@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『旅立つ息子へ』

父親と息子である意味がしっかりしている映画

 

『旅立つ息子へ』(Here We Are)

 

愛する息子ウリのために人生を捧げてきた父アハロンは、田舎町で2人だけの世界を楽しんできた。しかし、別居中の妻タマラは自閉症スペクトラムを抱える息子の将来を心配し、全寮制の支援施設への入所を決める。定収入のないアハロンは養育不適合と判断され、裁判所の決定に従うしかなかった。入所の日、ウリは大好きな父との別れにパニックを起こしてしまう。アハロンは決意した。「息子は自分が守る―」こうして2人の無謀な逃避行が始まった。

 

 チャップリンの短編映画『キッド』をモチーフにしているが、結末が『キッド』のアンチテーゼ的な内容だ。私は自分の仕事柄この映画の結末は素晴らしと思う。こういう映画は(特にアメリカ映画は...)基本的に施設を悪く描きがちであるが、この映画はむしろ施設で生活するという選択肢を選ぶことで父と息子にとって将来的に良いというラストになっている。どういう系統の施設なのか映画では詳しく説明されないが、確かにこれからのウリの長い人生を考えるとやはり施設に入ってそこで自立したほうが良いだろうから、やはりこの映画の結末は良いと思う。

 

 またこの映画で面白いのは父のアハロンが有害な男らしさと父親らしさから解放されていく過程がとても丁寧に書かれていると思う。まずアハロンはウリの可能性や社会性を全く理解できずに息子には父親が必要なんだと勝手に思い込んでいる。しかも誰にも助けを求めずろくに母親に話もせずあらゆることを勝手に決めている。また映画の中にはアハロンの弟さんがアハロンには経済的に恵まれた仕事に就いていたのに離婚がもとで勝手に仕事を辞めてウリと勝手に暮らしていることが判明するのだが、そのアハロンの行動すべてが有害な男性らしさから発生するものだ。最後にウリの施設での生活ぶりや行動を見て自らウリを手放すように有害な男性らしさから解放される姿が素晴らしかった。というかこの映画は親子の感動映画ではなく、どっちかというと父親がいかに有害な男性性を手放すことが重要なのかについての映画な気がする。まあ日本の広報はその辺をはき違えているような気がする。