@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『Mr.ノーバティ』

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郊外にある自宅と職場の金型工場を路線バスで往復するだけの単調な毎日を送っているハッチは、地味な見た目で目立った特徴もなく、仕事は過小評価され、家庭では妻に距離を置かれて息子から尊敬されることもない。世間から見ればどこにでもいる、ごく普通の男だった。そんなハッチの家にある日、強盗が押し入る。暴力を恐れたハッチは反撃することもできず、そのことで家族からさらに失望されてしまう。あまりの理不尽さに怒りが沸々とわいていくハッチは、路線バスで出会ったチンピラたちの挑発が引き金となり、ついに堪忍袋の緒が切れる。

 

 まあボブ・オデンカークがうだつの上がらいおじさんが実は凄腕のちょっと人間味あふれる殺し屋で、家族の命が狙われたのを機についに殺し屋に転じるって展開はかなり魅力的だし面白い。アクションもさすが『ジョン・ウィッグ』の脚本家が書いただけあるなと思う。

 しかし主人公の周りにいる人間がかなりご都合主義だと思う。まず妻は夫が血まみれで帰ってきても特に気にしないし、明らかに殺し屋だと分かっても特に意に介さないし、「ちゃんと帰ってきてね」的な甘えるシーンを差し込むのだが、正直都合が良すぎるし、逆に人物描写として悪い。最後は妻が主人公に見切りをつける終わりの方が絶対に良い。そしてもっと悪いと思ったのが、今どきあんなステレオ・タイプなロシアマフィアをよく登場させたなと思う。それに猫も可哀そうだ。

『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』

アレサの情熱と冷静に、ハレルヤ!

 

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アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン

 

1972年1月13、14日の2日間、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会でおこなわれたライブを収録した、アレサ・フランクリンのアルバム「AMAZING GRACE」。そのライブの模様をポラック監督がドキュメンタリー映画として撮影した。その後、映像と音声がシンクロできない技術的トラブルに見舞われて未完となっていたが、その素材をもとに半世紀近い時間を経て完成し、公開に至った。

 

 教会でライブ形式で録音されたアルバムのライブ・ドキュメンタリーであり、とにかくアレサの歌声がすごい。あとアレサがこんなにピアノが上手いだなんて、全く知らなかった。また観客が思い思いにアレサの歌声に答えるかのように掛け声をかけて、大変高揚感が溢れるライブだ。

 

 しかしそれ以上に凄いのがアレサの仕事に対しての情熱と冷静さだ。まずあんなに観客が近く、後ろでは技術係がせっせと動き回る中でアレサは全く冷静さを失わず、歌に集中している。これは逆に言えばそれだけアレサは仕事や歌に対して情熱があるということだ。アレサの情熱と冷静に、ハレルヤ!

『幸せの答え合わせ』

 

これ笑う映画ですよね

 

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『幸せの答え合わせ』(Hope Gap)

 

イギリス南部にある海辺の町シーフォードで暮らすグレースとエドワードは、もうすぐ結婚29周年を迎えようとしていた。独立して家を出た一人息子のジェイミーが久しぶりに帰郷した週末のこと、エドワードは突然「家を出て行く」とグレースに別れを告げる。その理由を聞いてグレースは絶望と怒りに支配され、そんな母を支えるジェイミーも自身の生き方や人間関係を見つめ直していく。「グラディエーター」「永遠(とわ)の愛に生きて」でアカデミー脚本賞に2度ノミネートされたウィリアム・ニコルソンが、自身の実体験をベースに脚本を執筆し、自ら監督も手がけた。

 

 ロケーションが大変すばらしいが、脚本は大変重い内容である。監督の実体験を基にしているらしいが、毒親に悩まされる息子の話でかなり嫌な話である。しかも息子のジェイミーはさっさと両親と距離を置くのが一番良いのに、この映画のジェイミーはそうしないで親と向き合い悩むのだ。ジエイミーの仕事仲間である一人が親と親しすぎると金言を与えるのだが、あまりジェイミーはそのへんを重要視していない。正直、ほろ苦く暖かいリスタートの話らしいが、温かい要素を全く私は感じ取れなかった。

 

 その代わりだが、この映画は大変笑える描写がある。映画との方向性は別にギャグを重視しておらずドラマ性を強調してくるのだが、私には笑えてしょうがないシーンが山ほどあった。まずエドワードに離婚を言い渡され絶望するのだが、まず家の階段で絶望しているシーンがあるのだが、あれ笑ってしまう。まず分かりやすいくらい暗い音楽聞いて、階段でボーっと絶望にふけるって、なんか私には笑えるのだ。終いにはグレースは犬を飼うのだが、そのラブラドールに名付けた名前が夫のエドワードと同じ名前だ。普通にヤバイがなんか笑えるのだ。しかもその犬に芸を仕込むのだが、「座れ、エドワード」とか「死ね、エドワード」とか夫への当てつけとしか思わない芸なのだ(笑)というかこれコメディ映画に振り切ればよかったんじゃ...

