@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』

 

『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』

 [2023年日本]

 

かつて、ノストラダムスの隣町に住んでいたヌスットラダマスが「20と23が並ぶ年に天から2つの光が降り、世界に混乱がもたらされる」という予言を残した。そして西暦2023年の夏、宇宙から白と黒の2つの光が地球に降り注ぎ、しんのすけに白い光が命中。不思議なパワーがみなぎるしんのすけは、エスパーとして覚醒する。そして、もう一方の黒い光を浴びた男・非理谷充(ひりや・みつる)もまた、エスパーとなった。バイトは上手くいかず、推しのアイドルは結婚、さらには暴行犯に間違われ警察に追われていた非理谷は、力を手に入れたことで世界への復讐を企む。破滅を望む非理谷と、それを止めようとするしんのすけの、超能力バトルが幕を開ける。監督は大根仁

 

 まず3Dアニメーションについてだが、後半の充との闘い(ロボット大戦、怪獣から逃げる)のシーンで存分に発揮されていて、製作側が見せたいものには感心した。また個人的に野原家を立体的に見せてくれたので満足だ。それに同じ劇場にいた子供たちもケラケラ笑っていたので、そこはクレヨンしんちゃんの映画としては大成功だろう。

 

 しかしそれ以外の肝心の脚本がかなり悪いというか、寒いというか、大根仁成分がだいぶ悪い。これはすでに指摘されているが、充の人物描写である(念のため漫画原作のエピソードがあるのだが、こっちは漫画らしくカラっと終わる)。映画の舞台は2023年とわざわざ明言していて、充は劇中のテレビ越しの設定だが30台前後らしい、ということはひろしとみさえと同級生である。それなのにひろしや他の大人たちは充としんのすけを比べて「この世代に未来はない」「自分たちが子どもたちのときは良かった、働いていれば幸せだった」みたいなセリフで、いったいひろしの年齢はいくつの設定なのか?また2023年と明言している割には、社会も世代という概念がおそらくこの映画の中にはない。それなのに観客に今の格差社会を想像させるような感じで、さすがに無理があるだろう。

 

 もし現実の格差社会を映画いたいのなら、推しが結婚して不幸のどん底になったいう陳腐な充は登場させないほうがいいし、バブル世代に産み落とされたエリートサラリーマンひろしを登場させないほうがいいいだろう。それに充は思い切って反抗する相手も中学時代のいじめっ子で、それに反抗するだけで、それがかえって充のその後の人生を馬鹿にしていると思うのだが、とにかくこの映画は社会も政治も世代も人間も描けていない。私はネットでよくある野原ひろしの言ってもいない名言とか実はひろしはエリートだったみたいな設定そのものへのツッコミなどは邪推だと思っているのだが、この映画を観ながらさすがにそれらの邪推なツッコミを禁じ得なかった。これもすべて脚本が悪いからだろう。