最近のジョニー・デップについて語りたい....
『MINAMATA ミナマタ』
ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマ。1971年、ニューヨーク。かつてアメリカを代表する写真家と称えられたユージン・スミスは、現在は酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。そこで彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側という信じられない光景だった。衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンだったが、やがて自らも危険にさらされてしまう。追い詰められた彼は水俣病と共に生きる人々に、あることを提案。ユージンが撮影した写真は、彼自身の人生と世界を変えることになる。
まず私がこの映画の感想を語るよりまず、このツイート群を見たほうがずっと良い。
『MINAMATA』。自堕落な生活で惜しい才能を朽ち果てさせかけていたジョニー・デップが、社会公益性の高い仕事に取り組み人助けをして花道に戻る映画。ジョニー・デップ氏を朽ちさせるのは惜しいスタアと思う人は大勢いようけれど、「実話に基づく映画」としては「実」を切り捨てすぎではないか
— 鷲谷花 (@HWAshitani) 2021年9月27日
この映画では水俣病の前後や日本の資本主義などは一切語られず、かくまでユージン・スミスの視点でのみ語られる。なんというかユージン・スミスの映画だ。悔しいがこれでも水俣病を知るきっかけになればいいと思うが、それでもこの映画の意義は」薄いと思う。というかこの映画はたぶん水の汚染による社会問題を最終的に伝えたいらしく、そのためのきっかけとして水俣病を扱った感がある...
あと映画のラストにチッソの社長の涙がクローズアップされ、少し同情してしまうような演出だが、それって本当に日本の資本主義と帝国主義を知らなさすぎだと思う。映画の途中でユージンが泊まる家に警察が襲い掛かるシーンがあって、そのシーンがあまりに平面すぎて呆れてしまったが、言われてみればこの映画は水俣を平面的に撮っているので、あらゆる点でこの映画は平面的だと思う。裏側が全く見えてこない。
あと私が一番語りたいのはこの映画を制作したいと思ったジョニー・デップについてだ。今ジョニーは元恋人のアンバー・バートにDVをしたため裁判中だ。世間では泥沼裁判だと言われているが、アンバー側の主張が圧倒的に正しいし、しかも事件当時の写真がかなり信ぴょう性高く、この裁判に関しては100%私はアンバーの味方だ。ハリウッドでもアンバー側に立っている人が多く(当たり前だ)、ジョニーはおそらくこれ以降大作映画には出れないと思う。いわゆるキャンセルされている。現にファンタスティックビーストシリーズは降板させられた。
このキャンセルをジョニー本人も自覚しているらしく、この映画の宣伝で受けるインタビューでキャンセルーカルチャーの危険性について語っていた。おそらくこの映画で描かれるユージンの姿に、ジョニー本人が自らを重ねたのではないかと思う。(製作も兼ねているので) だとしたら、めちゃ腹が立つんだが。自分の弱っている姿を映画の役に重ねたいから、水俣が利用されたとしか思えない。