『X エックス』(X)
1979年、テキサス。女優マキシーンとマネージャーのウェイン、ブロンド女優のボビー・リンと俳優ジャクソン、自主映画監督の学生RJとその恋人で録音担当のロレインら6人の男女は、新作映画「農場の娘たち」を撮影するために借りた農場を訪れる。6人を迎え入れたみすぼらしい身なりの老人ハワードは、宿泊場所となる納屋へ彼らを案内する。マキシーンは、母家の窓ガラスからこちらをじっと見つめる老婆と目が合ってしまい……。
大変面白いのに、映画として語り口がいっぱいあったので箇条書きで。
・70年代のスプラッター映画とポルノ映画とインデペンデンス映画のスピリットを見事に継承している
・舞台は1979年のテキサス。ポルノ映画で成功を目指す人々(撮影クルーの何人かは芸術的な映画を作っていると思っている)
・冒頭の警察のシーンがラストに回収されるのは上手い
・映画冒頭に主人公が鏡に向かって「私はセックス・シンボルだ」というシーンはPTAの『ブギーナイツ』を彷彿させる
・映画の所々でテレビの映像で挟まれる牧師の過剰な説教(聖)が入る。テレビを効果的に使いある種のスターである。映画撮影隊の「有名になる」というアメリカン・ドリーム(俗)。聖と俗の対比。映画で随所に出てくる鏡と扉のモチーフ。あちら側とこちら側の演出。
・ポルノ映画の撮影のため処女性がない。所謂のファイナル・ガールがいない。しかし主人公のマキシーンは生き残る。結論は"いい子はいないけど、ファイナルガールはいる"(本編でもいい子はいないというセリフあり)
・不吉な音楽が絶妙に作用する。
・演技としてのセックスのためいかせることができない男性の恐怖、年を取り妻とセックスできない男性の恐怖、自分の彼女が他の男性とセックスする男性の恐怖、あらゆる男性の恐怖が詰まっている
・全く不快じゃないセックスシーン。文字通りの演技としてのセックスなので
・ポルノ映画と現実で行われる恐怖の対比、上手い。
・それぞれの夢を追う撮影クルーの面々の夢と商売話、普通の映画としての質。
・ラストはタランティーノ監督風。
・この映画で唯一の恐怖はスプラッターというより、老人のセックス。我々が老人のセックスを恐れるのは死が迫っていてもまだセックスにとらわれたり、セックスするときに感じる恐怖と恥をまだ感じないといけないのかと思うからなのかな?