@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『私はあなたのニグロではない』

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私はあなたのニグロではない』(I Am Not Your Negro)

 

本作はドキュメンタリーとなっており、サミュエル・L・ジャクソンがナレーションを担当。アメリカの作家ジェームズ・ボールドウィンの未完成原稿『Remember This House』と彼の1970年代のメモや手紙に基づく内容。回想では彼の友人で公民権運動の指導者のマルコム・X、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、メドガー・エバースが紹介されている。ボールドウィンによる公民権運動についての考察が本作の見どころである。

 

タイトルのNワード(アメリカではどう宣伝されたんだ?)に反して、映画全体が非常に丁寧な言葉で綴られている。これはボールドウィンが作家だったからであろう。他の三人が大衆に言葉で訴えかけたのなら、ボールドウィンは読み手に文字通り文章で訴えかけてくる。だからこそドキュメンタリーというかたちにしたのだろうし、そうすることでボールドウィンの言葉に説得性が増す。

 

またミュージカルへの視点や白人女性スターや黒人男性スターへの視点などは私はどうもボールドウィンクィアな視点を感じるのだが、ほかの人はどう感じたのだろうか。

 

本作のラストでボールドウィンが「白人がニグロを作り出している」と印象的な発言をしており、これは常に差別主義者が差別する理由を必要として、探して、正当化して

いるということであり、だから「私はあなたの○○ではない」ということなのだろう。 

これは去年観て忘れられない作品になった『サーミの血』でも同じように思ったシーンがあった。常に差別主義者は自分たちを正当化したくて差別する理由を探しているのだ。これは今の日本でも十分当てはまる。ボールドウィンの視点は常に的確だ。

 

またボールドウィンは「黒人にって北部も南部も同じ」「人種隔離政策が進みすぎて白人が黒人のことを知らなさすぎる」とも指摘していた点も忘れられない。

 

あの3人もボールドウィンも何ら過激なことは発言していない、当たり前の権利を主張していいただけなのだが、どうも白人たちには彼らの主張がまるで核兵器でも求めているように聞こえるらしい。全く、ため息が出る。そしてドキュメンタリーが秀逸なのが、1960年代を中心に据えるように見せて、現代の警察による黒人青年たちへの暴力映像を差し込むことで、差別は終わっていないことを暗に示していて、とても残酷な気持ちになる。彼らが発言していたことは今のアメリカ社会でも十分適用可能なのだ。

 

また本作を観ていると、アメリカという特異な国が見えてくる。特に暴力に依存しているという点である。もちろん建国直後からそうだし、アメリカは常に暴力と表裏一体なのである。また国内の暴力にとどまらず、1945年以降はその暴力は国外へ向いている。本作は暴力を象徴するシーンでなんと映画が使われている。とりわけカウボーイが出てくる映画であり、そこで暴力を振るわれる相手はネイティブアメリカンである。まるで黒人やネイティブアメリカンへの暴力の連鎖が建国当時から続いていることを暗示しているのである。そしてそれに応答するようにクレジットで流れるKendrick Lamarの「The Blacker the Berry」ではこんな歌詞がある。「暴力をふるいあっている限り、偽善者だ」と。