@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『七人樂隊』

 

『七人樂隊』

香港の7人の監督が1950年代から未来まで、さまざまな年代の香港をつづった7作で構成されたオムニバス。50年代、必死にカンフーの稽古に励んだ幼い自分と仲間を描く、サモ・ハン監督の自伝的エピソード「稽古」。教育に生涯を捧げる校長先生と、彼を慕う同僚の女性教師とかつての教え子たちを描いたアン・ホイ監督の「校長先生」。移住を控えた恋人たちの別れをスタイリッシュな映像で描いた、パトリック・タム監督の「別れの夜」。ユエン・ウーピン監督が、香港を離れる孫と香港に残る祖父のユーモラスで温かな交流を描いた「回帰」。香港の飲食店を舞台に大儲けを夢見る一般市民が株価に右往左往する姿を、ジョニー・トー監督が描いた「ぼろ儲け」。香港の変わり様に翻弄される男を描き、本作が遺作となったリンゴ・ラム監督の「道に迷う」。病棟を舞台に、たたみかけるセリフ群が展開する、ツイ・ハ―ク監督の「深い会話」。7作すべてが、フィルム時代に敬意を表し、全編35ミリフィルムで撮影された。

 

 香港の時代を時系列で追っていく短編を繋ぎ合わせて作った映画。お気に入りの章を見つけたり、もう少し長く見たいと思わせるくらいが程よい。

 

 第1章『稽古』(サモ・ハン) 監督の自伝的な内容で幼少期の体験らしいが、虐待を美化しているようにも見える。この子供に罰を与えるみたいな教育は果たして教訓となりえるのだろうか。それても時代の反映なのか。

 

 第2章『校長先生』(アン・ホイ) 届かない恋心や当時の人々がいかに恋愛に奥手だったのかが分かる。女性から男性へ告白するなんてもっとハードルが高いだろう。正直男性から若い女性への一方的な視線を向ける内容であるが、1章同様に当時の人々のリアルが反映されているのだろう。本作で唯一の女性監督。

 

 第3章『別れの夜』(パトリック・タム) 1980年代のイギリスからの独立が近い。あるカップルの別れ話。香港から去っていく=元には戻らないという空気がある。まるでカラオケのイメージビデオを観ているような気分になるメロドラマ。ご丁寧に山口百恵さんの「秋桜」のカバーソングが流れるのだがら、意図的な演出だろう。決して裕福ではないと分かる部屋の中にところどころ登場人物たちの趣味がわかる演出は見事だ。

 

 第4章『回帰』(ユエン・ウーピン) 本土返還を前にした1997年。ハンバーガーと会話がところどころ英語になる孫娘と祖父との交流はそのまま、欧米化と近代化を目の前にした香港そのものだろう。祖父がハンバーガーと英語を受け入れたように、香港もそれを受け入れていくことを暗示している。

 

 第5章『ぼろ儲け』(ジョニー・トー) 2003年本土返還を経て急激に発展し、それに伴い人の移動も活発化。それにSARSの流行とくればどうしても2020年の現実と比べてしまう。登場人物3人はそれでも投資をやめず、思わないところでぼろ儲け。現実でも映画でもしたたかに投資する人間が儲かるのは皮肉だ。

 

 第6章『道に迷う』(リンゴ・ラム) 2018年、完璧に発展した香港。しかし人間というのはそれに倣って発展したりするわけでない。都会は全面禁煙であることを知らない主人公はまさにそうだろう。家族と待ち合わせるのに、やっとの思いで妻子を見つけるも、目のまえにいる妻子の場所にたどり着けず。道が複雑すぎて会えない。こんなにも都会の道路の複雑さを的確に表現したことがあっただろうか。ラストの主人公の香港への思いは、今の香港の人たちお気持ちをそのまま表現したものだろう。リンゴ・ラム監督は本作が遺作だそう。合掌。

 

 第7章『深い会話』(ツイ・ハーク) 未来。終始ちぐはぐな会話は観客の忍耐を試す。正直「第6章でやめとけばよかったのに」と思うが、そこはご愛敬だ。

 

 以上私は大変好みな映画だった。特に第4章と第6章が好きだった。私はとにかく『平成たぬき合戦ぽんぽこ』が好きなのだが、『七人楽隊』にはそのぽんぽこ要素が詰まりまくっていた。