@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『憐れみの3章』

 

『憐れみの3章』 (Kinds of Kindness) [2024年9月]

 

愛と支配をめぐる3つの物語で構成したアンソロジー。選択肢を奪われながらも自分の人生を取り戻そうと奮闘する男、海難事故から生還したものの別人のようになってしまった妻に恐怖心を抱く警察官、卓越した教祖になることが定められた特別な人物を必死で探す女が繰り広げる3つの物語。監督はヨルゴス・ランティモス。脚本はヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ。出演はエマ・ストーンジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ホン・チャウ、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファーほか。

 

 今年観た『哀れなるものたち』と比べると話が理解しにくく、ビジュアルも現代のアメリカが舞台なので綺麗に撮っているが少し映えない印象も受ける。ただ『哀れなるものたち』よりかは気軽に観てねという感じで(本作のように自由な感じで作れるのも成功したからこそだ)、かつヨルゴス・ランティモスの初期の作風を感じ取ることもできる。

 

 ただ3章仕立てにするなら、せめて各章の"メイン"に役者を変えて欲しかったというのが本音だ。監督の意図は理解できるんだけど、各章で少ししか出てこない役者が黒人男性かアジア系女性かトランスジェンダー女性というのも、何かね。3章目でジェシー・プレモンスが出てきたときは「またどうせ同じ役柄なんでしょう...」と飽きてしまった。SNSで「寝た」という感想がやたら多かったのも納得した、そりゃ寝るよ。私が観た回の斜め前に座っていたオジサンがイビキをかくほどの大爆睡をキメ込んでいたのですが、正直羨ましいと思ったくらいには、"寝て"も仕方ないと思わせてくれた。2章目でスパイス的にセックスシーンを挿入(?)しなくてもさ、役者を変えれば済む話だよ。同じく2章にメタ的な意味でセックスに関する話を挿入した濱口竜介監督の『偶然と想像』の方がずっと上手だと思ったよ。だってそっちはちゃんと役者が変わるんだもの。

 

 1章、2章、3章と分かれているものの共通して描かれているのはケアされることへの恐怖と嫌悪だ。ケアというのは優しさや愛の表現だと思うが、同時に人間同士における権力の表れでもある。ヨルゴス・ランティモスはおそらく"ケア"というものを嫌悪もしくはネガティブなものだと思っている(その最もたる例として、病院がよく舞台になっていて、そこがトラブルの元となっている)。その"ケア"されることで発生する関係への抵抗や歪んだ順応が本作の3章を通して描かれる。ただ個人的にこの"ケア"されることへの恐怖みたいなものがよく分からないというか、単純に「人間はケアされて生きているのだから、そこまで嫌わなくてもいいじゃないか」と思った(私が"ケア"に関する仕事に就いているのも原因かと思うが...)。ただこの"ケア"される恐怖は日本やアメリカの映画を観ているとけっこうネガティブに描かれていることが多いので(例えば日本映画でも成人した子どもに介護される老齢の親の姿がポジティブに描かれることは少ない)、アメリカ人(日本人もだ)の根底にある不健康でいることへのフォビアそのものを風刺しているのかもしれない(ヨルゴス・ランティモスギリシャ人なので)。

 

 またこのケアされることの恐怖ってすごく"男性らしい"視点というか、"男らしい"恐怖だなと思う。驚くのだが、男性って人に優しくすること、優しくされることは何か"裏"があると考える人がけっこういるのだ。本作を観ながら思い出したのはポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』だったのだが、あれも男性監督による女性の"ケア"についての映画で、何も取り柄が無い女性がモノにしたい男性に毒を盛り、弱った状態を介護することで自分のモノにする、女性が権力を得る過程を描いていた。これが凄く"男性的"な一方的な偏見に基づいて作られている酷いミソジニー映画だなと思ったのだが、正直『憐れみの3章』も同じ感想だ(そもそも『ファントム・スレッド』は、ポール・トーマス・アンダーソン監督がひどいインフルエンザに罹った時に妻であるマヤ・ルドルフが一生懸命世話をしていたのだが、「この人(マヤ・ルドルフ)はずっとそばにいてもらいたくて、ずっと病気になっていればいいと思っているんじゃないか」と思ったというエピソードが元になっているので、そもそも発想自体がえらく女を馬鹿にしている)。

 

 ケアされることは権力の発生なのは確かなのだが、こういうのを恐怖だと思う女性って少ない(いない訳ではない)。やはり女性は男性と違って本当に社会性とかケアの要員を求められることがとても多いからだろう。もし『憐れみの3章』みたいな映画を女性の監督が作ったら、私はそっちの作品を評価したいかな。