@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『テスラ エジソンが恐れた天才』

日本語タイトルを監督が知ったらきっと怒るだろうな

 

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『テスラ エジソンが恐れた天才』(Tesla)

1884年ニコラ・テスラは雇い主のトーマス・エジソンと対立して職を辞すことになった。エジソンが直流方式での送電システムを構築しようとしたのに対し、テスラが交流方式を採用すべきだと主張したことが対立の原因であった。両者の対立は電流戦争へと発展し、最終的にはテスラが勝利を収めた。しかし、その勝利がテスラに栄達をもたらすことはなく、発明のための資金調達に苦心する日々が晩年まで続いた。

本作はテスラに惚れたこともある令嬢、アン・モルガンの語りを通して、「天才肌の発明家」と賞されるテスラの実像を描き出していく。

 

 普通の伝記映画と違って、スマホシンセサイザーなどが出てきてかなりスタイリッシュに描かれていた。アメリカでの批評が悪いが、私はそのスタイリッシュさを楽しめたので悪くない映画だと思う。それにイーサン・ホークの歌声も聞けるしお得な映画だ。

 

 それにしても日本語タイトルにエジソンの名前を借りるのは、この映画の存在意味に対してかなりとっ散らかった方向へ行っていると思う。テスラはエジソンとの電気戦争に負けて、エジソンより知名度で劣るからこの映画を作ったわけで、それなのにタイトルにエジソンの名前を入れるのはどうなのか。

『ジョーン・ジェット/バッド・レピュテーション』

 

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『ジョーン・ジェット/バッド・レピュテーション』(Bad Reputation)

 

 とても面白かった。それにしてもランナウェイズのメンバー不和の原因を作ったのが日本でのプロモーション時の日本メディアが原因らしく、本当に申し訳ない気持ちになった。sorry...

 

『ミナリ』

良くも悪くも超がつくほどのアメリカ映画だ... 

 

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『ミナリ』(MINARI)

 

韓国系の移民、ジェイコブ・イーは一攫千金の夢を掴むべく、妻(モニカ)と子(デヴィッドとアン)を引き連れてアーカンソー州の田舎町へと移住した。ジェイコブは一から農地を開拓して大農場主に成り上がろうとしていたが、モニカはそんな夫を冷ややかな目で見ていた。ほどなくして、モニカの母(スンジャ)も一家と同居することになった。スンジャは並々ならぬ毒舌家だったが、どこか憎めないところもあり、一家の生活(特にデヴィッド)に刺激をもたらすことになった。

その一方で、農場経営は一向に軌道に乗らず、家計は火の車であった。様々な困難に直面したジェイコブは挫けるどころか、却って成功への意欲を燃やしていた。そして、全てを犠牲にする勢いで経営に没頭していったが、それがとんでもない事態を引き起こしてしまう。

 

  A24スタジオ製作で、監督もキャストもほとんどがアジア系で、話の内容もアジア系移民の家族の話ある。映画の中では特に明言されないが、時代は1980年代だ。映画の中では韓国語と英語が入り乱れる作品だ。しかしこの映画を外国映画扱いされてしまい、ゴールデン・グローブ賞では外国語作品のカテゴリーにいられてしまい、物議を醸していた。(オスカーはその批判を含めちゃんと作品賞に入れていた)

映画を観てまず思うのは、この映画は良くも悪くもめちゃくちゃアメリカ映画である。それなのに外国語映画扱いを受けるのは、正直目が節穴だと思う。

 

 まず良い意味でアメリカ映画なのは、アメリカ人が美徳とする家族、労働、勤勉、熱心な信仰心がテーマである。その美徳とために家族のために頑張る父親が暴走した結果、家族が振り回される映画なんて、アメリカ映画にありふれているじゃないか。しかもアメリカ的な価値観を受け入れるということ=最後はダウンシングという非科学的な方法で畑の水を探していたが、これは科学を否定し、奇跡を信じている。これもアメリカ映画っぽいし。

 

