ウッディに迫りくる中年の危機...
前作『トイ・ストーリー3』がアニメ映画の枠を超えたクオリティーで私を含め多くの人を感動させたので、正直言って続編を作るのはかなり難しいのではないかと観る前は思った。作りてもそれを覚悟したのか、とても正直に真摯な姿勢で作っていたと思う。(アニメだから良いけど、実写で観たら映画の内容に個人的にムカツク話ではあるが) アニメーションの質もかなり上がって、冒頭の雨のシーンなんて映像がきれいすぎて実写かと思った。
ウッディはアンディから新しい持ち主のボニーの元へと渡ると、ボニーはカウボーイのウッディよりもカウガールのジェシーに夢中であった。そこで長年誰かのお気に入りであった自分の存在感の意義にぶちあたり、そこにちょうどボニーが作ったフォーキーがやってきて、追い打ちをかけるように自分の居場所について考えるようになる(厳密にいうと考えないようにしていた)。この辺はまるで中年男性のミッドライフクライシスについての映画だ。まあ確かに白人のカウボーイなんて、今どきあまり求められていないヒーロー像だし(幼稚園でヒーローのおもちゃに隠れていたのが象徴的なシーンだった)、ウッディは自分よりもアンディやボニーや仲間のために身体を酷使して尽くしてきた(時にウザいくらいに)。だからそれ以外の生き方を知らない。そう本当にこれはミドル・クライシスの話だ。
そこに昔の仲間であるポーがたくましい姿で現れる。ポーは子どもの相手のおもちゃとしての人生に飽き飽きし、「世界は広いのよ」と新しい子どもに頼らない新しい人生をウッディに教える。『トイ・ストーリー3』で軽い話程度でしか出さなかったポー(女性)をまるで時代に照らし合わせて登場させてくるあたり、本当にディズニーらしいし。しかもたくましい姿で登場させてきて、『ジュガー・ラッシュ オンライン』かと思った。しかも居場所を無くしたウッディ(男)を身体的にも精神的にもたくましくなったポー(女)に説得させるあたりも話がそっくりだった。「居場所を無くした男をお世話するのは女の役目じゃない!」。最近はこういうのがディズニーの主流っぽいが、さすがに「どうなの?」って感じだし、てか今までのヒット作を「理想主義な男と現実主義の女」の対比で女性キャラクターを登場させるより、オリジナルで女性が主人公のアニメを作るほうが良い気がする。そういう急にたくましくなった女性キャラクターを登場させるやり方って、逆に元々あった女性登場人物の良さを殺してるし、逆に女性登場人物を一面的な役割に落とし込んでる。あとシリーズを通しておもちゃを捨てるのが女の子だという描写も古臭い。以上にあげた点は改善するべきだと思う。ディズニーやピクサーなら絶対にできるよ。てかジョン・ラセターというとんでもないセクハラ野郎をずっと擁護していた会社だからこそ、改善していく姿勢を世間に提示しないと。
話を映画の内容に戻すと...と悪態をつきながらもウッディが自分の新しい生き方を見つけて中年の危機を脱した時は良かったねと思った。『トイ・ストーリー』はれっきとしたカウボーイ映画だ。だから『トイ・ストーリー4』は続編としても良くできていた。これは別れの話じゃない。友達の決断や旅立ちを祝福し「いってらっしゃい」と送り出してあげるストーリーだ。(他の仲間はどうすんの?って少し思うけど)
いってらっしゃい!ウッディ!
ちなみに今作はウッディが話のメインなので他のキャラクターの描写は薄い。それでも新キャラはみんな愛らしい。特にキアヌ演じるデュークとフォーキーとダッキー&バニーはとてもユーモアに溢れていて可愛い。まあ商魂たくましいディズニーのことだから、ウッデイ以外のキャラクターはディズニーの公式ストリーミング・サービスで別ストーリーを作るだろう。