@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『護られなかった者たちへ』WOWOW

『護られなかった者たちへ』WOWOW

東日本大震災から10年がたった仙台で、全身を縛られたまま放置されて餓死させられるという不可解な殺人事件が相次いで発生。被害者はいずれも誰もが慕う人格者で、捜査線上に浮かび上がったのは別の事件で服役し、刑期を終えて出所したばかりの利根という男性だった。刑事の笘篠は殺された2人の被害者から共通項を見いだし、利根を次第に追い詰めていく。だが決定的な証拠がつかめないまま第3の殺人事件が起ころうとしていた。

 

 原作はミステリー要素が強いそうだが、映画では震災後の人間ドラマにより強く焦点が当たっている。生活保護を受給している人間もそれを対応する職員も攻めるべきは政府であるという視点は素晴らしいしその通りである。受給者の複雑な家庭環境やスティグマについても多面的に描かれている。役所の人間も日々の過剰な業務で人間らしさを失いそれが受給者への態度や申請拒否に至ってしまうのもよく描かれていた。また明らかに受給すべき人間なのに、戸籍上の家族に居場所や今の状況を知られたくないから受給したくないという複雑な人間心と日本の福祉がいかに個人の人間ではなく家族を見ているのかも描かれていた。女性の方が男性より貧困に陥りやすいことも描かれていた。

(私も実は無職になった際、社会保険の手続きをしたのだが、どうしても戸籍上は扶養に入っている父親の名前で手続きをすることになり、保険証の支払い票が実家に届いたときは無職になったのがばれるのではないかと冷や冷やした。これは家族を通して個人を扱うことで行政や福祉も管理するのが楽だし、日本はそうやって経済成長してきた側面があるのだが、これはそういう風に作られた時点で個人の尊重をないがしろにしているし、福祉や社会保障など扶養主がいるのが前提で作られているから、賃金は上がらないし、その制度自体が健康な男性の過剰な労働と女性の低賃金と家庭における無償労働で支えられていた歴史がある。この日本の歴史上ほんの一瞬の時期にあった労働スタイルを維持したいがために未だに福祉では男性が扶養主でその妻と子どもは扶養に入るというスタイルが貫かれているのだ。賃金をあげろ!個人をもっと尊重しろ!)

 

 あと映画では一瞬だが不正受給者の話をするんだけど、こういう題材を扱う映画で不正受給者の話をするのはダメだと思う。今の日本でそれをするとスティグマを強化するだけだし。それにこの人は救う価値のある人、この人は救う価値のない人と人間を断罪してしまうからだ。生活保護は最後のセーフティーネットだと劇中で強調するなら、不正受給者の話をするべきではない。実際不正受給者なんていないのだから。(誰が不正受を定義するんだって話ですよ全く...)