@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『STAND BY ME ドラえもん2』

"ドラ泣き"っていうより"ドラ怒"だった...

 

大好きなしずかちゃんと結婚するのび太。子どものころからの夢がかなうはずなのに結婚式当日にのび太が疾走...過去からその様子を見に来た小学生ののび太ドラえもんは大人ののび太を探すことに...

 

 前作『STAND BY ME ドラえもん』の続編にあたる今作。まずノスタルジーと家族原理を強化する監督である山崎が監督時点で"ドラ泣き"ではなく、"ドラ怒"なのだが、今作は前作よりより山崎の脚色が気色悪かった。まずのび太のおばあちゃん(あんな着物を着て猫背で歩くステレオタイプなおばあちゃん、例えノスタルジーの世界でもいないだろう...)に小学生になった姿を見せる話は原作の漫画にもあったので、そこは別に「まあ漫画通りだね」と思ったくらいであったが、次に山崎はおばあちゃんがのび太の結婚している姿がみたいと言い出す脚色にするのである。きもい。

 

 そしてマリッジ・ブルーになった大人のび太が過去に戻って子どものび太と色々話し合い、自分の出生をタイムマシンで見に行って改めて両親の偉大さや素晴らしさ、そして家庭をもつことの大切さに目覚め、結果未来に戻って真剣にしずかちゃんとの結婚に挑むのだ。そこで話す結婚式のエピソードがとにかくきもい。「お父さんお母さん、あなたたちは(自分が家庭を持つうえでの)最高のライバルです」とかいうのだ。どんだけ家族規範、異性愛規範が強いんだ。ドラえもんって未来の話なのに、山崎が脚色するとこんなに気持ち悪くなるのか。なんか日本会議プロパガンダを見ているような気分だ。未来は死んでいる。

 

 またCGアニメは素晴らしいく山崎の専売特許である所謂昭和ノスタルジーが存分に生きており芸が細かい(靴下がちゃんと汚れていたり)のだが、時代設定がめちゃくちゃだと思う。のび太が25歳の時は車は自動運転でその他もろもろがすごい未来的なのに、小学生ののび太の時代はえらく古臭い。あんなにすぐに発展しないだろう。原作でものび太が大人だったときは自動運転の車は出てこなかったはず。ちゃんと初期設定を思い出せよ、山崎。どうせTOYOTAが協賛しているから協力しただけだろうけど、それにしても酷いぞ。あと未来ののび太たちの町の風景が企業の宣伝に使われ過ぎていて幻滅した。西武鉄道ユニクロ、その他もろもろの企業。邪魔だろ、アレ。あんなに企業ロゴ前面に押し出して、映画を馬鹿にしすぎだろう。あと名前出すにしても、もっとパロディ精神を出せよ。ドラえもんってそういうの上手じゃん。家族が一番という保守的な価値観を終始みせつけ、かつ大手企業中心の資本主義がまかり通る映画だ。今の自民党の政治を反映しており、自民党プロパガンダな映画だ。

 

 またしずかちゃんとはほぼトークンみたいな感じで、物語にあまり寄与しないし(あんなめんどくさいのび太と結婚するんだぞ、なんだあのトロフィーワイフ感は...)、ドラえもんの道具もいまいち活躍しない。もうドラえもんの皮をかぶった別の物語だ。私は鑑賞中、何度が怒りが沸点を通り越したが、最高潮に達したのはこれみよがしなエンディングテーマが流れた時だ。死ぬかと思った。歌のタイトルは虹だが、私の心には土砂降りの雨が降っていた。