 

 

『グリーンランド 地球最後の2日間』

ジェラルド・バトラー史上一番最弱だけど、ちゃんと意味がある

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グリーンランド 地球最後の2日間』(Greenland)

突如現れた彗星による世界崩壊までの48時間を、普通の一家の目線で描いたディザスタームービー。突如現れた彗星の破片が隕石となり地球に衝突した。さらなる巨大隕石による世界崩壊まで残り48時間に迫る中、政府に選ばれた人々の避難が始まる。建築技師の能力を見込まれたジョン・ギャリティ、そして妻のアリソンと息子のネイサンも避難所を目指して輸送機に駆けつけた。しかし、ネイサンの持病により受け入れを拒否され、家族は離れ離れになってしまう。人々がパニックに陥り、無法地帯と化していく中、生き残る道を探すギャリティ一家が目にしたのは、非常事態下での人間の善と悪だった。

 

  ジェラルド・ハドラーと言えば「強い」役柄が多い。潜航したりするときも、大統領を守る時も、300人の兵士で戦うときもだ。しかし本作のジェラルド・ハドラー演じるジョンはただの建築士でかつ弱い。迫りくる危険にも、ただ逃げるだけで最後の方はもはや運命のようにアメリカを捨ててグリーンランドへ向かう。そして周りの命を助けるんでもなく、むしろ自分たちだけが救われることに対しての違和感はあまり抱いていない。しかしこのコロナ禍で公開されるパニック作品としてなら正当な役柄だと思う。

 

 まずコロナ禍という本当のパニックを経験した我々にはやはりヒーロー映画みたいな作品はより一層響かなくなったし、パニック映画もかなりリアリティが求められてしまう。そのためスーパーパワーや力をあまり駆使しない本作のジェラルド・ハドラーはジェラルド・ハドラー史上最も弱いが最もリアリティのある役柄だったと思う。

『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』

フランスのSF作家ってあんなに忙しいんですか?

 

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『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』(Love at Second Sight)

 

あしたは最高のはじまり」のユーゴ・ジェラン監督が、最愛の女性が自分のことを知らない、もう1つの世界に迷い込んでしまった男性を描いたフランス発のファンタジックラブストーリー。高校時代に出会い、一目ぼれから結婚したラファエルとオリヴィア。人気SF作家として多忙な毎日を送るラファエルと、小さなピアノ教室を運営するオリヴィアの夫婦生活はすれ違いが続いていた。オリヴィアと大ゲンカをした翌朝、ラファエルは見覚えのない部屋で目を覚ます。そこは夫婦の立場が逆転した“もう1つの世界”で、ラファエルはしがない中学教師、そしてオリヴィアは人気ピアニストで、ラファエルのことを知らなかった。

 

 コロナ禍での緊急事態宣言の影響で1年近く日本公開が遅れた作品だ。もう本当に公開出来て良かったね。まあ正直話は『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』と似ているが、笑える点が多くて面白かった。特にラファエルを支える友達のフェリックスにはだいぶ爆笑した。

 

 また主人公の著作であり本作の肝である、あのSF小説は正直面白くなさそう(笑) あとこの小説が売れてラファエルは結婚生活もままならなくなるほど忙しくなるのだが、そんなことある?(笑)小説家ってもっと時間に余裕がないと著作に影響が起きないか?その辺はだいぶ小説家の設定が雑だった気がする。

 

『ローズメイカー 奇跡のバラ』

人も薔薇も育てるには忍耐と時間とチャンスと資源が必要

 

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『ローズメイカー 奇跡のバラ』

 

 フランス郊外で父が遺した小さなバラ園を経営する頑固者のエヴ。人を雇う余裕などなく、倒産寸前に追い込まれたバラ園に、職業訓練所から派遣された3人の素人がスタッフとして加わることとなった。しかし、バラに関して何も知らない彼らはエヴを手助けするどころか、足を引っ張ることに。そんな中、エヴは世界初となる新種のバラの交配を思いつき、バガテル新品種国際バラ・コンクールに挑むことを決心するが……。

 

 

 邦題に「奇跡」が付いていたのでスルーしょうとしていたのだが、Twitterでの評判が良かったので鑑賞したが、大変良い映画だった。私の好きな要素が詰まった映画だった。

