@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『あのこは貴族』

 

 この映画の感想は私が語るより、一曲紹介したい。

 

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Ladies

女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん
女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん
女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん
女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん
私は熟考している、差し迫った影響について
視差について、数値について、形式について、そして
どんどん生み出している回転ドアについて
あなたみたいに素晴らしい女性を
私が心を通わせられない女性がまたひとり(×2)
女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん、女性のみなさん
リラックスしましょう、彼と別れちゃったら、どうぞ遠慮なく使ってちょうだい
私が残していったものは
キッチンの食器棚に入ってるもの、バスルームの戸棚の奥にあるもの、それから、そうそう
クローゼットにドレスにある、アレは捨てないで、きっと似合うから!
私にはきつくて、それに元々私のドレスじゃないのよ、別の元カレの前の奥さんのドレスだから
彼女が残してものなの、メモを添えて、こんな一行があったっけ、「うまく伝わるか分からないけど、これでも一生懸命努力しているの」と
彼女はすごく親切だった
オオコウモリ!
とっても可愛らしくて、おバカさんで、頭がおかしくて、私はオオコウモリ、おバカさんで、頭がおかしくて
ひとりひとりがかけがえのない存在だから
競争にしちゃうのは悲しいし
愛の形もそれぞれ違う
だからあなたと自分を比較するなんて馬鹿げた話で
私が心を通わせられない女性がまたひとり
私が心を通わせられない女性がまたひとり
私が心を通わせられない女性がまたひとり

 

 

『ラーヤと龍の王国』

科学は信じないけど奇跡は信じる 

 

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『ラーヤと龍の王国』(Raya And The Last Dragon)

 

はるか昔、古代アジアのクマンドラと呼ばれる不思議な世界では、人間とドラゴンが調和を保って暮らしていた。しかし、ドルーンと呼ばれる不吉な煙の怪物が世界を脅かしたとき、ドラゴンは人々を救うために自らを犠牲にしたのだった。そして一つだった国は5つに分断されてしまう。それから500年が経ち、再びドルーンが戻ってくる。ドルーンの野望を阻止するため、ラーヤという名の孤独な戦士が世界で最後のドラゴンを探す。しかし旅の途中で、世界を救うにはドラゴンの魔法以上のものが必要であることを学ぶ

 

 『ムーラン』ばりの"父の娘"のラーヤが5つの分断された国と人々に信じる心を取り戻させるって...これ今のアメリカじゃないか。まずドルーンによって分断させられた人々って設定は、コロナウイルスで分断されたアメリカだし。そんなドルーンをおさめるのがドラゴンっていう特殊な信仰で、人々が信仰に目覚めてやっと分断された国が一つになり王政が復活するあたりは、ディズニーとアメリカの変わらない考え方だと思う。しかし最終的に人々が他人を信じる心を取り戻すのが"信仰"っていうのはなんか悲しい。そこに科学や社会はなく、神秘的な思想と信仰しかない。信仰は信じるけど科学は信じないのだ。

 

 と批判してみたものの、やっぱりさすがディズニーは作品の質が高く脚本もよく出来ている。それに主要キャストが全員アジア系でエポック・メイキングな作品だ。それにシスターフッドとして大変よく出来た作品だ。

 

 

『ステージ・マザー』

愛ってこういうことなんです

 

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テキサス州メイベリン・メトカーフは同地にある教会のコーラス隊のリーダーを務めていた。メイベリンにはリッキーという息子がいたが、同性愛者であることをカミングアウトされてからというもの、そのまま疎遠になっていた。敬虔なキリスト教徒であり、保守的な価値観で生きてきたメイベリンは息子の告白を受け止められなかったのである。そんなある日、メイベリンの下にリッキーが急逝したとの一報が届いた。メイベリンが葬儀に参列するべくサンフランシスコを訪れたところ、リッキーが経営していたゲイバーを相続する権利があることが判明した。しかも、そのバーの経営状態は火の車だった。

ここで、メイベリンは誰もが予想しなかった行動に出た。経営の経験がなかったにも拘らず、メイベリンはゲイバーの再建に乗り出したのである。

 

 

  ゲイバーの経営が難しいことや、ゲイバーでも女性には無料でドリンクを振る舞おうとしたり、他のゲイバーと差をつけるために口パクではなくオリジナルソングでバトルしようとしたりとこの映画の製作人はかなり都市部のLGBTQカルチャーに詳しい人だと思う。

