@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『LAMB ラム』

解釈が異なる神話の誕生

 

 

『LAMB ラム』

アイスランドの田舎で暮らす羊飼いの夫婦が、羊から産まれた羊ではない何かを育て、やがて破滅へと導かれていく様を描いたスリラー。バルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。A24が配給。山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは2人を破滅へと導いていく。

 

 ネイチャー・スリラーとは上手く表現したものである。ホラーではないところが重要だ。アイスランドの広大な放牧地帯が舞台で、それを非常に上手に映画に反映させている。A24の他の作品同様にフォーク・ホラーの系統で大自然が映画の不穏と美しさを表現している。

 

 観る前からアイスランドの土着の信仰や民間伝承や神話やキリスト教がテーマだと推測していたが、本編見て確信。全く予告編通りの映画だった。逆に想像していた以上のことが起こらないので安心だが普通でもある。(もっと悪く言うと退屈である) おそらくこれは狙ったもので、映画の意図としては新たな神話を作ろうとしたらしく、それなら納得である。

 

 映画の内容は同じくA24の『ミッドサマー』と似ているが(両方とも日が全く沈まないので観ている人の日付け感覚をおかしくさせる)、しかし大きく違うのは『LAMB ラム』は神話創設を狙ってものでかつ愛の物語でもある(『ミッドサマー』は失恋の話だ)。 例えばマリアの夫のイングヴァルは妻と羊であり娘でもあるアダを両方とも深い愛情を捧げている。こういう題材の映画では嫌な奴で描かれがちな男性たちとは一点を画している。また放牧での夫婦なので完全に仕事も家事も平等だし、映画の中で久しぶりに?セックスするシーンもあるが、あれは頻繁にセックスしているわけではなく、珍しく二人の気分があがった時に同意を得てセックスする感じで好感が持てる描き方だ。イングヴァルとは対照的にマリアが一方的に判断したり、あまり良いとは思えない行動をする。(例えば羊を殺したり) そのマリアの行動の罰として、アダが連れ去られ、イングヴァルが殺されてしまう。他の作品における男女の立場が意図的に変えていると思う。(英雄的に判断し失敗する女性とその失敗の犠牲者として亡くなる男性)

 

 映画は神話として3章仕立てになっている。まずモノローグで羊たちのなかに不穏な大きな影が現れる。おそらく何かの民話のモチーフで、メスの羊に自分の子どもを妊娠させに来たオスの羊の異形だと思う。そして第1章では、羊の放牧と農作業で生計をたてているマリアとイングヴァルが登場する。すごく丁寧だがマリアという名前に羊たちでキリスト教のモチーフである。クリスマス・イブに人間のような羊が生まれ夫婦はアダという名前をつける。ここでも丁寧にクリスマス・イブとアダでキリスト教のモチーフだ。アダに愛情を注ぐなか、アダの産みの親である母羊が何やら喪失を抱えているようである。

 

 第2章では、すくすく育つアダくんが出てくる。大変可愛い(笑)疑っていたイングヴァルの弟であるペートゥルもつい愛情を注ぐようになる。ここだけ見てもやはり愛の話だと思う。しかし、その幸せな愛の裏にはマリアがアダの産みの親である母羊を銃で殺害したことも忘れてはいけない。

 

 第3章では、冒頭にずっと謎だったマリアとイングヴァルの喪失の正体が明かされる。実の一人娘のアダを失ったことがあるのだ。どうやらそんな実の娘を失ったマリヤとイングヴァルの喪失を埋めるかのように天から授かったのが、羊のアダなのだろうか。しかし幸せな長く続かない。羊のアダの実の父羊でありほとんど人間みたいな姿のラムマンがアダをさらいにきたのだ。イングヴァルを殺しとアダを誘拐した(神隠し)。銃でイングヴァルが殺されたのが示唆的だ。夫の死とアダという子を失ったマリアは天を仰ぐ。何かを悟った顔で映画は終わる。感情の話ではなく、これは神話なんだということを強く伝えるラストだ。

 

 映画は複数の民話と神話を織り交ぜ、多角的な批評を絞り出す。日が沈まないアイスランドと眠りが浅い登場人物たち。悪魔にうなされようが、起きていようが人間は夢を見る生き物だ。そんな人間たちを自然と天が試練と愛を与える。この試練と愛を幸せなのか、不幸なのか。

 

 っまあ私は以上の解釈をこの神話にしてみたが、実はもう一つ解釈があるとすれば、実は獣姦を扱った話であるという解釈だ。(パンフレットを購入したが、全くそういう解釈には言及されていなかった) 実は私も途中まで獣姦の話だと思っていた。しかしラストのラムマンがオス(というか男性)だったので違うなと思ったからだ。もしラムマンがメス(というか女性)だったら、獣姦された復讐として解釈できたのだが...それでもラムマンが以前に獣姦されてできた子で、その子供がイングヴァルに復讐したととることもできるので、その解釈を強く持った人はやはり獣姦のストーリーだと思うのだろうか。確かにキリスト教の中にも獣姦を禁止しているしな。これはもう一回観ないと分からないな。解釈が分かれるのも神話らしいっちゃらしいけど。(なにぶん映画の作りが詳しく説明したりする作りじゃなくてさ)