 悪い意味は、父と息子の関係にばかり焦点を当てすぎて、母親と娘の人生が薄い。つまり女性描写が悪いのだ。これは悪い意味でのアメリカ映画ぽっさである。80年だが舞台でも、今は2021年なんだから、少しは創意工夫してくれ。こういう悪い点を批判する批評ってアメリカでは出てないのかな?『フェアウェル』もアジアの悪い価値観を美化しすぎじゃないかと思ったが、それに対しての批判があまりなかった。なんかアジアやアジア系の人々がモデルだからアメリカ人が中心のアメリカの映画メディアはこういう映画を批判しずらいのかな?だとしたらアジア系のライターやアジア系のジェンダーに詳しい人にレビューしてもらってください。正直この映画の中で描かれる価値観は批判されるものです。

 

 それにしてもこの映画の監督は自らの幼少期をモデルにしているらしいが、正直美化しすぎじゃないかと思う。特に監督の姉の描写が薄いし、彼女の苦労があまり見えてこないし、それにお母さんもただ家族を心配しているだけだ。監督の幼少期の身の回りにいた"僕を無条件で支えてくれた女性たち"の描かれ方が、非常に『ROMA/ローマ』に似ているなと思う。

『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実』

有害な男性性から脱するにはまず失敗を求めること

 

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『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実』(The Last Full Measure)

 

ウィリアム・H・ピッツェンバーガーアメリカ空軍のパラレスキュー部隊に所属し、ベトナムで自軍・友軍の兵士たちを次々と救助していた。1966年4月11日、ピッツェンバーガーは戦場に取り残された兵士を救い出すべく、ヘリコプターで現地へと向かった。ところが、敵軍の攻撃が予想以上に激しく、パイロットはヘリコプターを滞空させることが困難だと判断し、救助活動の途中で基地へ引き上げる決断を下した。パイロットはピッツェンバーガーを乗せようとしたが、ピッツェンバーガーは残された兵士たちを守るために敢えて留まることにした。彼の奮戦のお陰で、9人の兵士たちが生還できた。しかし、ピッツェンバーガーは敵軍の銃弾に倒れてしまった。

1998年、ピッツェンバーガーの両親と友人たちは彼に名誉勲章を授与して欲しいと国防総省に請願した。その請願を精査することになったのは、キャリア官僚のスコット・ハフマンであった。ハフマンが退役軍人たちの証言を集め始めたところ、予想もしなかった事実を知ることになった。ピッツェンバーガーに長らく名誉勲章が授与されなかったことの背後には、とある陰謀が隠されていたのである。

 

  この映画で興味深いのは、ピッツバーガーの偉業をたたえることは、軍の失敗を認めるということなのだが、失敗と言うのは恥ずべきことで英雄にはふさわしくないということだと考えられている。失敗を認めることがおそらく有害な男性性で出来上がっていたであろうベトナム戦争時のアメリカ軍では禁じられていたのだろう。そして年月を越えて有害な男性性から脱するようにピッツバーガーに助けられた男性たちは(時に涙を流しながら)、男性性から解放されるように話をしてくれる。ものすごく"最近のテーマ"を含んだ映画であった。

 

 またベトナム戦争後の兵士たちのPTSDをとても丁寧に描いた作品ではあるが、かなりアメリカ軍を英雄視した映画でもある。好きか嫌いで行ったらかなり嫌いなタイプの映画だ。

 

 またキャストもめちゃくちゃ豪華で、アベンジャーズかと思うくらいだ。そして先日亡くなったクリストファー・プラマーが出ている...RIP

『ビバリウム』

一種の子育て鬱映画だ

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ビバリウム』(Vivarium)

 

1組のカップル(ジェマとトム)が家を購入するために不動産屋を訪れていた。店主のマーティンは2人に最近開発されたばかりの宅地、ヨンダーにある家を購入するよう勧めた。マーティンの案内でヨンダーの9番地にやって来た2人だったが、その不気味さにゾッとさせられた。と言うのも、ヨンダーには住人が1人もおらず、そこにある住宅も全て同じ設計のものだったのである。帰ろうとした2人だったが、マーティンは車を残したまま忽然と姿を消してしまった。やむなく、2人は自力でヨンダーから帰ろうとするも、どうやっても9番地に戻ってきてしまうのだった。