 

 面白いのが、リッキーの母である白人のメイベリンは今までロマコメ映画でゲイが担ってきた、主人公の女性を慰める天使みたいな存在という役柄を、メイベリンが担っている点だ。メイベリンはゲイバーで働く人々のために無条件で励ましたり援助したり、ルームメイトの恋人事情や赤ん坊の世話を積極的に行い的確なアドバイスすらする。これって私が思うところの愛である。愛は恋人ではなく、恋う言う人々に向ける者である。そう愛ってこういうことである。

『カポネ』

 

前評判ほど悪い映画ではないと思うが、全盛期のカポネをトムハが演じる映画を作ればよかったんじゃ...

 

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『カポネ』(Capone)

 

1946年フロリダ州パーム・アイランド1920年代のシカゴで絶大な影響力を誇ったマフィアのドン、アル・カポネは刑期を終えて同地でひっそりと暮らしていた。アルは梅毒のために思考力や判断力をすっかり失っていたが、FBIはそれを演技だと思い込み、一家を監視し続けていた。アルは幻覚やフラッシュバックにも悩まされており、彼の精神状態は悪化の一途を辿っていた。本作はアル・カポネの知られざる晩年を描き出していく。

 

  カポネの晩年をトムハが特殊メイクで演じる意欲作であるが、なにぶん評価が芳しくない。確かに脚本は支離滅裂だし、なんか妄想のシーンが肥大化しすぎて結局何がやりたいのかいまいち伝わってこないので脚本がとにかく悪い。役者人はみんな大変すばらしい。そのためこのキャストのまま、カポネの全盛期を映画化すればよかったのではないかと思う。トムハの若きカポネ、ぜひ観てみたい。

 

 それにしてもこの映画で一番伝わってくるのは、病気を周りに理解してもらえないのって本当につらいなと思う。特にカポネみたいなタフガイなイメージがある人はなかなか周りに病気を理解してもらえないだろう。

 

『ガンズ・アキンボ』

銃と言葉の取り扱いにはご注意を

 

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『ガンズ・アキンボ』(Guns Akimbo)

 

マイルズはネットの掲示板や動画のコメント欄に過激なコメントを書きこむのを趣味にしていた。ある日の夜、マイルズはスキズムという違法な格闘技をネット上で観戦しつつ、いつものように攻撃的なコメントを書きこんでいた。スキズムを主催するリクターはそのコメントに激怒し、マイルズの身元を特定した後、部下に命じて彼を拉致させた。その後、マイルズは両手に重い拳銃を固定され、戦闘狂のニックスとのデスマッチに放り込まれた。当初、臆病なマイルズは逃げ回るばかりだったが、元カノのノヴァが人質に取られたことを知るや否や、意を決して反攻に転じるのだった。

 

  まあ確かに下品な言葉と銃と殺害描写の連続で倫理的に欠けている映画であるが、性描写が全くない分私には上品な作品に見えたし、何より両手を銃に改造された人間のリアルをかなり追求したよくできた映画であった。また銃よりオンライン上の言葉の取り扱いについてすごく倫理観に溢れていた。

 

 よく出来た映画であったが、ひとつ悪い点を。マイルズの元カノであるノヴァがアジア系の女性なのだが、髪の毛がカラーリングされており、よく映画で出てくるアジア系女性のステレオタイプだったことは指摘しておきたい。

 

『聖なる犯罪者』

問題は人々が信仰を失っている事ではなく、教会が腐敗していることである

 

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『聖なる犯罪者』(Boze Cialo)

 

第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたポーランド発の人間ドラマ。少年院に服役中のダニエルは、前科者は聖職に就けないと知りながらも神父になることを夢見ていた。仮釈放され田舎の製材所で働き始めた彼は、ふと立ち寄った教会で新任の司祭と勘違いされ、司祭の代わりを命じられる。村人たちは司祭らしからぬダニエルに戸惑うが、徐々に彼を信頼するようになっていく。数年前にこの土地で起きた凄惨な事故を知ったダニエルは、村人たちの心の傷を癒やそうと模索する。しかしダニエルの過去を知る男の出現により、事態は思わぬ方向へと転がっていく。

 

  ダニエルは神父になりたいが、酒もドラッグも嗜み性行為も積極的にするが、それに対して禁欲しようとするのではなく、禁欲について葛藤する姿を教会で信者たちに話すことである種の信仰を人々から得ており、新しい信仰の形を提示しており、どちらかというと限りなくプロテスタンティズムを感じる。

