@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『コート・スティーリング』

 

『コート・スティーリング』 (Caught Stealing) [2025年アメリカ]


1998年、ニューヨーク。かつてメジャーリーグのドラフト候補になるほど野球で将来を嘱望されたハンクだが、運命のいたずらによって夢は潰え、今はバーテンダーとして働きながら恋人のイヴォンヌと穏やかな日々を送っていた。そんなある日、変わり者の隣人ラスから突然ネコの世話を頼まれる。親切心から引き受けたのもつかの間、街中のマフィアたちが次々と彼の家に殴り込んでくる。ハンクは、自分が裏社会の大金絡みの事件に巻き込まれたことを知るが、時すでに遅かった。警察に助けを求めながら逃げ回る日々を送る中で、ついにある悲劇が起こる。ついに堪忍袋の緒が切れたハンクは、自分を巻き込んだ隣人やマフィアたちへのリベンジを誓う。監督はダーレン・アロノフスキー。出演はオースティン・バトラー(ハンク)、レジーナ・キング(ローマン)、ゾーイ・クラビッツ(イヴォンヌ)、マット・スミス(ラス)、リーブ・シュレイバー(リーパ)、ビンセント・ドノフリオ(シュムリー)ほか。

 

 1998年のニューヨークを舞台に夢を絶たれた男性が、再び窮地に陥るのも大逆転を起こそうとする面白い映画だ。パッと見はスティーブン・ソダバーグの映画っぽい。今までのダーレン・アロノフスキーの作品とはちょっと違う、新しいことをしようとしているのは伝わってきた。98年が舞台設定だけど、ほとんど現代に見えるのはご愛嬌だが、ボロボロになっていってもどこか魅力的に見えるハンクの描き方は見事だったと思う。

 

 ただ、意図的なのか無意識なのか分からないが本作は政治的な映画だ。まず主人公のハンクだが、彼は夢破れている状態でこれと言ったやることが無い、何もない、非常に受動的な白人男性だ。そんな彼がニューヨークという多くの人種が入り乱れる場所で、彼らの多くが何か仕事をしていたり、明確に目標を持っている中で、何もない受動的な白人男性であるハンクは浮いている。ハンクはお母さん(ここに神様とアップルパイも入る)を大事にする素朴な昔のステレオタイプの白人男性だ。そんな彼がアメリカのノスタルジーを刺激する野球をやっているのも示唆的だ。そんな彼が受動的でイノセンスであるがゆえに、最後はイギリスからやってきた同じ白人男性に成りきって勝利とお金を手にするという白人男性の特権を描いた、非常に政治的な映画だ。どっちかというと、『フォレスト・ガンプ/一期一会』と同じ系譜の映画だと思う。

 

 ただハンクの白人男性特権を重厚に描く過程で出てくる他の人種や女性の描き方が非常に良くないというか、「無意識でこうなりました」と言うにはあまりにも差別に近いような、多様性の恐怖を一方的な偏見に基づいて描写している。まずハンクを脅すギャング役でユダヤ系、ラテン系、ロシア系のマフィアか殺し屋が出てくるのだけど、彼ら以外の普通のユダヤ系、ラテン系、ロシア系が出てこないので(ユダヤ系はちょっと違うけど)、これは非常にステレオタイプと偏見を助長している。本作だけ見ると、ニューヨークにいる非白人は「怖い」で終わってしまう。なんか地方出身の一方的な都会人への偏見だと思う。

 

 また本作は全体的に女性、特に黒人女性の描き方が非常によろしくない。まずハンクの恋人であるイヴォンヌは黒人女性でニューヨークで看護師をしている非常に勤勉な女性なのに、途中で殺害されてしまい、それをゾーイ・クラビッツが演じているので非常にもったいない役に見える。あとこれは最近のアメリカ映画の流行りなのか、白人男性が主人公だと、その恋人が黒人女性ってパターンがふえているが、別にそれで構わないが、だったら普通に黒人女性の映画をもっとつくればいいのにと感じる。それにレジーナ・キング演じるローマン刑事は黒人で女性の警察官で部下もいるくらいの中堅なのだが、最後は腐敗に手を出すという設定になっており、黒人女性警官が90年代にあんなことするかなって?と思うし、黒人女性として生きる苦悩みたいなものをまるまる無視しているように思えた。