@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『青いカフタンの仕立て屋』

 

『青いカフタンの仕立て屋』(Le bleu du caftan) [2022年フランス・モロッコ・ベルギー・デンマーク合作]

 

海沿いの街サレの路地裏で、母から娘へと受け継がれるカフタンドレスの仕立て屋を営むハリムとミナは25年以上連れ添った夫婦だ。ハリムはミナを愛しながらも、男性に惹かれてしまうことに苦悩していた。ミナは持病の乳がんが悪化し余命わずかとなってしまう。そんな彼らの前にユーセフという若い職人が現れ、ハリムはユーセフに惹かれていく。そんな中ミナの死期が迫る。監督はマリヤム・トゥザニ。出演はルブナ・アザバル(ミナ)、サーレフ・バクリ(ハリム)、アイユーブ・ミシウィ(ユーセフ)ほか。

 

 監督は女性のマリヤム・トゥザニ。まず手や役者の表情や視線をすごく丁寧でひつこく撮影していて、ものすごく映画に引き込まれる。それに加えての役者たちの演技なので、とにかくうっとりするかつ観た後にすごい疲労した。それくらいよく出来ている映画だ。説明とか全くないのだが、しっかり映画の内容が伝わってくる。凄い良い映画だった。

 

 中年男性で時代遅れの仕立て屋が設定だと同じく女性監督ソニア・リザ・ケンターマンの『テーラー 人生の仕立て屋』と類似できる。両方ともクィアな作品だと思うが、『青いカフタンの仕立て屋』はもっと直接的に抑圧されたゲイの男性を描いていると思う。

 

 前半はカフタンの仕立て屋という仕事を描きながら、ユーセフを通してハリムの男性に惹かれている様子を描いているが(今までもずっと惹かれていたり、あるいは公衆浴場でゲイの性行為を行っていたというのが分かる脚本)、後半は余命行く場もないミナを心身をすり減らしながらケアするシリアスな内容になっている。この映画の前半と後半で全く違う味わいになる感じは前作の『モロッコ、彼女たちの朝』でも見られたものなので、おそらく監督の作家性なのだと思う。

 

 特に後半のミナをケアしながら、あたふたするハリムの男性としての姿は古今東西で見られる男性というか夫の葛藤と苦悩と不器用さで、そういう視点で語るとこの映画は本当に普遍的な男性のジェンダー問題や葛藤を描いているし、クローゼットのゲイを描くことは男性のジェンダーを描くことでもあるので、やはりこの映画は立派なクィア映画だと言える。

 

 また大変ロマンチックな映画でもあり、同時にロマンチックだからこそ苦しい思いをする映画でもあった。特にミアがハリムの愛を確かめるために積極的に自らセックスするシーンのはじまりはさながら夫婦間レイプを見ているような気分で、それに何とか答えようとするハリムの表情の切なさは何とも例えようのない苦しさと葛藤があった(役者の演技力!!)。もともとハリムが受け身な感じは女性の方からプロポーズしたとか、あの公衆浴場でセックスするシーンで受け身だったことが判明するシーンとかで分かるのだけど(これを意味ありげに描いていた)、この同じくクィアでゲイ映画でも明確に受け身側であることの意味は違っていると思うし、この映画は受け身側であることを描いているので、クィア映画でもオルタナティブな感じはあった。

 

 1つだけ悪いことを言うと、ミアがあまりに可哀そうかなと感じた。余命で弱っているとは言え、ハリムをユーセフに託すみたいな終わり方はあまりに自己犠牲を美しくしている感じもある。またハリムはけっこう隠れて男性とセックスしていたようなのだが(それを悪いと断絶するのは観客の対場ではできない)、それはミアにとっては結構心身ともにリスクが高いはずだ。特にミアは乳がんで持病持ちなのだから、もしハリムから性病をうつされたと思うと(映画的にはそこには触れないようにしていた)。そのリスクがあるのでミアはハリムを叱責するか、単純に怒りか何かをぶつけてほしかった気もする。まあこのへんは難しい。感想を書く人間のエゴかもしれない。

 

 最後にちょっと映画本編とは関係ないのだけど、どうしても言いたいことが。私はいつも映画comの作品ページから引用して上記の本編の内容を引用しているのですが、初めて編集したくなったというか、こんなにクィア映画を隠して紹介しているページは初めて観たが、なんと配給する側も結構クィア映画であることを隠して宣伝していて、なんだそれって感じだ。クローゼットのゲイであることの苦悩がこの映画の主軸なのに、宣伝がクローゼット状態を後押しするって、あまりに作品を軽視しすぎではないか?