@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『それでも私は生きていく』

 

『それでも私は生きていく』 (Un beau matin) [2022年フランス・イギリス・ドイツ合作]


シングルマザーのサンドラは、通訳の仕事をしながら8歳の娘とパリの小さなアパートで暮らしている。サンドラの父ゲオルグは以前は哲学教師として生徒たちから尊敬されていたが、現在は病によって視力と記憶を失いつつあった。サンドラは母フランソワーズと共に父のもとを頻繁に訪ねては、父の変化を目の当たりにして無力感にさいなまれていた。仕事と子育てと介護に追われて自分のことはずっと後回しにしてきた彼女だったが、ある日、旧友クレマンと再会し恋に落ちる。監督&脚本はミア・ハンセン=ラブ。出演はレア・セドゥ(サンドラ)、パスカル・グレゴリー(ゲオルグ)、メルビリ・ブポー(クレマン)、ニコール・ガルシア(フランソワーズ)ほか。

 

 妻子ある男性との恋愛か父親を介護した経験なのか子どもを女手一つで育てている経験なのかどれを指しているのか分からないが、本作は監督の経験が脚本に反映されているらいです。ミア・ハンセン=ラブ監督らしく派手な演出とかは特になくオフビートに進んでいくわりにはえらい残酷な現実と対峙していく作家性は健在である。

 

 本作はミア・ハンセン=ラブは女性監督なのだが、主演のレア・セドゥを念頭に置いて脚本を書いたそうだが、私がレア・セドゥだったこれ以上ない誉め言葉だと感じる。レア・セドゥってかなりの確率でヌードになっていることが多いしそれが全く活きていない場合が多いのだが、本作も一応セックスシーンというかヌードシーンがあるのだけど、その監督がレア・セドゥのために脚本を書いたのならば、そんなに邪念を抱かなかった。

 

 サンドラは同時通訳の仕事をしながら、父親の介護と娘の育児をしているのだが、同時通訳というフランス語と英語の2種類を使うという仕事柄を、介護と育児の両方をしているサンドラの現実に対比して描く演出は良いし、そえだけでもサンドラの苦労が伝わってくる。(そして面白いことにサンドラと恋愛しているクレマンも実は妻子持ちでサンドラとは言わば不倫状態という二重生活を送っていてアンビバレンスになっているのも示唆的であった。)

 

 サンドラは仕事をしながら父親の介護と娘の育児をする。自らの時間や体力や気力やお金を犠牲にしながら"ケア"しつづける苦労が絶えない状況に置かれていて、そんなサンドラの唯一の救いであるはずのゲオルグは妻子がいるのにサンドラと恋愛しまずい状況になると逃げだすとんでもない稚拙な男性である。そんな一見ダメそうなゲオルグにひかれてしまうのも、サンドラが唯一"ケア"されることができる人間だからだと思う。正直映画はゲオルグと良い関係のまま終わるので、観客としては「その関係は良くないだろう」と思ってしまうのだが、サンドラがそれで救われるのならそれでも良いか。このケアする人が実は一番ケアされるべき人だったという話は、今年公開されたパク・チャヌク監督の『別れる決心』に近いかもしれない。

 

 あと凄いリアルだなと思ったのだが、サンドラが父ゲオルグの所持していた本(というか本棚)を寄付するのだが、これが「物にその人を感じる」と言っていたが、これは本当にその通りだ。その人よりその人が持っていた物に、その人が宿っているなと感じることはあるし、だから遺品整理ってなかなかできないんだよね。

 

 また施設でのイベントを楽しそうに参加している父ゲオルグの様子を見て、思わずサンドラが泣くのもリアルだ。ああいう施設のイベントって少し子供っぽいというか気恥ずかしいのだけど(それはしっかり意味があるのですが)、普通は年をとった親子ならああいう気恥ずかしいイベントには参加する姿を見せたいと思わないし、参加している姿も見たくないだろう(いかにも施設にいるって言う感じで、我々が認識している自立の姿からほど遠いからだ)。それでもゲオルグは恥ずかしいと思わず、娘サンドラに参加し楽しそうなその姿を見せる。サンドラにとっては父ゲオルグは完全に別人になったシーンだ。これがサンドラにはたまらなく悲しいのだろう。この一連のシーンがとてもリアルで、おそらくこのあたりの脚本が監督の実体験ではないかと。