師となる小林校長先生と出会い、子どもの自主性を大切にする自由でユニークな校風のもとでのびのびと成長していく。監督は八鍬新之介。

 

 実は予告編を観た時からアニメの絵タッチが恐ろしく好みではなく観に行く予定には無い作品だったのだが、SNSで「『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』が好きな人は好き」という感想が多くあり、そもそもゲゲゲを観に行って、女の子が主人公の作品を観にいかないというのは自分の趣旨に反するので観に行った。結果観に行って良かった。

 

 そもそも原作を読んだことが無く、名前は知っている程度だ。原作は物語というより、文章の随所に筆者である黒柳徹子の細かい説明が入る作りになっているらしいのだが、映画は説明の要素をほとんど言っていいほど削り、ほとんどの場面を映像で説明するという手法を取っており、いわば「これぞ、アニメ映画」という感じである。また話の途中で3回ほどイメージアニメーションが導入されたりして飽きないし(電車の教室に初めて来たシーン、水泳の授業のシーン、雨のシーン)、これが本当に綺麗だ。物語上の絵タッチより、個人的にはイメージアニメーションの方が好みだったが、全体を振返って見て、苦手だと思っていた絵タッチもさほど気になることはなかった。

 

 実はこの映画に出てくる黒柳家はけっこう裕福な感じで描かれているのだが、本当の黒柳家はあまり裕福ではなかったそうだ(この時代に普通のバイオリニストが裕福になれるとは思えない)。じゃあなぜ裕福な家庭を描いたのかと言うと、その後の戦争に突入していった後に訪れる貧しさを描きたかったからである。戦争が進みにつれて登場する食べ物が貧しくなっていき、子ども目線ながら戦中の日本は酷いものになって言っているんだということを何回も提示していて、これが本作の重要なテーマなのだろう。この子ども目線がこの映画の強みであるが(それゆえ同級生のあの子の葬式後にトットちゃんが戦争に染まる町を走りまわるシーンは胸に詰まるのだ)、何処まで行っても子ども目線を脱することができないのが弱いところでもある。

 

 戦争と言うのは何も食べ物だけが貧しくなるわけではないのは周知の事実であるが、この映画の中で描かれている戦争は食べ物が貧しくなっていくことだけである(もちろん戦中の豊かな生活が植民地主義から来ているものだと指摘されることは無い)。もちろん原作は子どもが読むことを想定して書かれているし、食べ物が貧しくなることは子どもが戦争の非情さを知る入口になると思う。しかし今『窓ぎわのトットちゃん』を映画化したところで子どもたちは観に来るのだろうか。来る子供たちもいると思うけど、少なくともSNSで感想を書きこんでる人は大人だと思うし、私が観に行った劇場ではほとんどの観客が大人だった。となると大人がこれを観て「戦争を描いていた」と評価するのは何とも釈然としない思いだ。

 

 今年は『君たちはどう生きるか』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』など戦争の影を感じる作品は多いが、昔の日本映画と比べると戦争の描き方はやはり後退していたと認めざるを得ない。もちろん本作『映画 窓ぎわのトットちゃん』にも同じことを思っていた。本作単体としては良い映画だと思ったが、それ以上に大衆と日本映画への懸念の気持ちが勝ってしまった。これはもう昔の戦争を描いた作品をリマスターして再公開するしかない気がしてきた(新作を作るのは大変だろうから)。