@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ぼくの名前はズッキーニ』

f:id:GB19940919:20180810010008j:plain

 

ぼくの名前はズッキーニ』(My Life as a Courgette)

 

アルコール依存症の母親と2人で暮らす9歳の少年ズッキーニ。ある日、ズッキーニの過失によって母親が死んでしまうが、親切な警察官(レイモンド)に保護されて孤児院で暮らすことになった。孤児院という環境の中で自分の居場所を見つけるべく悪戦苦闘する。その中でカミーユという女の子が孤児院へ入所するが......

 

本作は第89回アカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされた。全編がストップモーション・アニメーションで作られており、それがより子供たちの表情を豊かに映す演出になっている。この記事を書いている2018年8月現在で、今年一番泣いた映画だった。スイスとフランスの共同制作だが、言語や映画の舞台はフランスである。日本公開にあたり有名な日本の俳優を配役していたが、正直子供たちが主人公なのに大人が吹き替えするのは世界観を壊すと思う。しかも割と有名な俳優を配役していた....しかし私が観たのは幸いなことに字幕版だった。本当に良かったし、というか子役の吹き替えは本当にすごいと思う。この映画の唯一悪いところは短すぎるところだ。

 

様々な背景を思った子供たちが登場し、感動系とか悲劇的な部分を強調して映画を作ることもできたはずだが、本作は様々な背景を思って施設にやってきた子供たちの日常をそのまま描いている。

 

本作で一番個人的に涙が止まらなくなってしまうのが、ズッキーニやカミーユやシモンを始めとした子供たちがまるで自己紹介をするかのように自分がなぜ施設にいるのか(ほとんどが親が原因だ)を説明するのに慣れている姿だ。またラストに警官のレイモンドがズッキーニとカミーユを引き取ろうと決意した時に、最初は周りの子ども達が反抗するのに、すぐにズッキーニやカミーユを祝福する姿に私は涙腺が崩壊してしまった。そしてシモンがズッキーニとカミーユを見送るシーン....初めましてを繰り返す子供たちはさようならにも慣れている現実を知った。

 

施設にいる子供たちのありのままを描いているが、その中でも難民の女の子、父親から性的虐待を受けた女の子をカミーユという女の子が心を開かせる演出に脚本を担当したセリーナ・シアマさん(女性の方)の良心を感じたし、本編を通して一番好きなシーン。

 

ただ少し引っ掛かりを感じたのが、子ども達がときおり性的な会話をするのだ。もちろんフランスの子ども達の日常なのかもしれないが、そこからズッキーニを始めとした子供たちの性的に早熟な行動が垣間見える時がある。しかし、実は性的な早熟は親との関係性から影響を受けるという話も聞くし、おそらく親の庇護を受けなかった彼らは性的に早熟になってしまう環境があるんだろう。それを隠し事なく描くことで、子ども達の現実をまじまじと知ることになる。でもおそらくフランスのなので、性教育はしっかり行われると思う。(施設でも男女で別の寝室だったし。)

 

そして毎回海外の映画を観て思うことは、こういうプロットが含まれる映画に出てくる周りの大人たちの行動力である。子どもは真っ先に庇護しなければいけないという価値観のもとで大人たちも行動するし、それは日本人もぜひ見習うべきだ。むしろ私がこの映画で一番学ぶべき点は、警察官のレイモンドだ。

 

素晴らしい映画だった。