『アフター・ヤン』(After Yang)
「コロンバス」のコゴナダが監督・脚本を手がけ、アレクサンダー・ワインスタインの短編小説「Saying Goodbye to Yang」を独創的な映像表現で映画化したSFドラマ。人型ロボットが一般家庭にまで普及した近未来。茶葉の販売店を営むジェイクと妻カイラ、幼い養女ミカは慎ましくも幸せな毎日を過ごしていたが、ロボットのヤンが故障で動かなくなり、ヤンを兄のように慕っていたミカは落ち込んでしまう。ジェイクは修理の方法を模索する中で、ヤンの体内に毎日数秒間の動画を撮影できる装置が組み込まれていることに気付く。そこには家族に向けられたヤンの温かいまなざしと、ヤンが巡り合った謎の若い女性の姿が記録されていた。
私はA24スタジオの大ファンで公開されたら絶対に観に行くし、何なら全く好みじゃない作品だったとしても一応記録してパンフレットを購入してる。特にアジア系の作品に力を入れてくれる本スタジオには感謝してます。
本作はAIクローンが存在するSFだが、どういった社会なのかよく分からないし(極力社会や世界の描写をさせているような気がした)、室内とか家庭の描写がほとんどである。セットもアジアテイストでかつ洋風な感じで新しいけど懐かしいみたいな、ノスタルジーな気分にさせるセットだ。(これが嫌な人は嫌だと思う) また洋服もいわゆる着物みたいな装いで、少しデザインが地味だ。ユニクロとか無印が売ってそうな洋服で(笑)、個性が死んでる感じだ。(しかし、ああユニクロとか無印って本当に日本人のおしゃれの感覚を後退させたなと思った。この間Twitterでユニクロの洋服はダボダボで着やすいを重要視するあまりオシャレを没にさせたという記事を見たが、本当にその通りだ)
しかしこの映画はあくまでSFとクローンは映画の導入としてあるだけで、監督が重要視したのはヤンが人間としてクローンとしてのアイデンティティに葛藤したり取得しようとする過程と、ミカの中国人としてアメリカ人としてのアイデンティティ形成の過程を比較し、実はこの二人のアイデンティティ形成は似ているんだということを見せたかったのではないかと思う。(本作はアメリカ感がすごく薄くて...)
話の内容はよくある話で、亡くなった故人の思い出を故人の恋人や家族や友人が追体験する系だ。その故人がクローンというのが本作の肝だ。たとえクローンでも意図せず亡くなっていった故人がいたら、生前何を思って生きていたのか知りたくなるのは当然だという感じだろうか。それでも映画の見せかたはよくできているし、何よりMitskiがカバーした"Glide"も大変すばらしい。
しかし亡くなった故人の思い出を勝手に覗くのはあんまり褒められた行為じゃないし(例えば勝手に日記を覗くみたいなもんだ)、ヤンが一方的に尽くすのを見てるのも辛い。(やっぱ私はクローンが反乱する未来を望んでるようです)