 

 まず女性とその仲間たちの仕事に勤しむ系映画である。本作はまず薔薇を育て、そして流通するまでをしっかりと描いており、特に薔薇を作る才能はあれど、それ以外の事務や販売の能力は仲間たちに一任しているシーンは大変良いし、あれだけで彼らの仕事に対しての才能や情熱が伝わってくる。特にそんな理由で仕事辞めるのって思ってしまうくらいプライドが高いエヴをあなたを見捨てませんと叱咤する事務のヴェラは大変すばらしい。

 

 次に薔薇の人工受粉というある意味神に近い行動をしているエヴが結局コンクールに出店する薔薇の受粉に失敗するも、最後は従業員たちであるサミール、ナデーシュ、フレッドの自然に受粉させた薔薇が大成するのが大変良い。しかもその受粉方法を教えたのは他でもないエヴ本人だ。この自然にできて、かつエヴがかけた時間や忍耐や資源が使われているこの薔薇は、実は従業員たちであるサミール、ナデーシュ、フレッドたち本人のことでもある。これは薔薇を育てる映画であるが、同時に人を育てる仕事映画でもある。そして人間も薔薇も一人前になるには、この映画で薔薇にかけたものと同等のものが必要なのだ。そしてそういうチャンスを誰にでも平等に与えられべきだ。

 

 そしてこの映画のラストはフレッドの調香師の才能に気付いたエヴが学校へ送り出すシーンで終わるが、このシーンも素晴らしい。まず旅立つ前にエヴがフレッドに「才能があるのと好き嫌いは別だからいつでも学校をやめていいの」的なありがたいセリフを送るのだが、実はこれも人を育てるうえで忘れてはいけない側面だ。そして花言葉を送るのだ。直接エヴが喋れない照れくさい言葉を代わりに花言葉が代用する素晴らしいシーンだった。こういう花言葉ならぜひ貰いたい。こういう不器用な人間が旅立つ若者に照れくさい言葉を他のもので代用して託す的なシーンって伝統的に男性に割り与えられていた役だった気がするが、この映画は正真正銘「女性映画」だ。

 

 

 

『アオラレ』

なんで煽り犯が常識を語るんだよ(笑)

 

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『アオラレ』(Unhinged)

 

ルイジアナ州ニューオーリンズ。レイチェルは15歳になる息子(カイル)と一緒に暮らしていた。そんなある日、車でカイルを学校に送り届けた帰り道、レイチェルは前を走っていた車が青信号になっても動き出さないという事態に遭遇した。レイチェルはクラクションで信号が変ったことを伝えようとしたが、それでも車は動かなかったため、やむなく追い越すことにした。ところが、前の車の運転手は追い越しに逆ギレし、真摯な謝罪を求めてレイチェルを追いかけてきた。運転手の行動は徐々にエスカレートしていき、レイチェルは想像を絶する恐怖を味わうことになった。

 

 コロナ禍でロックダウン中のアメリカで異例のヒットを記録した本作、日本に来た時にはまさかのアオラレという謎邦題をつけられ、宣伝にはラッセル・クロウの言わされてる感満載の「煽ってんじゃねーよ」が効果的に使われている(笑)

 

 しかしこの映画のベースはかなり常識の範囲で作られている。映画全体は常に詰めが甘くツッコミを禁じ得ないが(例えばスマフォの充電は切れないくせにタブレットはすぐ充電切れる...)、それでも愛嬌のある映画ではある。特に煽り犯を熱演するラッセル・クロウも良かったし(だいぶ昔より太った気が...)、何より煽られ役のシングル・マザーであるカレン・ピストリアスの演技は今年度で観た映画の中でも上位に食い込むものだったし、ラッセル・クロウの演技が光って見えたのも彼女の恐怖演技の賜物だ。というかこういうサイコパス男が普通の女性を恐怖のどん底に突き落とす系映画はどう考えても、恐怖を演じる女性の努力の甲斐があるからこそ輝くのだ。特に『シャイニング』とか。

 

 また本作が個人的に笑えるなと思ったところが、とんでもない煽りをしてくる男がなぜか謝罪についての常識や礼儀を常に女性に説いてくるのだ。何様だよ(笑)だからこそ最後の女性の「これが私の礼節だ」セリフがカッコイイのだ。

 

 そしてこの映画のラストは主人公が急に飛び出してきた車にクラクションを鳴らそうとするが、もめ事を避けるために自重するという車の教習所で見せるべきではとつい思ってしまうラストである。そうだ車の運転は熱くなったほうがダメだ。冷静に運転すれば、煽り運転だって減るはずだ。