翌日、2人は思いつく限りの手段を使ってヨンダーからの脱出を図ったが、どれも失敗に終わった。怒り狂ったトムはヨンダーに火を放ち、そのまま眠りに就いた。ところが、翌日には全てが元通りに再建されていた。愕然とする2人だったが、その目に謎の箱が飛び込んできた。その箱の中には赤ん坊が入っており、「この子を大人になるまで育て上げたとき、貴方たちは自由の身となります」というメモ書きが付されていた。

その言葉を信じて赤ん坊の世話に励む2人だったが、期待は脆くも裏切られるのだった。

 

 カッコウの托卵という習性を人間に例えるとどうなるのかというモチーフにしたホラー作品である。最終的にトムだけでなく、育てたジェマも子供に殺されるというオチであるが、これってたぶん子育てがいかに夫婦関係に悪い影響を与えるかについての映画だと思う。例えばトムとジェマが子どもを育てるようになってから夫婦関係が薄くなり会話やセックスが少なくなる。そしてジェマは子育てに夢中になり人生を捧げ、トムは穴をひたすら掘るという仕事に夢中になる。しかし子供と言うのは母親のいうとおりには育たない。これはおそらく60年代のアメリカの郊外住宅文化とそれに伴う家族の変化を風刺しているのではないかと思う。

 

 最後に意地悪なツッコミをするが、トムとジェマは二人ともスマホを持っておらず外部と連絡を取ろうとしないんだけど、今どきあの若いカップルがスマホ持ってないって観客は不審に思うと思うんのだが、この監督はそういうところは興味ないらしい。

 

『ワンモア・ライフ!』

時間軸の表現の仕方が雑

 

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『ワンモア・ライフ!』(Ordinary Happiness)

 

 イタリアの映画は久しぶりに鑑賞した。交通事故に遭遇した主人公のパオロが天国の入り口で自分の寿命に抗議し、審議の末に92分だけ(映画の上映時間ほぼ同じ)現世に戻れることになるついうだいぶぶっ飛んだ設定である。現世に戻っている間にパオロが何回も人生を懐古して、その様子が描写されるのだが、唐突に懐古したり時間軸が不確実だったりパオロがほとんど同じ洋服を着ているため一体いつの時期の過去なのか分からないし、時間軸のいじり方がとにかくヘタクソである。

 

 またパオロとその妻の関係は結構フランクで自由恋愛を貫いているらしく、平気で浮気するのだが、それはいいとして自分は平気で浮気する癖に妻の浮気は許せないってあまりにパオロは稚拙な男じゃないか?それにこんな稚拙なパオロにあまり疑問をもたず静かに涙を流しながら死を受け入れる妻っていう設定も都合がよすぎる。またパオロは娘にも嫌われているのだが、最後はなぜか突然娘がパオロに心を開いたりととにかく女の性格描写が雑だ。こういう寿命映画って今迄の自分の行いを悔い改めるのが基本だと思うが、パオロはずっと稚拙なままだ。とにかく全てが稚拙で雑な映画だった。

 

『野球少女』

道がないなら作ればいいと人は言うけど、そんな簡単じゃない 

 

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『野球少女』(Baseball Girl)

 

韓国では1996年規約改定により女性もプロ野球選手になることができるが、女子選手はなかなかプロ球団のトライアウトを受けさせてもらえない実情があった。本作の主人公スインは、1997年に韓国で女性として初めて高校の野球部に所属し、その後韓国プロ野球KBO)主催の公式戦に先発登板したアン・ヒャンミ選手がモデルになっている

 

  元々プロ野球に限らず、こういうプロのスポーツは建前上性別で分けずプロリーグは存在しているにも関わらず、男性しかプロになれないという事実は世に溢れている。公共の場をはじめ世の中にある場所は男性のものだ。なぜなら人間=男性として世の中は作られており、女性は人間としてカウントしていないからだ。だから女性は自分で社会の居場所を作っていかなければいけない。それがどれだけ大変で、将来の夢を左右するか、男どもは分かってない。