 

 しかしダニエルがする宗教改革には教会は厳しい。信仰深いダニエルから、教会組織が信仰をとり上げてしまうのだ。これは若者から夢や希望をとり上げてしまう、現代社会を皮肉っているが、それは信仰の世界も同じらしい。随分教会組織は腐敗している。

 

『世界で一番しあわせな食堂』

オリエンタリズム”について本気で考えた2時間

 

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『世界で一番しあわせな食堂』(Master Cheng)

 

フィンランド北部の小さな村。シルカが営む食堂に、上海からやって来た料理人チェンとその息子が訪れる。チェンは恩人を捜していると言うが知る人は誰もおらず、シルカは恩人捜しに協力する代わりに食堂を手伝ってもらうことに。チェンの料理は評判を呼び、食堂は大盛況。シルカや常連客たちと親しくなっていくチェンだったが、観光ビザの期限が迫り、帰国の日が近づいてくる。

 

 『希望のかなた』などを監督したアキ・カウリスマキの弟であるミカ・カウリスマキが監督している本作。兄はあんなにシリアスな作品を作るのに対して、弟のミカはずいぶん楽観的だなと思った。アキは『希望のかなた』でヨーーロッパに来る難民を真摯に描き社会へ皮肉ともとれるメッセージを込めていた。翻ってミカは難民ではなく外国人としてやってくる人を描き、そしてユーモアに沿えてある意味で全く変化しない白人を見事美化した作品を作った。(脚本はミカではない) 正直ミカは本当に白人特権的な作品を作ったと思う。というかこの作品出てくるアジア系のチェンとチェンの振舞いや文化の描き方がだいぶステレオ・タイプでオリエンタリズムに満ちて、そしてアジアにおける国籍取得の良い部分だけを切り取っていたため、2時間ずっと欧米におけるアジア系って所詮こんなものなのかと思っていた。

 

 まずチェンの振舞いである。人捜しする設定なのは別に構わないが、食堂にいる地元の白人に物事を尋ねる際、頭をペコペコいちいち下げるという癖がある描写になつており、これはかなりステレオタイプだと思う。まずチェンは英語が流暢であり、上海に暮らしていた時も外国人の相手には慣れていたようなセリフがある。英語も流暢で外国人にも普段から接していた人が、あんなガチガチなアジア系のステレオタイプみたいな挨拶をするだろうか。いやまずしないだろう。ということは監督はこのステレオタイプのアジア系の挨拶が面白いと思って演出に入れたのである。全くもって人種差別である。しかもチェンが食堂を手伝うきっかけになったのが中国人の団体客が訪れるからだというのが、もうステレオタイプだ。ここでもアジア系は所詮外国人なのだ。

 

 次にチェンが作る上海料理がまるで万能の薬みたいな扱いを受けている描写について。まずチェンの中華がフィンランド人に受け入れられたのは、彼が上海の料理人だからとうのが大きいはずだ。上海は海に面して古くから洋食への傾倒があったはずだ。おそらく同じ中華でも土地が違った中華料理だったら、癖が強くフィンランド人にはおそらく受けないだろう。ここではアジア(中国)の地域における差異は無視され、フィンランド人が食した神秘的なアジアのみが中華(文化)として受け入れられている。心地よいもののみ受け入れる文化交流である。というか料理が生理や病気に効くんなら、みんな苦労してないのよ、本当に。

 

 そして最後に言いたいのが、チェンの結婚ビザ取得への描写だ。まず言いたいのが、中国をはじめアジアの地域は二重国籍を認めていない国が多い。そこで恋仲になり結婚を決意したチェンとシルカには国籍問題とビザ問題が生じる。ということでまずシルカが上海へ向かいそこでチェンと結婚する。それから婚姻関係のまま二重国籍を認めているフィンランドにもどればチェンは婚姻ビザでフィンランドで暮らすことができる。まるで現代のおとぎ話だ。アジアにおいて二重国籍(そして無国籍)が認められないせいで、どれだけ多くの人が苦しんでいるのかを全く知らない人が書いた脚本だ。全くもって好い気なもんだなと思った。こんな描き方チェンが非アジア系だったら絶対にしなかっただろう。所詮ここでもアジア系は"外国人"なのだ。