@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『恋人はアンバー』

 

『恋人はアンバー』(Dating Amber)

1990年代アイルランドの保守的な田舎町を舞台に、期間限定で恋人のふりをすることになったゲイとレズビアンの高校生を描いた青春映画。アイルランドで同性愛が違法でなくなってから2年後の1995年。同性愛者に対する差別や偏見が根強く残る田舎町で暮らす高校生エディは、自身がゲイであることを受け入れられずにいた。一方、エディのクラスメイトであるアンバーはレズビアンであることを隠して暮らしている。2人は卒業までの期間を平穏無事に過ごすため、周囲にセクシュアリティを悟られないようカップルを装うことに。性格も趣味も正反対の2人だったが、時にぶつかり合いながらも悩みや夢を語り合ううちに、互いにかけがえのない存在となっていく。

 

 クィアの恋愛というより、クローズなクィアの男女若者二人とそれを取り巻く環境に焦点を当てた作品。(アイルランドカソリック、貧困、将来と生まれた町への絶望、父の不在と両親の不和、ジェンダー規範、男らしさと女らしさの傾倒と拒否と葛藤、異性愛規範と同性愛嫌悪)


 ラストのエディのカミングアウトが本作の肝だと思うが、提示されたアンバー周辺のあれやこれやが地獄すぎてあまり好きに慣れず。そこはアンバーもエディも二人で飛び出して欲しかったな。(賢いアンバーの事だからあの街をゲイフレンドリーな街へ変えてくれそうだが)

 

 アンバーがレズビアン(映画の中ではGayと表現)として生きていくことを決めたりするのは、エディのクローズな感じを強調するための演出かなという感じだ。ということでこの映画はクローゼットでいることがいかに自分と周囲の人間を傷つけてしまうかの物語かもしれない。もしくはクローゼットでかつジェンダー規範をいることを内面化しすぎる有毒な男性性の話でもあるのかな。エディの父もそうだし。幸い本人はそれに気づいていたが。


 でもやっぱりいくらクローゼットのゲイでもアンバーや回りの人間を傷つけるのは良くないよね。あと本編でしっかりlesbianと発言されているのに字幕がレズになっているのはよくない。日本盤ポスターを批判され修正した実績のある映画だったので、そこは日本広報も気を付けて欲しい(レズビアンをレズと訳すのをいけないと指摘するの何回目だ...全く)